第13話 絶体絶命

 白煙が満ちる廊下を、沙羅ミカが進む。


 ―― ほとんど視界が見えない。

 トレーラー内にいるミカには呼吸の支障がないはずだが、現実と寸分違わない臨場感の視覚に、本能的に息が詰まる。


 ―― 落ち着け。

 沙羅ミカが自分に言い聞かせ、階段を探した。


『ミカくん、五階のラウンジには中央の階段が一番の近道だ。煙が充満していて、生身の人間では無理だが、アクトノイドなら登れる』

「わかりました」

 流博士の指示に従い、中央階段の入り口を探す。


 ―― ここか。

 目の前にあるはずだが、真っ白で階段が見えない。

 一歩前に、足を踏み出す。


「痛っ!」

 沙羅ミカの頭が壁にぶつかり、ミカの頭にスタンガンのショックが走った。


『大丈夫か』

「大丈夫です。ちょっと、頭をぶつけただけです」

 目の前の空間を手探りし、壁のない場所を探す。


「階段がありました。これから登ります」

『よし。僕の方は、ビル内のフロアー図があるか探してみる。少しの間、離れるけど、すぐ戻る』

「わかりました。私は五階まで登ります」


 だんだんと最初の恐怖感が去り、呼吸には問題ないことを体が理解した。冷静さが戻ると、白い煙を通して、わずかながら階段が見える。


 ―― よし、登れる。

 沙羅ミカが、階段を駆け上がった。


##########################


「愛子くん、ちょっと来てくれ」

「はい」

 愛子が、トレーラーの荷台に駆け込んでくる。


「ミカさん! いったい、どうしたんですか?!」

 オペレーションスクエア中央で演技中のミカを見て、愛子が驚いた。


「ミカくんが沙羅を操って、ビルの中に取り残された女の子を助けにいってる」

「えっ!」

「僕は、このビルのフロアー図をネットで探す。愛子くんにも頼みたいことがある」

「わかりました。何をすればいいですか」

 愛子が真剣な顔で尋ねた。


「最近、同じような火災が起きてないか調べてくれ」

「同じような火災、ですか?」

 愛子が怪訝な顔をする。


「この火事はおかしい。このサイズのビルであれば、普通なら、防火扉とスプリンクラーが設置してあるから、延焼は防がれるはずだ。この火の回りの早さを考えると、正常に機能していないとしか考えられない。それに、未だに消防車が到着しないのも不自然だ。火事と同時に車の流れが止まるように、誰かが意図的に細工をしている可能性がある」

「それって」

「この火事は放火だ、間違いない。しかも、計画的な犯行だ」


##########################


 一気に五階まで駆け上がり、沙羅ミカの息が上がった。しかし、休んでいる暇はない。


「流博士、五階まで来ました。ラウンジは、どっちですか」

『そこから、南西の方角だ』

「南西って言われても、どっちだかわかりません」

『今、フロアー図を映す』

 博士の言葉が終わるや否や、ミカが見ているHMDに、フロアー図が半透明で合成表示された。


『この青い点が、今君がいるところだ』

 フロアー図中央に、青い点が示される。


『こっちの赤い点が、ラウンジだ』

 左の中央に、赤い点が表示された。


「わかりました。行きます」

 沙羅ミカが五階の廊下を走る。一階よりも煙が少なく見通しがいい。ぐんぐん進むと開けた場所に出た。


「ミキちゃーん!」

 沙羅ミカが、ミキの名を呼ぶ。


「ミキちゃーん、どこー! いたら、返事して!」

 沙羅ミカが、ミキの名を呼びながら、ラウンジの中を歩き回る。


「ミキちゃーん!」

 沙羅ミカの視界の中で、何かが動いた。


「ミキちゃーん!」

 ラウンジの机の下から、幼稚園児ぐらいの少女が現れた。


「ミキちゃん?」

 沙羅ミカが話しかけると、泣きべそをかきながら頷いた。


「博士、ミキちゃんを見つけました」

『よくやった。ミカくん』

「どこから脱出すればいいですか。中央の階段は煙が充満していて、生身の人間では無理です」

『今、ルートを調べてる。ちょっと待ってくれ』

「時間がありません。急いで下さい」

『わかってる』


##########################


「流博士、先月、隣の県でもビルの放火がありました。皆が避難した隙を狙って、窃盗が起きてます」

「やはり、そうか」

 愛子が調べたサイトを見ながら、流博士が絶望した顔で考え込んだ。


「博士? 早く脱出ルートを決めないとミカさんたちが」

「わかってる。ルートは一つしか無い」

「だったら、」

「だが、使えない」

 流博士が、愛子の言葉を遮った。


「それは、どういう意味ですか?」

「窓の様子を見ると三階には火災が発生していない。五階から三階まで、西の非常階段で降りて、三階のフロアーを横切った後、東の非常階段を降りるのが、残された唯一のルートだ」

「だったら、早くそれをミカさんに、」

「このビルの三階には、貸し金庫があるんだ」

 流博士が、愛子の言葉を再び遮った。


「それって、まさか」

「あくまでも可能性だが、放火犯がいるかもしれない。過去の事件をみると、犯人は複数で、警備員に発砲もしている。下手をすると鉢合わせになる」

「そんな」

 二人が、顔を見合わせた。


『流博士、ラウンジに煙が充満してきました。早くして下さい!』

 スピーカーから、ミカの声が叫んだ。


##########################


『ミカくん、よく聞いてくれ。まずは、西の非常階段を降りて三階に向かって欲しい。着いたら、また指示を出す』

「西の非常階段ですね。わかりました、すぐ移動します」

 流博士との通話を終了し、沙羅ミカがミキの前にしゃがんだ。


「ミキちゃん、よく聞いて。今から、外に出るからね」

「ママは?」

 ミキが泣きながら尋ねる。


「大丈夫。ミキちゃんのママは、外で待ってる。ミキちゃんとはぐれて心配しているから、早くママのところに行こうね」

「うん、わかった」

「じゃ、お姉ちゃんの手を握って。ミキちゃん、駆けっこは得意?」

「うん、ミキは幼稚園で一番、駆けっこ速いの」

「よし、じゃあ、廊下の向こうまで、お姉ちゃんと競争だ」

 沙羅ミカがミキの手を取り、早足で廊下を駆けた。


「ミキちゃん、ハンカチ持ってる?」

「うん、持ってる」

「じゃ、そこの水道で濡らして、マスクにしよう」

 途中にあるパントリーに立ち寄り、ミキのハンカチを水道で濡らす。


「ここが、非常階段か」

 沙羅ミカがドアのノブを回すと、何の抵抗もなくドアが開いた。

「よし、まだ煙がここまで来てない。ミキちゃん、危ないから階段はゆっくり降りようね」

「うん」

 沙羅ミカとミキが手をつなぎ、階段を一段一段、ゆっくりと降りる。


「ここで四階」

 だんだんと煙が濃くなる。ゲホゲホ、ミキがむせた。


「もうちょっと我慢してね。よし、三階に着いた。廊下に出よう」

 三階から下は煙が充満し、熱気が押し寄せてくる。その熱気におされるように、沙羅ミカとミキが、非常階段の扉を開け、素早く廊下へと足を踏み入れ、すぐさま扉を閉じた。


「博士、三階に着きました。これから、どうすればいいですか」

『フロアーの反対側にある東の非常階段を降りれば、外に出られる。だが、気を付けてくれ。そこには、放火犯がいる可能性がある』

「放火犯!?」

『そうだ。三階には貸し金庫の業者が入っている。今回のビル火災は、それを狙った放火に間違いない。同じような事件が、先月も起きてるんだ』

「そんな」

『うまく、見つからずに通り抜けることができれば助かる。ここからは、慎重に進んで欲しい。できるだけのサポートは、こちらでもする。連中が逃げるまで、待てればいいんだが』

 流博士の言葉を待っていたかのように、非常口扉から煙が漏れてきた。


「無理です。ここにいたら、すぐに火が回ってきます。私が偵察に行きます。どこかにミキちゃんを隠せる場所はないですか」

『三階のフロアーにも、五階と同じ位置にラウンジがある。そこなら、ミキちゃんは安全だ』

「わかりました。まずは、ラウンジに行きます」

『貸し金庫は、ラウンジの先にあるから、ラウンジまでは安全なはずだ』

 沙羅ミカがミキの手を引いて、慎重に歩を進める。火事で皆避難していれば、このフロアーは空のはずだ。少しでも怪しい動きがあれば、流博士の推測が当たっていることになる。


 無事、ラウンジについた沙羅ミカは、ミキの頭をなでながら、机の下に隠れるように言った。

「すぐ、戻ってくるからね」

「いや、いかないで!」

 ミキの、置いていかれる恐怖ですがるような目が辛い。だが、万が一、放火犯がいたら、ミキも巻き添えになる。


「大丈夫、絶対戻ってくる。指切りげんまんしよう。『指切りげんまん、嘘ついたら針千本飲ーます』。ほら、これで、もしお姉ちゃん戻らなかったら、針千本飲まなきゃいけない。だから、お姉ちゃんを信じて」

「わかった」

 ミキが泣きながら頷いた。


「よし」

 ミキを残し、沙羅ミカがそっと、ラウンジを後にする。壁に沿い、体を隠しながら廊下を進むと、ドアの前に覆面をした男が二人立っていた。


 ―― 放火犯だ!

 流博士の推測が当たった!


「流博士、貸し金庫がある部屋の前に男が二人立っています」

 沙羅ミカが、小声で囁く。

「なにか、喋っているようです」

『沙羅のマイクの感度を調整してみる。少しだけ、沙羅の耳を男たちの方に向けてくれ』

「はい」


##########################


 スピーカーから、男たちの声が聞こえてきた。


『今度も楽勝だな』

『ああ。さっさと貰うもん貰って、ずらかろう』

『逃げるときに、ここも爆破しとけよ。証拠が残らないようにな』

『当然。言われなくてもわかってるさ』


「博士!」

「まずいことになった。警察は間に合いそうもない」

 二人の顔が蒼白になった。


##########################


 ―― ここにいたら、焼け死ぬ。

 沙羅ミカは、それでもいいだろう。所詮はロボットだ。損害はあるが、また、作ればいい。だが、ミキはどうなる。人間の命は、一つだけだ。


 ―― やるしかない。

 ミカは覚悟を決めた。


「流博士、二人を倒して進みます」

『待て、ミカくん。無茶だ。あいつらは、銃を持っている可能性がある。二人の他に、まだ仲間もいる。君一人じゃ無理だ』

「ここにいたら死にます。それも、死ぬのは、私じゃなくてミキちゃんです。他に選択肢はありません」

『しかし、……』

「集中するので、一旦通話は切ります」

 流博士の言葉を途中で遮り、ミカが通話スイッチを切った。


 ―― まずは、一人おびき寄せる。

 沙羅ミカが、廊下に落ちていたガラスの破片を拾い、男の一人に投げつける。


「なんだ!?」

 どこからともなく飛んできたガラスの破片に驚き、男たちの間に緊張が走った。


 沙羅ミカが、さらにもう一つ、ガラス片を投げる。


「おい、ちょっと見てこい。誰か、残ってるかもしれねぇ」

「くそっ。どこのどいつだ」

 男が一人、こちらに近づいてくる。右手には警棒を持っている。


 ―― こっちは素手だ。だが、隙を付けばいける。

 沙羅ミカが、廊下のかどに音を立てずに潜み、男が、一歩、一歩、近寄るのを待った。


 そして、男が角を曲がった瞬間、問答無用で、左の足先を男のみぞおちに蹴り込んだ。

「うげっ」

 激痛で男が反射的に体を折り曲げる。すかさず首筋に手刀を叩き込むと、男は悲鳴を上げる暇もなく、昏倒した。


 ―― あと一人。

 倒れた男から警棒を取り上げ、右手に握る。


「おい、どうした」

 もうひとりの男が異変に気づいた。今のような奇襲は、もう通用しない。男が周囲を警戒しながら、ゆっくりと歩を進める。そして、その手には拳銃が握られていた。


 ―― まずい!

 沙羅ミカが素早く斜め後ろに後ずさると同時に、男が角に飛び込んで、銃を連射した。寸前まで沙羅ミカがいた場所を、銃弾が貫く。


 沙羅ミカが男に警棒を投げつけたが、男はそれを左腕で払う。直後、沙羅ミカが身を沈め、男の腹にアッパーカットを叩き込んだ。しかし、男は、衝撃を耐え、逆に沙羅ミカの顔面を、右の拳で殴った。


 ―― バチッ

 ミカの顔面にスタンガンの火花が散る。だが、アドレナリンがその痛みを無視する。


 沙羅ミカが男の股間を蹴り上げた。グッと呻いた男の顔面に、膝撃ちを連続して叩き込む。男がバランスを崩した隙きを狙って、今度は、回し蹴りだ。


 男の体が床に沈む。


 だが、沙羅ミカが勝利を確信した瞬間、気を失う寸前に男が放った銃弾が、沙羅ミカを直撃した。


 ミカの体に、電撃が走る。


 沙羅ミカが、仰向けに倒れた。

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