第8話 愛してその醜を忘る(前編)

「ダメだー! 絶対に許さ-ん!」

 ながれ博士の感情的な声が、研究室に響いた。

「博士、落ち着いて下さい」

「ぼ、僕の紗弥さやが、他の男に触られるなんて」

 愛子がなだめるが、流博士の顔は真っ赤だ。


「そんなの、耐えられない」

 そして、いきなり泣き出した。


 机に突っ伏して、子どものように泣く流博士を、ミカが冷めた目で見る。


「女優をパートナーにしてるんだから、諦めなさい」

 突き放すミカ。


「紗弥は、本来、女優じゃない! そういうことなら、紗弥には仕事を辞めてもらう!」

「今更そんなこと言ったって、遅いでしょうが。男なら、紗弥がどんな仕事をしようが、全て受け止めるべきなんじゃないの」

「そんなわけにいくか! 今回の仕事だけは絶対ダメだ!」


 ―― 困ったなぁ。

 ミカがため息を付いた。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 今回、アクトノイドに来た依頼。それが、映画『愛してその醜を忘る』のヒロインだ。監督は、戦場カメラマン出身という異色の経歴を持つ沢渡さわたりけん。『目を背けたくような光景であっても、それが真実であるならば、たとえ無理やりであっても、見せつけなければいけない』というのが彼のポリシーである。


 そんな沢渡が目をつけたのが、醜男と美女が交わす真実の愛。昔ながらのテーマで、ディズニーのアニメ映画にもなった”美女と野獣”は、その代表作だ。しかしながら、この手の作品の多くはエンターテイメントとして脚色され、醜い男という設定でありながらも、演じる俳優の顔立ちは整っていたり、見事な肉体美を備えたりしていることが多い。


 それでは作品のテーマが伝わらない、そう考えた沢渡は、本当に醜男をキャスティングした。演じるは後藤ごとう琢也たくや。豚也と誤変換される(意図的か?)ことも多々ある、ハゲヅラ、油汗がひっきりなしに流れる太鼓腹、長年の喫煙と飲酒のせいか歯が抜け落ち、残っている歯もヤニで変色して、その口臭はスカンクにも負けないという噂の、アングラ劇団所属の売れない中年役者だ。


 しかしながら、その相手役は、とっびきりの美女でなくてはならない。この世のものとも思えない美女と、この世のものとは思えない醜男が、公開できるギリギリの濃厚なラブシーンを演じる。それが、沢渡の狙いだ。


 だが、肝心の相手役のキャスティングで壁にぶち当たった。トップクラスの女優には、全て門前払いされた。演技力には目をつぶるかと、演技経験の乏しいモデルや、はては、美貌の風俗嬢(フードルと呼ばれる)にも声をかけたが、ことごとく断られ、さすがにこれはお蔵入りかと諦めたときに、アクトノイドの存在を知り声をかけてきたのだ。


 アクトノイドの存在意義を高める絶好のチャンスと、愛子とミカは乗り気だが、自分の愛する紗弥が、濃厚なラブシーンを演じると知った流博士が、強硬に反対している。


 しかし、この問題は、くだらないと一笑に付すことができないのも事実だ。自分のパートナーが、自分以外の異性と密接な関係を持つ。俳優同士であれば、自分が演じるときの状況を鑑み、仕事なのだからと割り切れても、そうでなければ、なかなか難しい。

 そして、演技だと割り切っていても、恋人同士を演じた役者同士が、実際に恋愛関係に発展するケースがあることも事実だ。人間の心と体は、密接につながっている。


 ―― 心と体がつながっている?

 これが、流博士を説得する鍵かもしれない。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


「博士、そんなに怒らないで下さい」

「紗弥を使って、説得しようとしても無駄だ」

「そんな事言わないで、話を聞いてくださいよー」

 紗弥が流博士にしなだれかかる。


「無駄だと言ってるだろう、僕の決心は変わらない」

「もう、お仕事なんだからしょうがないじゃないですかー。機嫌直して下さいよー」

「ミカくん、しつこいぞ!」


 ―― やっぱり。

 紗弥ミカの態度がかしこまった。


「博士、なんで紗弥を操っているのが、私だってわかったんですか。声はフィルターをかけているし、口調も愛子を真似ているので、そう簡単にはわからないはずですが」

「なんとなく、ミカくんのような気がしただけだ」

「つまり、博士は外見ではなく、中身で判断したということです」

「それがどうした」


 ―― よし、博士が話を聞く気になってくれた。


「以前、博士が『不気味の谷』の説明をしてくれました。その時、博士はAIで紗弥を動かした時、怖くなったと言ってましたよね」

「あぁ、それで?」

 流博士が、不機嫌に応える。

 

「つまり、博士は、紗弥を外見ではなく、中身で判断しているということです」

「単に、AIでは、見た目を人間そっくりに動かせなかったというだけのことだ」

「そうでしょうか」

「そもそも、ロボットに心なんかない」


 ―― そのとおりだ。だとすると、疑問が起こる。


「だったら、なんで、博士は紗弥のことが好きなんですか?」

「それは、僕が生身の女性とまともな人間関係を築けないからだ」

「本当にそうでしょうか?」

「君には、僕の気持ちはわからない」

「もしかすると、博士よりもわかっているかもしれませんよ」


 ―― それを今から確かめる。


「流博士」

 紗弥ミカが、流博士の目を見つめる。そして、両手で博士の顔を挟み、唇を寄せた。


「ちょっと、何するんだ!」

 流博士が、紗弥ミカを突き飛ばした。


「私のこと好きなんじゃないんですか?」

「ミカくん、落ち着け!」

「博士は、紗弥のことが好きなんですよね。だったら、いいじゃないですか。そもそも、博士は紗弥と触れ合うために作ったんじゃないんですか」

「そういう問題じゃない!」

「何が問題ですか」

「何がって、君はミカくんじゃないか」


 そう言って、流博士がふと考え込んだ。

「なんだか、何を言ってるんだか、自分でもわからなくなってきた」


「同じ体でも、心が違えば、それは別人だと言うことです。博士は、最初は理想の女性の姿を想像して紗弥を作ったんだと思います。でも、それはあくまでも機械でしかなかった。だから、AIでは違和感を感じたんです。でも、愛子が先生を手伝って紗弥を操るようになってからは、紗弥を生きている存在とみなすようになった」

「そう言われてみれば、そうなのかもしれない。やはり、実際に人間が操ると、不自然さがなくなる」


「それだけじゃ、ありません」

 ミカが続ける。


「博士は、今、私が動かしている紗弥と、愛子が動かす紗弥と、どちらが好きですか?」

「どちらがって、どちらも人間が動かしているんだから同じじゃないか」

「本当にそうですか? よく考えて下さい」

 ミカの言葉に、流博士が戸惑う。


「私の目には、愛子が動かしている紗弥といるときの方が、楽しそうに見えます」

「言われてみれば、たしかにそうかも知れない。僕は、愛子くんが動かす紗弥を、愛してるのかも」

 流博士が、自分の心を確かめるように言った。


「そうじゃ、ありません」

 しかし、ミカが流博士の言葉を否定する。


「博士は、が好きなんです」

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