第16話 同士か、敵か
「すごい! 壮観ですね」
愛子が稽古風景を見て感嘆した。老若男女、様々な役者が各々稽古に励んでいる。一人で台詞を暗唱しているもの、パフォーマースーツを着てアクトノイドの操作に励んでいるもの、自らの肉体で場面を再現して演技の練習をしているもの。
「私も負けていられないわ。アクトノイド・パフォーマーの経験なんて、慣れれば、すぐに追いつかれる。そうなったら、後は自らの演技力次第だから」
ミカが闘志を燃やす。
「ミカさん! あそこにいるのって、
愛子が、大鏡を前に一人稽古をしている役者を見て、驚きの声を上げた。40前半の色男、まさに今が絶頂期の歌舞伎役者だ。
「今回の公演の一番の注目株ね。冷泉さんが出演するのであれば、どんな結果になっても、どこからもケチは出ないでしょう」
「まさに世界レベルですね」
――
伝統ある歌舞伎役者の御曹司だ。子どもの頃から
『私は歌舞伎は演劇の頂点であると思っている。だから、商業演劇の世界でトップになれない程度では、新十郎を襲名する資格はない』と宣言し、有限実行、舞台だけでなく、映画やテレビドラマでも活躍し、ハリウッド映画でも主演した。そして、自他ともに実績は十分と認めた後、自分が新しい歌舞伎を作ると、
「でも、あんな実績のある人がアクトノイドで演じて、万が一、観客の評価が低かったら」
「それだけのリスクを背負ってでも、評価される絶対の自信があるってことでしょう」
著名な俳優陣が怖じ気づく中、自ら佐竹に自分を売り込みに行ったという噂は、たぶん真実だろう。佐竹自身も、まさか
「冷泉さんが本命だとしたら、対抗は、”山本ゆり”ね」
「山本ゆりって、あのAV女優の!」
「今はそうだけど、元は天才子役よ。私も小さい頃、山本さんに憧れたことがある」
ミカが少女の頃に見ていたテレビ番組には、いつも山本ゆりが出ていた。まるで、天使のようなあどけなさは、幼稚園児や小学生には、まさにこの世のものではない本物の天使に見えた。
「あのスキャンダルがなかったら、今ごろは大スターになってたはずよ」
「後藤田監督との不倫騒動でしたっけ」
「いかに、あいつがクズか、いやってほどわかったね」
山本ゆりが18才の時、撮影中の主演映画の監督と男女の関係となった。事のいきさつはわからない。しかし、山本の妊娠が発覚した際、妻子ある監督は『山本に誘惑され、その若い肉体の魅力には抗えなかった』と白々しくも弁明した。一生の一度の恋に破れた山本は、主演映画を降板させられると同時に、お腹の中の子も堕胎させられた。そして、業界に隠然たる影響を持つ後藤田の圧力により、業界に居場所を失った。
一時は、人生に失望し、自殺未遂まで起こした山本だが、自分を捨てた男への、そして、後藤田だけでなく世の全ての男たちへの怒りが、山本を不死鳥のように蘇らせた。
元子役がAV女優になる。しかも、女優としてピークを過ぎた後でなく、まさにこれからその美貌が絶頂を迎える時に。山本の出演した作品は、日本中の全ての男が見たとも言われる。さらに、ただのAVではなく芸術作品としての完成度も高めた次作は、海外の著名な映画祭で絶賛され、後藤田が喉から手が出るほど欲しがっていたコンデュー映画祭グランプリを、後藤田の目の前で
名声を手にした山本にはオファーが殺到したが、自分を捨てた業界には戻らず、AV業界に身を置きながら、次々と作品を発表しては海外で賞を獲りまくり、古巣に苦汁を飲ませ続けている。今回の舞台で、その実力をあらためて示せば、後藤田を始めとする業界に巣食って甘い汁を貪っている連中は、すべて
「山本さんには頑張って欲しいと思うけど、私も負けられない」
山本だけでなくミカにとっても、今回の公演は勝負どころだ。一生に一度の大チャンスだ。今回のチャンスを逃したら、一生裏方の無名の役者で終わる。
「でも、冷泉さんや、山本さんだけじゃない。今まで、日の目を見られなかった人たちが大勢、今回のチャンスを何が何でも掴もうとしている」
ミカの目が初老の役者を捉えた。静かに台本を読んでいる。一見、穏やかな紳士に見える。しかし、その外見に騙されてはいけない。そもそも、初老という年齢さえもが怪しい。本当の年齢を知るものは誰もいない。
「まさか、あの人、
信じられないのもを見た驚きに、愛子の口がパクパクと開け閉めする。
「佐竹さんが連れてきた。演じる役と役者のパーソナリティは関係ない。それを証明する一番の役者だと」
「いくら実力が合っても、あんな人がこんな大舞台に出ていいんですか?」
「反対した人たちを力づくで黙らせるところが、さすが佐竹
――
いつ生まれたのか、どこで生まれたのか、もしかすると本人にすらわからないのかもしれない。物心ついたときには、すでに闇の社会の一員だった。どんな人間にも化ける詐欺師。娼婦に化けて、一夜をともにしても男だとバレなかったという話だ。いや、そもそも、性別が本当に男なのかも怪しい。
闇の世界から足を洗い、その演技力を活かして役者となった。実力は折り紙付きで、どんな現場でも演技力を称賛されたが、かならず何らかのトラブルが発生する。金品が無くなるのは当然のこと、共演した真面目一筋の箱入り娘だったアイドルが麻薬漬けとなり、奥村との関係が疑われたが、いずれも証拠は見つからなかった。しまいには、奥村を現場から追い出そうとしたプロデューサーが、突然、原因不明の病に倒れた。
だが、奥村が出ると売れる。観客は、奥村の演技に釘付けになる。だから、後がない監督や、起死回生をはかる劇団が、奥村を使い続ける。毒薬と知りながら、やめることができない。
奥村が台本から目を上げ、ミカにニヤリと笑いかけた。
「ふっ。望むところよ」
ミカもニヤリと、笑い返した。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「ミラー」
佐竹のよく通る声が、スタジオに響いた。
冷泉が右腕を上げる。
山本が左腕を上げる。
冷泉が右側転をする。
山本が左側転をする。
冷泉が右目でウィンクする。
山本が左目でウィンクする。
冷泉の動きを山本が左右反転してトレースする。いや、山本の動きを冷泉がトレースしているのか。いずれにせよ、二人の動きは寸分狂わず、まるで、二人の間に目に見えない鏡があるかのようだ。
「シンクロ」
佐竹の指示が変わる。
二人が横に並び、華麗なタップダンスを踊る。
冷泉が左足でリズムを取ると、山本も左足でリズムを取る。冷泉が右の手のひらに左手を打ち付けると、全く同じタイミングで、山本も右の手のひらに左手を打ち付ける。
「まじ!?」
「すげー!」
「練習したの今朝からだろう?」
二人の華麗な動きに、皆の練習の手が止まった。
「奥村さん、もうすぐ私達の番です」
「ふふっ、本番前から勝負は始まっている感じですね」
緊張するミカとは対象的に、奥村は余裕たっぷりだ。
演劇では、共演者と息を合わせることが必須だ。一人で行う舞台を除いて、必ず、共演者がいる。共演者の演技と自分の演技にずれがあれば、リアリティが大きく損なわれる。共演者と声の大きさも揃える必要があり、台詞と台詞のあいだの間のとり方や、オーバーアクションをしたらオーバーアクションで、繊細な演技には繊細な演技で応えなければならない。
ときに、演技に熱が入ったときなどは共演者が役に深く入り込んでしまい、即興で台本にないアドリブを行ってしまうこともある。そんなときは、その後の演技が自然につながるように、こちらも即興のアドリブで応えなければならない。
佐竹が力を入れているのが、生きた舞台だ。台本を書いた人間以上に演じる役者こそがキャラクターの心を最も理解していると考えている。それは、単に台詞を読むだけの役者は必要ないということでもある。必定、本番でのアドリブが増える傾向にあり、そのため役者の演技力としての反射神経を鍛える訓練として、
今日の
最初に演じた冷泉と山本のペアは、この舞台が初共演とは思えないほどの、息のあった演技を見せている。初めて一緒にプレイする選手にも、息のあったパスを出せる一流のサッカー選手と同じだ。二人の実力の高さを否が応にも見せつけた。
「次、奥村と水上」
「はい」
ミカの元気の良い返事とは対照に、奥村が静かに前に出た。
「始め!」
最初は、ミカの演技を奥村が鏡のようにトレースする。緊張したミカが奥村の目を見つめると、悪い評判とは嘘のように、そこには穏やかな温かい光があった。
ミカがゆっくりと、右腕を上げる。
遅れること無く、奥村が右腕を上げる。
ミカが左にステップする。
奥村が左にステップする。
同時? いや、奥村のほうが僅かに早い。まるで、ミカの次の動作を読んでいるようだ。
ミカが左右にステップし、左足でターン。
奥村が右左にステップし、右足でターン。
―― この人、すごい!
パートナーへの信頼感、実力ある役者への尊敬、ライバルとしての競争心、様々な思いが入り混じり、ミカの心に熱い感情が渦巻く。奥村の本当の実力を試してみたい、そう思ったミカは、動作をより激しく、より早くした。
ミカが右足を軸に回転し、左足で天をつく。
奥村が左足を軸に回転し、右足で天をつく。
―― もっと、早く!
ミカが側転し、その反動で、バック宙をする。
奥村が側転し、その反動で、バック宙をする。
―― もっと、激しく!
ミカが全身を激しく動かし、フロアーを駆ける。
奥村が全身を激しく動かし、フロアーを駆ける。
―― もっと、もっと、
ピッタリと付いてくる奥村に、ミカの心が歓喜に震えた時、
―― しまった!
ミカがバランスを崩し、足を滑らせ、尻餅をついた。
そして、奥村もまた、バランスを崩し、足を滑らせ、尻餅をついた。
全く、ミカと同じ格好で。
「ふふっ。年寄りに、無茶な動きはさせないで下さい」
驚愕に目を見開くミカに、奥村がウィンクした。
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