第二章 どんな役でも演じます

第6話 子どもの世界(前編)

 ブルースクリーンの前で幼女が演技をしている。天然パーマと思しきカールした若干栗色っぽい黒髪、くりっとした目鼻立ちは、ちょっと西洋人ぽいが日本人の顔だ。年の頃は3歳から4歳といったところで、監督からの指示に従って、化け物に襲われるシーンを演じている。


「わっ、わっ、」

 恐怖に見開いた目は、この世にあるはずのないものに怯え、叫び声を出そうとしても喉がつまって声が出ない、全身が恐怖に震え、泣き出したいのだが、怖すぎて泣けない、そんな感じだ。

 幼女が、一歩、一歩、あとずさる。振り返って走り出したいが、ちょっとでも目を離したら、ムシャムシャと頭から、化け物に食べられてしまう。


 撮影するカメラマンの顔も、幼女の迫真の演技に、あんぐり口を開けている。まるで、見えない化け物が見えているかのようだ。ADも、息を呑む。


「カット」

 監督の声がかかり、現場の緊張感がほどけた。


「すげぇ」

「これが、アクトノイドか」

「本物の子どもにしかみえないな」

「これなら、子役が使えない現場でも撮影できますね」

「大人の俳優顔負けの、迫真の演技だ」

 口々に称賛の言葉が交わされる。


「どうですか、児島こじま監督。これで、監督の撮りたかった作品が撮影できますよ」

 明るい笑顔で話しかけたプロデューサーだったが、監督の表情を見て、顔がこわばった。


「全然ダメだな」

 児島の発した一言で、現場にみなぎっていた陽気な雰囲気が消えさった。スタッフ全員が凍りつく。


「全く、話にならん」

 児島が幼女を怒鳴りつけた。


 怒鳴られた幼女が泣きそうな顔になる。


「おい、お前は、俺をバカにしているのか」

 ドスの利いた声に、幼女が涙をこらえてイヤイヤをする。


 児島が、のしのしと幼女に近づく。幼女は後退りするが、ブルースクリーンがあって、それ以上逃げられない。


 児島の影が幼女に覆いかぶさった。幼女の顔が恐怖に歪む。


「それが、嘘っぽいってんだよ! 中身が大人だって、ばればれだろうが! お前は名探偵コナンか! 役作りから、やり直してこい!」


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


「くそー、あの爺い」

 ミカが、ながれの研究室で、お菓子を食べながら足をジタバタさせた。


「こんな、かわいい子に向かって、怒鳴ることないじゃん。本当の子どもだったら、トラウマになるっての」

 そう言いながら、目の前にいる幼女をみつめる。


「あー、何度見ても、かわいいわー」

 幼女に抱きついたミカを、

「ちょっと、お菓子のついた手で、美登利みどりに抱きつかないで下さい」

 ながれ博士がたしなめた。


「僕の美登利みどりって……。博士のロリコン!!」

「何をいってるんだ君は。そもそも、ロリコンというのは、思春期前後の少女に対して性的指向を持つ中年男性を指す言葉だ。美登利のような幼女に対して性的指向をもつ場合は、小児性愛、ペドフィリア障害と呼ばれる精神障害だ」

 呆れるミカに、流が生真面目に答える。


「……。えっと、つまり、博士には精神障害があるということでしょうか?」

 ミカが、異常者を見るような冷たい目をした。


「失礼な。僕はいたって普通だ」

「いたって普通ってことは、ない気もしますが」

「美登利は、僕の大切な娘だ」

「む、娘ですか!?」

「そうだ。美登利は、僕と紗弥さやの娘だ」


 紗弥。流博士が作った若い女性そっくりのロボット。

 そして、美登利。流博士が作った幼女型ロボット。


「あ、頭が痛くなってきた……」

 頭を抱えるミカに、

「頭痛薬なら、常備薬の箱に入ってますよ」

 流博士が、棚を指差した。


「すみませーん、話についていけなんですけどー」

 愛子が、いいタイミングで話を遮る。


「僕と紗弥の身体的特徴から、仮想のDNAパターンを作りました。それを元にして、生まれる子供の確率的に高い身体的特徴をシミュレートして造ったのが美登利です。美登利の髪は、僕の遺伝的特徴を受け継いでいて、目と鼻の形は、紗弥の特徴を受け継いでいるんです。つまり、美登利は、ただの幼女型ロボットではなく、僕と紗弥の実の娘だと言っても、過言ではないんです」


 ―― 過言ではある。

 真剣に語る流博士の気分を害しないよう、ミカは言葉を飲み込んだ。


「す、すごいです! まさに博士の愛の結晶です。私、感動しました!」

「ありがとう! 僕の切実な気持ちをわかってくれるのは愛子くんだけだ」

 目をうるませる愛子と、全身で喜びを表現する流博士のノリに、ミカはついていけなかった。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


「というわけで、監督からダメ出しくらったの」

「ミカさんの演技にダメ出しするなんて、厳しいですね」

「ただ、ちょっと私も違和感は感じてたのよね。今ひとつ、小さい子の気持ちがつかめなくて」

「さすがは、『永遠の少年』ですね」

 愛子が感心する。


 ―― 児島こじまいさお

 『永遠の少年』の異名を持つベテランアニメ作家。多くの人が忘れてしまっている子ども時代の記憶を、鮮明に持っていると噂される。

 児島の作品にでてくる少年少女たちは、アニメーションの名のごとく、まるで生命をもっているかのように活き活きと描かれ、商業的成功は言うに及ばず、アニメ・実写を問わず世界中の映像作家からも尊敬される、アニメ界の巨匠だ。


 一方で、その実力だけでなく破天荒な行動も有名であり、とある作品では、ベテラン声優の演技が作品に合わないと、収録済みであるにも関わらず全て白紙にして素人を起用した。棒読みの演技は公開当時、大批判を浴びたが、しかし、二度、三度と観る度に、逆に素朴な作品にはこの人選しかありえないと思わせ、その手腕が更に喝采を浴びることになった。


 齡70を超え、未だ創作意欲の衰えぬ児島だが、何を思ったか『アニメなど見てるとバカになる』と突然言い出し、実写による子ども向けのファンタジー作品を作ると宣言したのだ。この発言には、今まで多少の言動には我慢していた業界関係者たちも、さんざん世話になったアニメ業界をバカにしていると怒り心頭で、今回の作品が失敗したら、さすがに再起は不可能だと、追い詰められている。


 ―― 児島の新作『初めてのお使い』

 3歳の子どもが初めてのお使いに出かける。しかし、行く先には、次々と困難が待ち受ける。

 通り道で吠えかかる近所の犬。

 追いかけてくる乱暴な幼稚園児。

 大通りを走るトラック。


 それらが、子どもの目には、『ケルベロス近所の犬』や『トロール幼稚園児』、『巨大な魔物トラック』に写る。困難を乗り越えて、なんとか店に辿り着くが、途中で財布を落としたことに気付く。初めてのおつかいに失敗し、泣きじゃくる子どもに、更に追い打ちをかけるように、『トロール』たちが襲いかかる。

 しかし、幼稚園児たちは、子どもが落とした財布を拾って、子どもに渡すために、ずっと追いかけて来ていたのだ。

 お使いを無事に済ませ、幼稚園児たちに守られながら歩く帰り道。大通りは横断歩道ではなく、陸橋を渡る。陸橋の上から見る景色は、鳥になって空を飛んでいるようだ。怖かった近所の犬は、よく見ると妖精のように愛らしい。


 初めてのお使いで、ちょっぴり成長した子どもの視点を、実写と特撮を交えて描く、児島が長年温めてきた企画だ。演じられる子役がおらず、ずっとお蔵入りだったが、アクトノイドの存在を知った児島が、ロボットの製作費は全部出すからと依頼してきた。ミカたちにとっても、願ってもない千載一遇のチャンスだ。


「役作りのために、美登利で、街を歩いてこようと思う」

「親バカの流博士が、許してくれなさそうな」

「私もそう思う。だから、愛子にちょっと協力してもらいたいの。私が美登利で出かけてる間、紗弥を操って、流博士の気を引いて欲しいんだ」

「えっ? 私が?」


 ミカの提案に、少し思案した愛子だったが、

「それ、面白そう! 博士と、紗弥と、美登利で、ホントの家族みたい!」

 快く引き受けた。

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