第2話 残念イケメン

 数日後、ミカは愛子に誘われて、お台場にある複合ビルを訪ねた。


「研究所って、もっと田舎にあるのかと思った」

「今は地下鉄ができて便利になりましたけど、昔はここも陸の孤島でしたから、土地が安くて研究所がたくさん作られたんですよ。今なら、潰してホテルにした方が儲かりそうですね」

 愛子は、なにげに経済観念が、しっかりとしている。


 入口のドアをくぐると受付があり、愛子が受付ロボットに話かけた。

「10時にながれひかる博士と予約している本城ほんじょう愛子です」

「本城様デスネ。コチラノ、バッジヲ、オツケクダサイ。エレベーターノ電子ロックハ、自動デ解錠サレマス」

「どうもありがとう」

 愛子が受付ロボットから、バッジを2つ受け取った。


ながれひかる!? なにそれ、ニックネーム?」

「本名だそうです」

「マジで!?」

 研究者らしくない名前に、ミカが驚いた。こんなキラキラネームを付けられたら、親を恨むだろう。まるで、ホストクラブの源氏名だ。


 二人は、関係者以外乗り込むことのできないエレベーターで、ながれ博士の研修室があるフロアーへと移動した。立てた鉛筆が倒れないという噂通り、移動した感が全く無い。しかし、エレベータを降りると、ガラス越しに絶景が広がった。

「うぁー、すごい!」

「私も、初めてきた時は驚きました。こんなところで働けたらいいですよね」

 暗く、じんめりした研究室をイメージしていたが、予想を裏切り、まるで暴利を貪る外資系投資会社のオフィスだ。

「なんか儲かってそー」

「……」

 ミカの言葉に、愛子が沈黙で答える。怪しい予感が、一瞬、ミカの頭をよぎる。


 しかし、ミカが疑問を口にするべくもなく、

「ここです」

 愛子が一室の扉を開いた。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


ながれ先生、愛子ですー。女優さん、連れてきました」

 愛子が元気よく挨拶すると、奥からイケメンがやってきた。

 いや、イケメンなんてもんじゃない! ふわっとウェーブがかかったサラサラヘアに、細身の長身、顔だけ取り出したら一見、女の子と見間違いそうな整った顔立ち、口元から見える歯は、キラッと輝く☆じるしが見えるかのようだ。


 ながれひかる。まさに名前負けしない、ホスト顔だ。しかし、そのまるでダビデ像のような姿形に、ミカが囚われたのは一瞬だった。


 ―― キモッ!!!

 その美しさにも関わらず、本能が違和感を感じる。着ている服はよく見ると、全身ユニクロだ。いや、別にユニクロが悪いわけではないが、コーディネートなど一切考えず、週末の割引セールで買ったものを適当に着ているだけだ。

 しかし、服装のセンスは今一つとしても、それ以外は特に見た目で変なところはない。いったい、この違和感はどこから来るのか。


「やぁ、愛子くん、久しぶり。その人が例の女優さん?」

 イケメンが爽やかな声で挨拶するが、違和感が消えない。女性を、”くん”呼ばわりするところも、なんか微妙だ。


「こちらは、水上みなかみミカさんです。私の知り合いの中で、一番の女優さんです。ミカさんより演技の上手い人は、今の日本には、いえ、世界中探してもいません!」

 いや、流石にそれは褒め過ぎだろうとミカは思ったが、褒められて悪い気はしない。

「それは、すごい! はじめまして、ながれひかるです。ようこそ、いらっしゃいました。今日は、よろしくお願いします」

 イケメンが握手を求めて手を出した。しかし、なぜか、その手には使い捨てのビニールの手袋がはめてある。

「あ、この手袋、気にしないで下さい。僕は女性と握手する時、いつもはめてるんです。生身の女性って、いろいろ汚いもん、出すじゃないですか」


 ―― ゾクッ、ゾクッ

 ミカの背筋が震えた。えっ、今なんて言った? 汚いもの?


「えっと、一応、私、トイレから出るときは、ちゃんと手を洗ってますけど」

 ミカが少しムッとした態度で応えると、

「あ、すみません! 気を悪くされましたか! ミカさんがどうってことじゃないんです。生身の女性って、汗掻いたり、唾飛ばしたり、皮膚が老化して垢になったりするじゃないですか。それが、ちょっと気持ち悪くって、ダメなんです」


 はぁ? 何を言ってるんだ、こいつは?


「ミカさん、ながれ博士は潔癖症なんですよ。悪気はないんで怒らないで下さいね」

 二人の間に流れる不穏な空気を感じ取ったか、愛子が明るい口調で言って場を和ませた。

「そうなんですか。それは、たいへんですね」

 一瞬、むっとなったミカも、状況を理解して声を和らげる。


「でも、そのおかげで研究が進んでいるんです」

 ミカのような態度には慣れっこだというように、ながれ博士は話を先にすすめる。

「説明は後にして、まずは、お見せしましょう」

 ながれ博士が、ミカを部屋の奥へと案内した。


 そこには、一人の女性が背もたれのある椅子に座っていた。


 ―― 女性、いや、少女?

 年齢は10代後半から20代前半ぐらいか。いずれにせよ、すごい美人だ。普段、芸能界で、美人の女優やモデルを見慣れているミカも、その美しさに魅了された。

 天使の輪が輝く黒髪、ぱっちりとしたつぶらな瞳の色は、わずかに青みかかった焦げ茶、ふるいつきたくなる唇は、やさしく微笑んでいる。胸の膨らみは、きっちり自己主張しているが、大きすぎず、男だったら、思わず、むしゃぶりたくなるだろう。


「僕のの『紗弥さや』です」

「紗弥さん? 先生のアシスタントですか?」

 ミカが紗弥に近寄り、

「はじめまして、水上ミカです」

と挨拶した。


 ―― シーン

 紗弥さやは、そっぽを向いたままだ。


「あっ、紗弥はロボットなんです!」

 あわてて、ながれ博士が説明する。

「ロボット?」

 でも、今彼女って言ってなかったか?


「すごい美人でしょう!」

 ながれ博士が馴れ馴れしく、紗弥の肩に手を置いた。


 ミカが紗弥に近づき、よく見る。

 ―― これが、ロボット?

 微動だにしないが、人間にしか見えない。そっと、手を伸ばして肌に触ると、柔らかみのある弾力が、ほのかに暖かく、完全に人肌だ。しかし、死体のような不気味さはなく、ただ時間が止まっているだけのように見える。


「信じられない。人間そっくりです」

 ミカが驚嘆して、ながれ博士の目を見た。

「でしょー。人間そっくりというか、人間以上です。もう、可愛くって可愛くって」 ながれ博士が、イヤラシイ手つきで、紗弥の体を撫で回す。

 ―― キモッ!

 ミカの背中に冷や汗が流れた。


「シリコン樹脂による人工皮膚の下には、毛細血管を模した細管を通して、温水を循環させてるんです。髪の毛はケラチン繊維で作っていて、見た目も触感も人間の髪と変わりません。でも、フケは一切なし! 人間の女性のように、汚いものは一切出ません!」

 ―― 汚い言うなー!

 恍惚したながれ博士が、マッドサイエンティストの顔で語る。


「でも、凄いのはここからです。ちょっと、離れて下さい」

 そう言って、ミカを紗弥から遠ざける。

「じゃ、愛子くんお願いします」

 その言葉を合図に、紗弥がまたたきした。


「すごい、動いた」

 ほんとに人間みたいだと、ミカが思った直後、紗弥がゆっくりと椅子から立ち上がった。

「う、うそ……」

 驚きでミカの口が開くと、紗弥が楽しそうに笑った。


「カーボンフレームで作った骨格と、シリコン樹脂による人工皮膚の間に、特殊な高分子素材の人工筋肉を取り付けているので、人間そっくりに動かすことができるんです」


 ながれ博士の説明など頭に入らず、呆然としているミカに、紗弥が、一歩、一歩、ゆっくりと近づいてくる。一歩も動けないミカが感じているのは、驚きか、それとも、恐怖か。


 紗弥がミカの一歩手前で立ち止まり、

「すごいでしょ、ミカさん」

と言葉を発した。


 野太い男の声で。


「ギャーーーー!!!」

 恐怖の悲鳴を上げて、ミカが腰を抜かした。


「こ、こ、こ、来ないで―!!」

 身を守るように手をのばすミカに、

「私ですよ、ミカさん」

と野太い声が応える。


「あ、わ、わ、わ、」

 恐怖で声が出なくなったミカの耳に、

「あ、声の調整、間違えた」

 ながれ博士の声が聞こえた。

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