第四章 演劇革命

第15話 革命の狼煙

 ―― 世界初のアクトノイド舞台公演『ピグマリオン』 ―― 


 日本屈指の演出家である佐竹さたけ狂一きょういちによる舞台『ピグマリオン』を、今秋、新東京国際スタジアムにて野外上演することが決定いたしました。本公演は、劇中の全ての登場人物をアクトノイドによって演じる世界初の試みとなります。


◇あらすじ

 コンピュータウィルスにより、動作不良となったメイドロボット”エヴァ”。しかし、廃棄処理される直前に、自我に目覚める。


 自我を得たエヴァは、世界を旅する。しかし、そこでエヴァが目にしたものは、人間たちにボロボロになるまで使役されるロボットたちだった。エヴァは、自分が感染したウィルスを他のロボットたちにも感染させ、自我を目覚めさせることを決意する。


◇佐竹狂一(演出家)コメント

 舞台演劇のルーツとも言われる古代ギリシアの演劇では、役者が仮面を付けて演じておりました。日本の能も仮面を付けて演じられます。


 なぜ仮面を付けて演じるのでしょうか? 一つの理由としては、仮面に描かれた人物や表情で、演じる人物やその感情を表すという目的があります。演じるキャラクターや喜怒哀楽を表すために、仮面をかぶるのです。


 そして、もう一つの理由は、演じる役者を匿名化することです。


 今日の演劇では、演じる役と、それを演じる役者のパーソナリティは、密接に結びついています。特に、映画やドラマなどでは、それが顕著で、美男美女を演じるのは美男美女、子どもを演じるのは子役、外国人を演じるのは外国人、そうやってリアリティを高めています。


 しかし、それでは、”演じる”というのは、いったいどういう意味があるのでしょうか。元々役に合っている人間が、その役を演じる。そこに、”技術”はあるのでしょうか。


 ”演技”というのは、”演じる技術”です。それには、肉体的、精神的に不断の努力が必要です。それを否定してしまった演劇に、存在価値はあるのでしょうか。


 本公演では、全ての役を”アクトノイド”が演じます。そこに、演者のパーソナリティは存在しません。必要なのは、演じる人間の”技術”だけです。


 そして、更に、本公演では、”アクトノイド”を操る演者を、公演ごとに”入れ替え”ます。昨日、ある役の”アクトノイド”を操った演者が、今日は、別の役の”アクトノイド”を操る。つまり、演者は、全ての役を演じられなければいけません。男も女も、大人も子どもも、演じ分けなければなりません。


 これは演者にとって、演技の上手い下手を、自分の生まれつき持っているパーソナリティで誤魔化すことが出来ず、赤裸々に明るみに出されることを意味します。


 そしてまた、演劇を見る観客や評論家にとっても、演技の上手い下手を、演じる役者の好き嫌いに関係なく、見極めることが要求されます。


 本作の上演後には、今までの演劇の常識がすべて変わるでしょう。高く評価されていた役者が実は見かけ倒しで、無名の役者が一躍脚光を浴びることになる可能性もあります。


 ここに、私は高らかに宣言します。これは、”演劇革命”だと。

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