第23話 秘密の告白

 全く予期していなかった言葉が、田口の口から飛び出した。


「わたし?」

 ミカが、愛子と流博士の顔を見る。愛子も呆然としてるが、流博士は事前に知っていたようだ。


「三ヶ月後の土曜の午後、公開討論会があります。でも、どうしてもその日には、別の用事があって」

「討論会よりも大切な用事ですか?」

「私にとっては、何よりも大切な」

 田口が遠くを見つめた。


「その日は、どうしても娘に会いたい」

「娘?」

 ミカが聞き返す。


「失礼ですが、田口さんは独身で、一度もご結婚はされていないかと」

「そうね。父親はいないわ」

「それって」

「こっそり生んで、実家で育ててもらってる」


 女性首相に私生児がいる。こんなことがバレたら、ただのスキャンダルでは済まない。聞いてはいけない秘密を聞いてしまったミカと愛子の顔が青ざめる。


「驚いたでしょう。こんな堅物に隠し子がいるなんて」

 自嘲するように、田口が言った。


「ちゃんと結婚もしないで子どもを作るなんて、バカな女のすることだと私も思っていた。高校のときに中絶のカンパが回ってきたときは、生徒会長として学校に通報して、その子は退学になった。そんな女が、自分が同じことをするなんて、皮肉よね」

 ミカも愛子も言葉を挟むことができない。


「22のときだった。アメリカの留学先で指導教官に恋をした。よくあるパターンね。今まで、男性と付き合ったことなんかなかったから、完全に舞い上がってしまった。朝から晩まで相手の顔が浮かぶ、いえ、夢の中でさえ。もう、自分でも何がどうなってるのかわからなかった。勉強なんかどうでもいい、将来なんかどうでもいい、ただただ目の前の相手が欲しくて欲しくてたまらない。恋は熱病っていうけれど、自分で自分の気持ちが抑えられない。誰かを好きになると、あんなふうになるなんて、夢にも思わなかった」


 田口が思い出にはせる。


「そして、相手には妻子がいて、私はただ遊ばれただけだった。傷心の私は一人日本に帰ってきた、お腹に子どもがいることも知らず。典型的なバカな女の話ね。100人が聞いたら、100人が自己責任っていうわね」


 自己責任か。上から目線の嫌な言葉だ。


「でもね、言い訳するわけじゃないけど、本当に自分じゃ、どうしようもなかった。今なら、なんてバカなことをって思えても、当時は自分をコントロールできなかった」

「恋愛感情は、人間が生物として生殖するための本能だ。ドーパミン、セロトニン、エストロゲン、アドレナリン、脳内物質が大量に分泌される。いわば、大量の麻薬で中毒になっているようなものだ。脳内物質の分泌量には個人差があるから、たいして影響を受けない人もいれば、田口くんのように自分では気持ちを抑えられず、どうしようもなくなる人もいる。同じ経験をした人にしか、田口くんの気持ちはわからないだろう」

「ふふ。流くんは、あいかわらずだね」

「僕には、普通の人のような恋愛感情はないが、自分の作ったアクトノイドには、強い執着がある。万が一のときは、そうとう感情的になるだろう。それが、生身の人間相手の恋愛感情なら、なおさらだ」


 一見、非常識に見える流だが、人に対する思いやりや優しさは、人一倍持っている。


「日本に帰ってきて子どもを生もうとしたとき、産婦人科には私みたいな女性が、他にもたくさんいた。みんな、私と同じように暗い顔をして、将来に不安を感じていた。その時、思ったの。私が、どうにかしなきゃって。きっと、私が今ここにいるのは、思い上がってた私の目を開かせるためだったんだって。誰だって、ちゃんと結婚して、いい環境で子どもを育てた方がいいなんてわかってる。でも、そうでない人は現実にいる。自分のことを自分でするのは当たり前だけど、自分一人ではどうしようもないことや状況を助けるために、人間は社会や国を作ったんだって。失業や倒産、病気や貧困を助けるなら、子どもをもった親を助けるのは当然でしょ。それも、一番弱い立場の人を」

 田口に目が、らんらんと輝いた。


「だいたいね、子どもは女一人で作れないのよ。男の精子と女の卵子でできるの。そして、女は子宮を提供してリスクを負って出産し、生まれた子どもは大きくなれば社会に貢献する。年金だって、経済だって、人口が減れば破綻する。だったら、つべこべ言わないで、子どもを生んで育てる社会を作れっての。国会で寝てるオヤジたちよりも、子どもを生む女のほうが、ずっと国や社会に貢献してんだ、馬鹿野郎!」

 選挙演説のときの聴衆を魅了した、田口の口調だ。


「そうは言っても、現実に未婚で子どもを生んだ女が政治家になれるほど、世の中甘くない。だから、子どもは実家に預けてある。子どもには生んだ後は、一度も会ってない。私が娘に会うのは、この国を変えたあと。そして、国を変えるには、どんな手段でも使う。卑劣だろうが、卑怯だろうが、なんだろうが」

 目的のためには手段を選ばず、実現しない理想に意味はない、それが田口のスローガンだ。


「でも、最近、娘がおかしくなっているって話が実家からきてね。精神的に相当追い詰められているみたい。自分のことよりも、国のことを考える覚悟はできてる。国のためなら、本気で死んでもいいって思ってる。でも、自分の娘を犠牲にする覚悟まではできていなかった。独裁者だったスターリンでさえ、自分の息子を犠牲にしたのにね。母は弱しかな」

「自分は覚悟ができていても、大切なものは傷つけたくはない。それは、当然だと思います」

「ありがとう」

 愛子が優しい目で、田口を慰めた。


「三ヶ月後の土曜の午後、未婚女性を支援するための法案の公開討論会があります。そして、その日、娘の学校の発表会があります。生徒たちが、一人ひとり、自分の両親への思いを発表するんです。今までは一度も、娘のそういう行事には行ったことがなかった。でも、今回だけは、どうしても、」

 そこまで言って、田口が泣き出した。どんな酷い野次やじにさらされようと、四面楚歌の討論番組で責められようと、孤軍奮闘、鋭い論理で苛烈に論破し、時には情に訴えユーモア混じりで説得する、辣腕政治家の姿はそこにはなかった。


「ミカくん、愛子くん、僕からも頼む。田口くんを助けてくれないか」

 流博士が、二人に頭を下げた。


「僕が中学の時、酷いいじめを受けた。ある時、学校のトイレを全て塞がれた。そして、我慢できなくなって、とうとう漏らして汚物だらけになったんだ。周りから、汚いと囃し立てられて、僕は泣くことしかできなった。その時、田口くんが、僕を助けてくれた。汚れた僕を洗ってくれて、いじめた奴だけでなく、いじめを見て見ぬ振りをしていた先生たちをも糾弾した。田口くんがいなかったら、僕はどうなっていたかわからない。もしかしたら、自殺していたかもしれない」

 当時の辛さを思い出してか、流博士の目に涙が浮かぶ。


「いつか、田口くんにはあのときの恩を返したいとずっと思っていた。でも、僕一人じゃなにもできない。ミカくん、愛子くん、頼む。僕に力を貸してくれ」

 流博士が、深々と頭を下げる。


「博士、やめて下さい! 博士に恩があるのは私の方です。私でできることなら、やります」

「私も、なんでもやります! 博士の作ったアクトノイドなら、きっと成功します!」

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