第5話 ひれ伏せ、我が足下に
「全然、ダメだな」
「まぁ、ロボットが演じるなんて、どだい無理でしょう」
「見た目はすごいけどな。顔だけアイドルを、もっとひどくした感じかな」
アクトノイドの試験公演。第一幕は、散々な出来だった。紗弥に化粧を施し、衣装を着せたまでは良かったが、いざ、本番となると、まさに大根役者だった。
「
愛子が泣きそうな顔で謝る。
「愛子くんのせいじゃない。もともと、無理だったんだ」
流の顔も沈んでいる。この公演が失敗すれば、もう後がない。愛しの紗弥も、やがてメンテナスができなくなり、無残な姿となるだろう。そんな姿をみるぐらいなら、いっそこの手でスクラップに、いや、想像するだけでも心が引き裂かれそうだ。
紗弥が演じるは、亡くなった先代の王が
悩んだ姫は、かつて玉座を奪われ非業の死を遂げた女王の霊を呼び出し、自分の体に取り憑かせることで、家臣たちを跪かせる。しかし、取り憑かせた女王が次々と打ち出す過酷な仕打ちを止めるため、一つの体を2つの魂が取り合う。その、刻々と変わる人格の演技が、この劇の見どころだ。
しかし、このまま第二幕が始まれば、女王の霊を呼び出す前に、家臣たちの反乱が成功しそうな勢いだ。この劇の演出家は、その日の役者の演技の出来次第で、ストーリーを変えることも辞さないという破天荒な人間で、主役が途中から舞台を去ることも度々ある。そして、この舞台から途中退場させられた役者は、才能のない役者とみなされ、この劇だけでなく芸能界からも追放だ。
誰かの失敗は、誰かの成功。
いなくなった席は、すぐに埋まる。
劇中の家臣団のように、反乱の成功を自分の成功に重ねる共演者たちは、アクトノイドの失敗を望む姿勢を隠すこともしない。
第二幕の準備をするために、パフォーマースーツの準備をする愛子は、その見えない恐怖に震えていた。
「愛子くん。もう、やめよう。無様な姿をさらさなくてもいい。第二幕に出なくても、演出家が適当に話をつなげる。僕たちは失敗したんだ」
「でも、……」
「本当に、今までよくやってくれた。もう十分だ。こんな僕のために、今まで力を貸してくれて、本当にありがとう」
「流博士」
愛子が目を伏せる。
「ごめんなさい」
今までなんとか保っていた緊張の糸が切れ、愛子が泣き出した。
「じゃあ、演出家に言ってくるよ」
そう言って、アクトノイド用に特別に用意された楽屋の扉を、流が開けようとした時、一人の女性が入ってきた。
「ミカくん」
涙目になった流の前に、ミカが現れた。そして、部屋に入ると同時に、深々と頭を下げた。
「申し訳ありません。博士にも、愛子にも、ひどいことを言いました。私にチャンスをくれたのに、私はそれを踏みにじりました」
「ミカさん」
頭を下げるミカを、愛子も涙目でみつめる。
「こんなことを言える立場じゃないことはわかってます。でも、お願いします。私にチャンスを下さい。私に、アクトノイド・パフォーマーをやらせてください」
「しかし、準備が」
「台本なら、全て頭に入ってます。愛子が送ってくれていました」
ミカが、ありがとうと言う目で、愛子を見つめた。
「モーションキャプチャー・アクターをやってきたので、要領はわかってます。必ず、舞台を成功させます。私を舞台に立たせて下さい。お願いします」
ミカが、再び、深々と頭を下げる。
「本当にできるのか?」
流の疑問に、
「ミカさんなら大丈夫です」
愛子が太鼓判を押した。
「よし。じゃ、ミカくんがパフォーマースーツを着るのを、愛子くん、手伝って下さい。僕はチューニングの準備をします」
「はい!」
「はい!」
二人の声が揃った。
「ミカくん、来てくれてありがとう」
流の顔に、希望の光が灯った。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
―― これが、アクトノイド
パフォーマースーツを装着し、フルフェイス型HMDをかぶったミカの眼前に広がるのは、まるで自分の目で見ているかのような視界だった。
―― 光線空間ディスプレイ
従来の画素を二次元配置したディスプレイとは全く違う原理で、3次元空間を進む光の方向を再現する。再現された映像は、水晶体のピント調節をも可能とする完全な立体映像となり、原理的には裸眼で得られた視界と区別がつかない。アクトノイドの目と、ミカの目は、まさに一体となっている。
ミカが腕を動かすと、アクトノイドの視界には、ミカの動きそのものを再現したアクトノイドの腕が映りこむ。こうなると、自分の体を動かしているのと、視覚的には寸分変わらない。
「ミカくん、チューニングをするから、ゆっくり歩いて」
ミカが足を前に出す、すると視界が動いた。ミカが前に進むと、視界も前に進む。あまりに自然すぎて、違和感など全く無い。
「す、すごいです! これ、私の体です!」
「あとは聴覚を切り替えれば、まさに君は、紗弥と一心同体だ。準備はいいかい?」
「はい、大丈夫です」
「では、切り替える。ミカくん、後は君次第だ。頼んだぞ」
すべての音が消え、静寂に包まれたのは、一瞬だった。音が戻ると、舞台袖のざわめきが聞こえた。共演者たちの開幕前の緊張した息遣いが聞こえてくる。
―― 今、私は舞台袖にいるんだ。
久々の、しかし、懐かしい感覚が、ミカを包んだ。
舞台袖にある姿見を覗くと、豪華な衣装に包まれた紗弥の姿が写し出された。
―― きれい。こんなふうに生まれたかった。
いや、今見ている姿は自分だ。今、自分は自分自身を見ている。欲してやまなかった美しい容姿を、今、自分は手に入れた。もう、言い訳はできない。成功するも失敗するも、全て自分の実力次第だ。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
劇場が、暗くなり、第二幕開始のブザーが鳴った。
会場内の私語はやまない。アクトノイドの無様な演技を、笑おうと待ち構えている。
幕が上がった。しかし、壇上は、暗いままだ。
照明の故障か? と皆が危ぶんだ時、声が響いた。
『力が欲しいか』
アクトノイドの、いや、ミカの声が闇に響く。その一言が、劇場を黙らせた。
『お前は、力が欲しいのか』
地獄の底から声が響く。
『欲しい。この国を救うため、お父様の思いを引き継ぐため、力が欲しい!』
地獄の底から響いてくる声と、同じ声色の声だ。しかし、弱々しく、
『ならば、お前の体をよこせ! お前の体を我に捧げよ! お前の体を我にゆだねよ! さすれば、お前の願いを叶えてやろう。父の望みを継いでやろう。この国を救ってやろう』
これは悪魔の誘惑だ。決して望みなど叶わないことは、聞く人、全てがわかっている。しかし、他に選択肢がないことも。
『我が身を委ねます。我が身を捧げます。どうか、お父様の思いを。どうか、この国を……』
弱々しい声が途切れ、そして、完全に消えた。
直後、照明が一斉に点灯し、舞台を昼の明るさが包んだ。王の間では、家臣たちが、めいめいに雑談をしている。
「さて、女王様は、どんなご様子だ」
「我らの顔が、怖くて震えているんじゃないか」
「お人形のように、御座して下されば、十分」
「夜も、楽しませて差し上げますからに」
家臣たちの笑い声が、舞台に響く。しばし、歓談が続いた後、王の間の扉が、ゆっくりと開く。そして、扉に顔を向けた家臣たちの表情が固まった。
女王が、王の間に現れた。
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アクトノイドの目を通し、ミカの目に舞台と観客席が映る。スポットライトに照らされた壇上は、温度センサーのないアクトノイドの体を通しても、熱気に包まれていることがわかる。
―― 今日が始まりだ。この一歩一歩が、未来につながる。
仄かな明かりに照らされた観客席は、暗い夜の海だ。波一つない凪いた海に浮かぶ巨大な筏のような舞台へと、一歩足を踏み入れる。
―― ゾクゾク
観客の視線が集まるのを感じる。体が緊張感に包まれる。かつて、生身の体で感じたものが、アクトノイドの体でも感じる。
―― ここだ。
しかし、ミカが感じた緊張は一瞬だった。瞬く間に硬直が消え、逆に安堵に包まれる。まるで、自分の寝室のような、生まれてからずっと過ごしてきた部屋のような、懐かしさと穏やかさに包まれる。
―― ここが、私のいる場所だ。
体の底から溢れ出す力を感じ、ミカは歓喜に震えた。
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『道を空けよ』
第一幕の、自信無げな、おどおどとした歩みとはぜんぜん違う。姿形は同じでも、中に存在する魂が違っているかのようだ。
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「すごい」
パフォーマースーツを着たミカの姿に、愛子の口から思わず言葉が漏れた。目に前にいるのは、黒ずくめのスーツを着た人間だ。黒ずくめのスーツを着た人間が歩いている、それだけだ。
しかし、愛子の目に映っているのは、女王の歩みだった。
「これが、ミカさんの本当の実力なんだ」
ミカの実力に関しては疑いをもっていなかった愛子だったが、以前に見た、オーディションや、ボディダブル、モーションキャプチャーの演技とは次元が違う。本番の舞台に立つ女優の凄みに、愛子は圧倒された。
「愛子くん、椅子」
「えっ?」
流の言葉に、はっとする。
「あ、はい!」
慌てて、玉座をもした椅子を用意し、オペレーションフィールドの所定の位置に設置する。
「もう少し、右に」
「はい」
アクトノイドが玉座に着座するシーンを演じるにあたり、ミカもまた何かに腰掛ける必要がある。
「ここらへんは、もう少し改良が必要だな。スクリーンにマーカーを表示できるように改良しよう」
冷静に流が状況を把握する。椅子の配置がずれてしまえば、大惨事だ。どこか改善点がないか、休みなく常に考え続けるのは、流が、残念イケメン、いや、天才研究者たる所以だ。
「あと一息だ、頑張れ」
流が、祈るように呟いた。
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モーセの前で海が割れたように、家臣たちが自然に退き、
『お前たち、なにをしておる』
天使のような美しい顔から放たれたとは思えない冷たい声に、家臣たちが恐怖に震えた。
『
『頭が高い! 我にひれ伏せ!』
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”ロボット俳優は人間を超えるか?” -映画評論-
”衝撃の問題作” -ワールドエンタ-
”批評家絶賛” -週間アクトレス-
”しょせんは偽物” -演劇マガジン-
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「アクトノイドの将来性」
賛否両論を巻き起こした問題作『二人の女王』の公演が終了した。公演開始当初、ロボット女優見たさの興味本位の観客が他半を占めていたが、公演終了間際には、熱心な演劇ファンが詰めかけることとなった。
アクトノイド(俳優とヒューマノイドを合わせた造語)の開発元では、アクトノイドの演技は、プログラミングされたものではなく、パフォーマーの演技をそのまま反映したもので、あくまでも従来の演劇の延長線上であると主張している。
現状、業界ではキワモノとして反発する声が多勢を占めているが、アクトノイドの需要が高まることは、事実として認めざるを得ないことであり、今後、アクトノイドが演劇界にどのような影響を与えるのか、注意深く見守る必要がある。
なお、著者は、アクトノイドの是非について言及する立場ではないが、一演劇ファンとして、『二人の女王』の主演を演じた、アクトノイド
秀でたものを秀でていると認めることが、私の職業人としてのポリシーであり、義務である。
演劇評論家 中条守
―― 第一章 了 ――
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