第18話 やるか、やらないか
「えっ? 何?」
誰かに揺り動かされて、ミカが目を覚ました。前夜、遅く戻ったため、寝不足気味の目をこする。
「たいへんです! 今日の舞台は中止です!」
仮眠室で寝ていたミカを起こしたのは、愛子の悲鳴だ。
「中止? 何言ってるの?」
「食中毒で、みんな、医務室に運ばれてます! 無事なのは、私達だけです!」
「えっ! 食中毒!」
ぼうっとしていたミカだが、一気に目が冷めた。
「いったい、どういうこと!」
「昨日のパーティの後、誰かが夜食を差し入れたみたいなんです。役者の方々は、あまり料理を食べられなかったので。どうも、その夜食が原因みたいで、外出してた私達以外は全滅です」
「佐竹さんは?」
「佐竹さんも倒れてます。意識が戻らなくて、指示が仰げないんです」
「そんな」
よりによって舞台の初日だ。ミカの顔が青ざめた。
「流博士は?」
「博士は、アクトノイドの調整をしてます。中止の決定が出るまでは、自分の仕事をするって」
「そう。みんなが、パニックになってるのに流石ね」
だが、流の作業も徒労に終わるだろう。あれだけぶち上げた『演劇革命』が、初日の舞台が中止となれば、今回の公演どころか、もう二度とアクトノイドそのものが舞台に立つことができない事態になりかねない。
「やっと、ここまで来たのに」
先程までのパニックが収まり、ミカが自分が置かれた絶望的な状況を認識した。
「悔しい」
「ミカさん」
気丈なミカが初めて見せる涙に、愛子も言葉を失う。
決まっていた役を降ろされ、絶望的な状況で初めてアクトノイドを操ったあの日、ミカの心に失っていた希望が蘇った。その後、アクトノイドとともに、一段一段、夢の階段を上がってきた。そして、ついに念願の大舞台に立つチャンスを手に入れた。
この『演劇革命』が成功すれば、もう、自身の体で演じることは二度と無い。それでも、自分の夢を叶えたい。自分の実力の真価を世に示せる時代を作りたい。昨晩、決死な思いで決めた覚悟が、こんな形で終わる。
「やっぱり、私は演劇の神様に愛されてなかったんだ。悔しい。悔しいよ」
ミカの目から溢れる涙が、一滴、また、一滴と勢いを増し、とうとうミカは泣き崩れた。
「ミカさん」
愛子は、号泣するミカを抱きしめることしかできない。泣き続けるミカを見て、愛子の目にも涙が溢れ出した。
「大丈夫です。ミカさんなら、これからも必ずチャンスがあります」
慰める愛子の言葉など耳に入らぬように、ミカは、ただ泣き続けるだけだ。
「こんなところで、何をしているんですか」
突然、仮眠室の扉が開き、泣いている二人の後ろから、声がかかった。
「奥村さん」
愛子が顔を上げると、奥村の怒り顔があった。
「役者が本番前に、顔を泣き腫らしてどうします。涙など、舞台で流せば十分です。さっさと立って準備をしなさい」
「準備?」
ミカが顔を上げた。
「今日は、初日です。お客様も大勢来ています」
「でも、みんな倒れて」
「それが、どうしました。あなたは、問題ないのでしょう」
ミカと愛子が、奥村の言葉を理解できないかのように、いまだ呆然とした表情を崩さない。
「普通の舞台なら中止ですね。しかし、今回の舞台は全てアクトノイドによる上演です。一人で複数の役をこなせば、公演は決行できる」
二人が理解できるよう、奥村が続けた。
「台本を加工して、スクリプトを作る。それをHMDに表示し、役の切替のタイミングで、パフォーマースーツの出力先を別のアクトノイドに切り替えれば、観客にはわからない」
「そんなこと!」
「流博士、どうですか? 技術的には可能ですか?」
奥村が部屋の入口を振り返ると、流博士が姿を現した。
「もちろん、技術的には可能です。しかし、」
「技術的に可能であれば、あとは演じるものの演技力次第です。パフォーマースーツの切り替えと同時に、別の役を演じればいい。私なら、可能ですがね」
奥村が不敵に笑った。
「一人舞台など、演劇の世界ではざらにある。もちろん、観客にも当然一人舞台だとわかる。だが、複数のアクトノイドを操れば、観客にはそれが一人舞台だとはわからずに、普通の舞台だと思うでしょう。特に、今回の舞台は匿名性を売りにしているから、誰がどの役を演じているのか公演終了後まで明らかにされない。もし、完成度の高い舞台が、実は一人の役者が全ての役を演じていたと明らかになれば、その役者は、かつてない栄光を手に入れるでしょう」
全滅した役者陣の中で、ただ一人、奥村は無事だった。
「まさか、あなた!」
愛子の顔が鬼の形相になった。
「自分を目立たせるために、みんなを!」
「やめなさい、愛子! 奥村さんは、そんな人じゃない!」
奥村に食ってかかろうとした愛子を、ミカが止めた。
「奥村さんは演劇を愛している。自分の手で舞台を汚すようなことは絶対にしない。一緒に稽古をした私には、わかります。演劇が好きでなかったら、あんな凄い演技はできない」
「ミカさん、……」
カッとなっていた愛子だが、ミカの言葉に、振り上げていた拳を降ろした。
「私は、佐竹さんには恩がある。佐竹さんに出会わなければ、私は決して舞台に上がることなどできず、どこかで野垂れ死んでいたでしょう。ですから、佐竹さんの舞台を絶対に失敗させたくないのです」
「じゃあ、奥村さんとミカさんの二人で、初日の公演をするということですか?」
「いや、そうじゃない」
奥村が愛子の言葉を否定した。
「今日は、佐竹さんがいない。誰かが、佐竹さんの代わりに演出を監督する必要がある」
「でも、佐竹さんの代わりなんか、誰にも、」
奥村が愛子の言葉を遮った。
「私は、佐竹さんとは付き合いが長い。彼の演出手法も熟知している。だから、私が演出を監督する」
「でも、それじゃ」
「そう。舞台は、水上さん一人で演じる」
「!」「!」「!」
奥村の発した一言に、3人が言葉を失った。
「水上さん、あなたに問いたい。一人で、全ての役を演じることが出来ますか。言うまでもないことですが、これは練習じゃない、本番の舞台だ。満足な出来ではないですが精一杯やりました、なんて言い訳は許されない。やるからには、完璧な舞台をお客様に見せる義務がある」
―― トクン。
ミカの心臓の鼓動が、体の中で大きく響いた。奥村の言うとおりだ。自己満足は許されない。
「できなければ、中止にしましょう」
たとえ一人舞台でも、本来の舞台と遜色ない出来の舞台を見せなければならない。いや、遜色ないどころか、それ以上のものを。
「どうしますか。やるか、やらないか。決めるのは、あなたです」
奥村の眼光が、ミカを射貫いた。
「やります。いえ、やらせて下さい! 台詞は全て入っています。それに、」
ミカが、愛子と流博士を見た。昨夜、たった二人の観客のために、ミカが自身の体で演じた、最初で最後の大舞台。まさしくそれは、ミカが一人で演じた一人舞台だ。
「最高の舞台を演じる自信があります」
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