第24話 愛と信念と

 秘密の会合から三ヶ月後の土曜日、討論会が始まった。そして、時を同じくし、学校の発表会も。


「親が子を育てるのはあたりまえだ。検討する価値もない」

 保守派の重鎮として議員歴40年の村田むらた健吾けんごが口火を切った。


「女性は子どもを生む機械ではありません。産む自由もあれば、産まない自由もあります。子どもを産んだ女性だけ支援するのは、平等の原則に反します」

 女性の地位向上をライフワークにする坂上さかがみ優子ゆうこも反対に回る。


「子ども時代の家庭教育がいかに重要か、わかっていない方が多いようです。家庭での本の読み聞かせ、勉強の習慣、これらがあるかないかで、子どもの学習意欲が変わってくる。いくら公教育を充実させても、それにまかせっきりじゃ駄目なんです。周囲からの支援が必要なのは私も同意見ですが、結局、最後は親なんです」

 教育評論家の増渕ますぶちゆたかが正論を述べる。


「結局ね、あんたのやろうとしていることは、ひとり親を増やそうということじゃないか。そんなバカな話があるかね。健全な家庭が健全な国民を作るんだ。もちろん、病気や死別など、個人ではどうしようもないこともある。そんなときに国が支援するのは当たり前だ。だが、最初から未婚のひとり親を支援するとなると、それを助長することになる。そんな、バカな話はないだろう」


「税金での援助は、無制限にできるわけではありません。結局は、国民負担です。ライフスタイルによって負担率が変わる、それは国家が国民に、どう生きるかの選択肢にバイアスをかけることです。一見、優しいように見せる政策が、実は国民を苦しめるんです。子どもを産んだ人がえらいような社会は、子どもを産まない女性をおとしめることにつながるんです」


「教育の格差は連鎖します。良い教育を受けた家庭では、子どもにも良い教育を受けさせようとする。逆に、良い教育を受けていない子どもは、自分が親になったときも自分の子どもに良い教育を与えない。さきほどから私が述べているように、これは公教育だけでは解決しないんです。冷たい言い方になりますが、そんな人に親になる資格はありません」


「だいたいだな。ちゃんと家で躾けないから、無責任でふしだらな女が増えるんだ。子どもを産んでロッカーに捨てたりなんか、わしの若い頃では考えられん。たとえ自分の身を犠牲にしてでも、子どものためにつくす。それが母親ってもんだ」


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 体育館にずらっと並んだ椅子は、すでに保護者でいっぱいだ。でも、そのなかに美幸みゆきの両親はいない。父親は、誰だかわからない。おばあちゃんも教えてくれない。母親は東京で働いている。しかし、会いに来ることはない。ただ、写真があるだけだ。テレビで見たことがあるので、きっと有名な人なのだろう。


 万が一、会うことがあっても、絶対に知っている人のふりはしてはいけない。見ず知らずの他人のふりをしなければならない。そう、厳しく躾けられている。


 おばあちゃんは、虐めたり意地悪したりはしない。でも厳しくて、笑うことは、ほとんどない。勉強をサボったり、遊んだりすると怒られる。友達の由香ゆかちゃんちは、いつもお母さんが笑って楽しそうだ。


『育ててくれるご両親に感謝の手紙を書きましょう』

 くだらない。本当に、くだらない。


 今日は、おばあちゃんが来ようかと言ったが、断った。


 ああ、嫌だ。


 他の人と違う髪の色、目の色。


 もう、目立ちたくない。

 誰からも、見られたくない。

 消えてしまいたい。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


「厳しいご意見があがっていますが、田口さん、反論はありませんか」

 集中砲火を浴びて黙っていた田口に、司会者がマイクを向けた。


「はい。皆様の貴重なご意見、大変参考になります。私も、村田先生が仰るとおり、親が子どもを責任を持って育てるのは当然だと思いますし、坂上さんのご指摘の通り、税負担の平等性の原則が壊れてしまったら、国の根幹が崩れていまいます。耳心地の良いことだけでなく、個々の家庭が真摯に向き合わなければならない課題を、元教員の立場から真剣に提言する増渕先生のお言葉には、感銘を受けました」

 一人ひとり顔を見て礼を述べる田口に、それぞれが、さも当然という表情で頷いた。


「ところで、村田先生にお伺いしたいのですが、子どもはどうやって生まれるのでしょうか?」

「そりゃ、男と女が結婚してだろうが」

「それは、違います。結婚と出産は別です。子どもが生まれるのは、男性と女性がセックスするからです」

「ちょっと田口総理、あんたテレビで、はしたない言葉を使うんじゃない」

 村田が色めき立った。


「いえ、これはとても重要なことです。もちろん、現在では不妊治療のため精子バンクから精子を入手して、人工受精により出産するケースもありますが、ひとり親の女性がこのような形で出産することはレアケースです。また、このような場合は、キャリアを積んだ女性が利用することはあっても、10代や20代の若い女性が使うケースは少ないでしょう。つまり、支援が必要な女性の多くは、セックスをして子どもを作っているんです」

 田口が始めた突拍子もない演説に、皆が度肝を抜かれた。


「また、女性同士のセックスでは子どもは生まれません。少なくとも、現状では」

 これは、真面目な話なのかと、皆がいぶかる。


「つまり、ひとり親というのは、科学的にありえないんです。一見、未婚女性の子どもは、ひとり親と思われますが、必ず父親がいるんです。もちろん、死んでいなければですけど」

 田口が不敵な笑みを浮かべる。


「つまり、もちろん、未婚の女性に親としての責任はありますが、その責任は50%ということです。いえ、それだけじゃない。卵子の提供だけでなく、子宮も提供しているわけですから、さらにその比率は低くなります。さらに、出産後に母乳を提供していれば、その分も考慮する必要があります。もちろん、個別の事情は違っており、それを個々に正確に割り出すことは、事実上難しいわけですが、常識的に考えれば、約40%というところでしょうか。つまり、未婚で出産した女性には40%の責任があるということです。先程、村田先生が、子どもを産んでロッカーに捨てた女性を非難しましたが、その場合、父親も非難する必要があります。ニュース報道では、女性についてだけ報道されていますが、これはフェアではありません。父親の男性も同様に報道する義務があります。もし、父親を報道しないのであれば、当然、女性についても報道するべきではありません。なぜなら、父親の報道時間が0分であれば、女性の責任比率である40%を考慮すると、女性の報道時間も0分であるべきです。これが公平性だと思いますが、坂上さんは、いかがお考えでしょうか?」


「ええ。そうね」

 マシンガンのように畳み掛ける田口に突然話を振られ、坂上が反射的に返事をした。


「坂上さん、私の考えに同意して頂き、ありがとうございます。村田先生、親が子どもを育てるのは当然です。子どもを育てる費用も、当然、親が働いて負担するべきでしょう」

「当然だ」

「ということは、子どもの父親から養育費を支払われないひとり親女性には、稼いだ金額の同額を、国から支援すればいいんです」


 田口の突拍子もない提案に、村田は耳を疑う。


「何をバカなことを言ってるんだ!」

「ちっともバカなことではありません。もし、父親と母親と二人いれば、ダブルインカムになります。一人ならその半分しかない。もちろん、養育費が支払われていれば問題ありません」

「男に払わせばいいだろうが!」

「残念ながら、養育費の未払い率は約8割と高率になっています。それを、個別に対応するのは非現実的です。そもそも、養育費を支払われないというのは、女性側の責任なのでしょうか。支払わない方に問題があるのではないですか。さきほど、先生は、親が死んだ場合は国が負担するのは当然だと仰っしゃりました。養育費を払わない父親など、死んでいるも同然です。そして、子どもの父親が、将来養育費を払うか払わないかなど、予測はできません。ようするに、失業保険や、農家の個別保証と同じことです。たまたま、男運が悪かっというだけの話です。運で人生が左右されるべきではありません」

「ふざけるな! 女に男を見る目が無いだけの話だろうが!」


 田口の目が光った。


「間宮景子さん。彼女も、養育費が払われずに苦労したようです」

「お、お前、」

「彼女が一人で育てた子どもの父親は、代々議員を排出する名家の出だったようです。最高学府を出て、国家公務員試験に合格、そして、親の地盤を引き継いで政治家に。はたして、こんな立派な方が養育費を払わずに逃げるなど、事前にわかりますでしょうか。もし、私だったら信用してしまいますね。立派で裕福な家庭であれば、子どもも教養があり、思いやり深く育つのではないでしょうか。少なくとも、その確率は高いと思いませんか? 増渕先生?」

「そ、そうですね」

 増渕が、田口の勢いに飲まれる。


「教員歴40年のベテランの先生でも、そう思われる。でしたら、そんな人が、まさか教育費を払わないなんて、想像もできません。はたして、彼女に人を見る目がなかったのでしょうか? いかがですか、村田先生!」

 田口の目に、怒りの炎が宿った。


「すみません、ちょっと議論に夢中になって、興奮してしまいました」

 一転、田口の声が穏やかになる。


「未婚女性に、稼いだ金額の同額を支給する。さすがに、これでは皆さんが同意するのは難しいでしょう。それでは、平均的な養育費金額を支給するというのはいかがでしょうか。それなら、村田先生の懐も痛みませんし」


 田口が、村田にとどめを刺した。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 もうすぐ、自分の番だ。


 一人ひとり舞台に上がり、日頃の思いを綴った手紙を朗読する。


 ―― いつもご飯を作ってくれて、ありがとう。

 ―― いちいち成績で文句言わないで欲しい。お父さんも、小さい頃、勉強してなかったくせに。

 ―― ディズニーランド、楽しかった。

 ―― 妹ばっかり、過保護にするのは不公平だ。


 言いたいことがある人は、うらやましい。

 私には、言いたいことは何もない。

 感謝することもない。

 怒ることもない。


 手紙は白紙だ。

 何も言わずに、舞台を降りよう。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


「坂上さん、国民一人平均の生涯賃金はいくらでしょうか?」

「えっ? は、はい、統計方法にもよりますが、男性で2億6000万、女性で2億と言われています」

「つまり、子どもを一人生むと、男の子であれば2億6000万、女の子であれば2億の価値が生まれるということですね?」

「そんな、単純には」

「では、より正確な金額を教えて下さい。そちらで修正して、話をすすめます」

「いえ、特に数字は、ありませんが」

「ということは、とりあえずのたたき台として、この数字を使い、もし、齟齬がれば後から数値を変えればいい、論旨そのものは有効と考えてよろしいでしょうか?」

「まぁ、とりあえず」

 してやったりと、田口が舌なめずりをする。


「つまり、子どもを生めば、それだけ経済成長につながるということです。これを人口ボーナスといいます。また、社会保障政策も、人口増加を前提にしています。乱暴な言葉を使えば、子どもを生むだけで社会に貢献しているのです」

「あなたは、女を産む機械だと言うのですか!」

「いいえ違います。誰が社会に貢献するか、誰が得をして損をするのか、そんな簡単には決められないということです。子どもを産んで人口を増やすという貢献もあれば、仕事をして社会に貢献をするという貢献の仕方もあります。それに、優劣を付ける必要があるのでしょうか。そもそも、子どもを産んだり、働いたりすることは、社会に貢献するから、するのでしょうか」

 田口が優しい顔になる。


「人はなぜ生きるのか。それは、幸せになるためです。いくら、社会に貢献しても不幸であったら意味がない。仕事も子育ても、たんに損得で計るのではなく、もっと楽しいかどうかで、考えたほうが良いのでは」

「そんな、綺麗事」

「本当に綺麗事なのでしょうか。それは、社会とは辛いものだという思い込みがあるからです。そして、そう思うのは、自分が損をしているという被害者意識があるからです。育児休暇や子育て支援もそうです。子どもが欲しくてもできない人や、子どもが欲しくない人には与えられません」

「そうです。不公平です」

「そこで、私は、すべての人が育児休暇を取れる制度を提案します。たとえ、子どもがいない人であっても」


 子どもがいない人でも育児休暇がとれる? 田口の提案に坂上の頭が追いつかない。


「そもそも、育児とは自分の子どもを育てるだけではありません。もともと、人間は集団での子育てをしていました。本来、それが普通なのです。しかし、文明化と核家族化により、主に母親に育児が押し付けられる傾向にあります。これは、人間の進化を考えると不自然なのです。そうですよね、増渕先生?」

「確かに、人間の脳は集団での子育てをするように、発達しています。子どもを出産すると、エストロゲンが脳の中で分泌し、不安や孤立感を感じるのは、仲間を求めるためです」

「つまり、本来の人間の習性を活かせばよいのです。自分の子どもでなくとも、家族の、親戚の、いや、見知らぬ他人の子どもであっても、世話をすれば育児休暇が取れるようにするんです」

 田口の独演会を、皆が黙って聞いている。


「増渕先生、先程、先生は、家庭教育の重要性を唱えられましたが、別に複数の家庭がいっしょに教育したところで問題はありませんよね?」

「問題ないどころか、逆に効果的ですが」

「つまり、共同生活を支援し、子どもの世話をするときは、自分の子どもでなくとも、育児休暇や特別な有給休暇を取れるよう制度を変えればいい。もちろん、他人の子どもなんて興味ないという人もいるでしょう。そういう人は無理に取る必要はありません。取る取らないは、全て個人の意思にまかせます。それであれば、損も得もありません。損をしていると思えば育児休暇を取ればいいんです。これでも、坂上さんは不公平と言いますか?」

「それは、なんとも」


 田口の穏やかな表情が変わった。


「公平ですか、不公平ですか。答えて下さい!」

「不公平とは、一概には……」

「不公平の反対語はなんですか、増渕先生。元国語の教師として、正確に答えて下さい」

「それは、公平ですが」

「どうも、ありがとうございます」

 田口がニッコリと笑った。


「私は、今回の討論会で主張した、養育費の支援制度と、育児休暇の拡大案を元にした関連法案を、次の国会で提案するつもりです。もちろん、これからの審議で細部の詰めや修正も、当然のことながら必要となりますので、村田先生を始め、皆様のご協力とご支援が必要なことは、言うまでもありません」


「ふざけるな! そんな法案など廃案にしてやる!」

 村田が顔を真赤にして、抗議した。


「村田先生。決めるのは、あなたではありません」

 田口が挑戦的に、村田を指差す。


「そして、私でもありません」

 田口が神妙な顔をする。


「決めのは国民です。私たちは、ただの代理人です」

 田口がカメラに向かって宣言した。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 美幸がマイクの前に立った時、体育館の扉が開いた。一人の女性が、静かに中へと入り、壁際に立つ。


 えっ? お母さん?


 美幸の目が女性に釘付けになる。写真でしか見たことのない顔、テレビでしか見たことのない姿。


 女性の目が、美幸を見つめた。

 ―― 遅くなってごめんねと。


 美幸の胸の鼓動が早くなった。


 女性の口がささやく。

 ―― ずっと、会いたかったと。


 何を今更。勝手にほっておいたのは、そっちじゃないか。


 女性の目に涙がたまった。

 ―― そうね。美幸の言うとおり。


 美幸が、白紙の原稿を握りつぶした。


 美幸の心に、母にぶつけたい気持ちが、寂しさ、怒り、恋しさが、今まで、溜まりに溜まっていた気持ちが、次々と巻き起こる。


 美幸の口から、言葉が、ほとばしった。

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