第17話 革命前夜

 三ヶ月の厳しい練習が終わり、とうとう運命の舞台を明日に控え、国内外からゲストを招いた前夜祭が始まった。佐竹のぶち上げた『演劇革命』が成功するか、それとも無残な結末となるのか。成功を祈るもの、失敗を望むもの、さまざまな思惑が前夜祭を彩る。


「水上ミカさんですね。初めまして、中条と申します」

 ミカと愛子、流博士の三人が、ブッフェでとってきた料理を立ちながら食べていると、初老の男性に声をかけられた。

「初めまして、水上ミカです」

 見知らぬ顔にミカが戸惑う。


「『二人の女王』大変感銘を受けました」


 ―― 二人の女王

 ミカが最初に、アクトノイドを使って演じた舞台だ。公演開始直後はロボット俳優見たさの興味本位の客で埋まっていたが、次第に演劇ファンに認知され、公演終了間近では逆に老舗の演劇ファンで埋まるまでになった。


「あ、あのときの舞台の評論を書いて頂いた。こちらこそ、光栄です」

 愛子がすかさずフォローする。アクトノイドの実力を演劇界で真っ先に認めてくれたのが中条だった。中条の書いた評論が業界に与えた影響は計り知れない。


「明日から始まる舞台、私も楽しみにしています」

「はい! 頑張って、全力で演じます」

 ミカがかしこまる。


「ただし、私は正直に書きます。良いものは良い、悪いものは悪いと」

 にこやかに微笑みながら、中条が去った。


「え、笑顔が怖い……」

「あの人のペン一本で、役者の生死が決まるって言われてますからね」

 愛子がさらにプレッシャーをかける。


「よ、久しぶりだな」

 きりりと引き締まった三人の緊張をほぐすように、気さくな声がかかった。偏屈そうな老人が、小さな男の子の手を引いている。


 ―― 児島こじまいさお

 永遠の少年の異名を持つ、アニメ界の巨匠。アニメなど見てたらバカになるという暴言で古巣に砂をかけただけでなく、実写映画第一作では、自ら子どものアクトノイドを操作して主演し、世間の度肝を抜いた。


「児島監督、お久しぶりです」

「おじいちゃんが、お世話になりました」

 頭を下げるミカに、老人といっしょにいた子どももまた、深く頭を下げた。


「いつも、おじいちゃんがご迷惑をかけてますが、これからもよろしくお願いします。口は悪いですが、本当は、皆さんに感謝してるんです」

「余計なことはいいから、お前は向こうで食べ物をとってきなさい」

「はぁい」

 男の子が素直に言うことを聞き、料理が並ぶテーブルの方へと歩いていった。


「ずいぶん、しっかりしてますね」

「全く、子どもらしくない。俺の孫とは思えん」

「児島監督よりも、大人ですね」

「博士、失礼ですよ!」

 大きな子どもが、ここに二人いる。


「革命前夜とはぶち上げたな。派手好きな佐竹のやりそうなことだ。だが、アクトノイドの凄さは俺もわかってる。今回の公演の後は、もう、生身の役者は失業だな」

「そんな大げさな」

「いや、時代が変わるときは、少しづつ変わるんじゃなくて一気に変わる。無声映画からトーキーになったときは、弁士が皆失業した。お前も、アクトノイド・パフォーマーの第一号だからって油断していると、後から来た奴らに取って代わられるぞ」

「はい。容姿に関係なく演技力だけで判断される、そうなったら、今まで埋もれていた人や、演技の才能があっても諦めてた人たちが、大勢、表舞台に出てきます。今回の舞台稽古でも、すごい人がいることを身に染みました。でも、私だって実力では負けないつもりです」

「わかってればいい。それと、お前たち」

 児島監督が、ミカから顔を背け、愛子と流博士の方を向いた。


「いつになったら、子作りするんだ?」


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 三人の間に微妙な空気を残し、言いたいことを言って児島が立ち去った。


「後藤さん、お久しぶりでーす」

「やあ」

 ミカが知り合いの顔を見つけ、場の空気から逃げるように、声をかけた。


 ―― 後藤琢也たくや

 脂ぎった中年太りの体を持つ、アングラ劇団の異色俳優。アクトノイドとのラブシーンという冒険作に主演したことがきっかけで、あろうことか、売れっ子のアイドルと同棲し、その後、結婚まで漕ぎ着けるという『愛してその醜を忘る』を、まさに己自身で実践した。


「こちらは、妻の愛理あいりです」

「初めまして。皆さんのことは、たっくんから聞いてます」

「おいおい、人前で、たっくんは止めろよ」

「あっ、ごめんなさい。その節は、琢也がお世話になりました。私が主人と出会えたのも、皆様のおかげです」

 幸せオーラが、二人から漂ってくる。琢也のでれでれとした顔は、失礼ながら、見るに堪えない。


「今回の公演は、僕も凄い期待しています」

 きりりとした顔になった琢也だが、やはり、見栄えは変わらない。


「僕も、今はなんとか個性派俳優としてやっていけてますし、それは、とてもありがたいと思ってます。ですが、将来、子どもが出来たときには、子どもに恥ずかしい思いはさせたくない。親父がみっともない役ばかり演じていたら、学校でいじめられるかもしれない。だから、この『演劇革命』には、何が何でも成功してもらいたいんです」


 琢也も容姿で苦しんで来たのだろう。ミカは平凡な容姿のためにチャンスが得られなかったが、琢也は琢也で、その個性的な外見から、主役の引き立て役や、常人とは違った役ばかりを演じてきた。もしかしたら、ミカよりも切実な思いを持っているのかもしれない。


「佐竹先生の唱える『パーソナリティと演技の分離』。これが実現したら、僕だって主役になれるかもしれない。いや、絶対になれる自信がある。王道のドラマで主演を演じることができれば、僕自身だけでなく、妻や子どもも誇りに思うことができる。これは、僕だけでなく家族のためでもあるんです」


 自分のためだけでなく、家族のためか。そういう人間は強い。


「今回の公演が成功することを願っているのは、僕だけじゃない。劇団のみんなも、これでチャンスが生まれるって期待しています。だから、僕らの分も頑張って下さい。みんな、ミカさんを応援しています」

 そう言って、琢也がミカの両手を力強く握り、去って行った。


「私は、今のたっくんで十分よ」

「ありがとう」

 二人の背中越しに、会話が聞こえた。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


「本当に、明日はすごいことになりそうですね」

「僕も武者震いがするよ。まさか、自分の作ったロボットが、こんなことになるなんて。大勢の人の人生を変えることになるのかと思うと、ちょっと怖い気もする。アクトノイドの製作者として、本当にこれでいいのかという戸惑いもある」

「もう、今更そんなこと言わないでくださいよー」

「いや、後悔しているってわけじゃないんだ」


 期待と戸惑い。それは、流博士だけでなくミカも同じだ。純粋に演技力だけで勝負したい、そう思ってここまで頑張ってきた。そして、持って生まれた外見とは関係なく演技力で評価される時代を、今、まさに自分が作り出そうとしている。


 アクトノイド・パフォーマーになったそもそもの目的は、ミカ自身が舞台に立つチャンスを得るためだ。しかし、アクトノイドの成功は、演劇界を根底から覆すという、ミカが当初望んでいたことを遥かに超える事態を引き起こした。


 ―― パーソナリティと演技の分離

 古代ギリシャでの仮面劇に通じるこの発想は、演劇の理想か、それとも、それ以上の何かなのか。


 明日から始まる舞台が成功すれば、ミカの前には、間違いなく明るい未来が開ける。しかし、自らの肉体で舞台に立つチャンスが永遠に失われることでもある。


 ―― 何かを得るには、何かを捨てなければならない。

 それが、自然のことわりだ。


「愛子、流博士。すみませんが、少し、付き合ってもらえませんか」

「なんだい?」

「なんですか?」

 料理を頬張っていた二人に、ミカが声をかけた。


「ちょっと、頼みがあるんです」


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 夜の新東京国際スタジアム。明日の公演を控え、舞台を設置していた作業員もいなくなり、ひっそりと月明かりだけが舞台を照らしている。


「照明は点けられませんね」

「そうだね。こっそり入ったのを、ばれないようにしないと」

「でも、月明かりがあります」

 舞台最前列、特等席に二人が座っている。


「音響もなし、衣装もなし、スポットライトもなしだね」

「ミカさんの演技とセリフだけです」


 舞台袖からミカが現れ、舞台中央に立って、二人に向かって深々とお辞儀をした。


「結局、私には自分自身の体で舞台に立つことはできなかった。そのことに、後悔はしていません。でも、最後に二人だけには、私の本当の姿を見てもらいたんです」

 ミカのよく通る声が舞台に響く。


「愛子、あなたが私を信じてくれたから、ここまで来ることができた」

 愛子が、そっと涙を拭う。


「流博士、博士の作ったアクトノイドが、私にチャンスをくれました」

 流が頷く。


「水上ミカの、最初で最後の大舞台。とくと、ご覧あれ」


 一夜限りの舞台の幕が上がった。


 月光の中、ミカの体が舞台を駆ける。

 静寂の中、ミカの声が劇場に響く。


 ただ、己の体で、表情で、声で、命を吹き込む。

 太古の昔、夜の帳で、人々が夢の一夜を過ごしたように。


 ミカが、過去の己に別れを告げる。


 そして、革命の火が上がる。

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