0-2

 瞬間――ドキリとした。

 夜に聞いたを思い出してしまったから。


「じゃあ、次は君が鬼ね。10秒数えるから隠れて」

「ち、ちょっと待って!」


 早速隠れに行こうとした少女の肩を止める。彼女は「なに?」と少女が首を傾げた。


「その、『おーい、おい』って何? 何の掛け声なの?」


 いったい何だというのか。その声を聞いたら死んでしまうのではないのか。


「知らないの?」

「うん」


 そっかぁ、と少女はため息をつく。その息は白く、でも次第に溶けていった。


「『おーい、おい』はね、本当は、凧上げをするときの掛け声なんだよ」


 そして、少女は凧上げのことを教えてくれた。亡くなった人がちゃんと天国に行けるようにと「鬼」が描かれた凧をあげる。それは薫から聞いたことと同じだ。しかし、


「そうやってね、天国に鬼だけは連れていかないように、凧に描かれた鬼に向かって、みんなで『おーい、おい』と呼び掛けるの。そういうなんだよ」


 鬼を天国に連れていかないため――その掛け声は、正者を死の国へ誘うのではなく、極楽浄土のためだと、少女は言った。


「ほかには? 何か、怖いことない?」


 この際だ。恥も捨てて訪ねると、少女は笑って否定した。


「何にもないよ。だって、鬼の凧は地面に戻ってきて、それからちゃんとお寺で燃やしちゃうもん」


 蒼介は、どこか心が軽くなった気がした。晴天とまではいかないけれど、曇り時々晴れやかな気持ちだ。もやが無くなれば、新しい疑問にも引っ掛かる余裕が出てくる。


 お父さんや静子さんたちはどこに行った?

 そもそも、この少女は誰なのか?


「じゃあ続きね。私もすぐに見つけるからね」


 少しばかり強引な少女に推されて、今度は蒼介が鬼を探すばんになった。

 そうして、蒼介は少女と「鬼」を交代しながらかくれんぼを続けた。彼女に教えられた通り、蒼介も「おーい、おい」と掛け声をしながら鬼である少女を探す。


 やがて、どれくらい遊んだのだろうか。あらかた家の中の隠れそうなところは使いはたしてしまった。静子さんや父さんも帰ってくる気配がない。そして、今度は蒼介が「鬼」の番になったとき、彼はとある部屋を見つけた。いや、


 母さんが寝ている部屋。

 しかし、襖を開けてみると、母さんはおろか、そこにはベッドや点滴立てもなかった。


 勉強机とタンスがあるだけ。あとは、暖かな光が窓から指して、ピンク色の丸いケルトカーペットと、はみ出した畳を優しく照らしているだけ。


 はてな? 母さんはどこに?

 お墓参りの時だって、薫が留守番をして母さんをひとりにしなかったのに。

 不思議になって、蒼介は母を探すために廊下を往来したけれど、少女の「もういーかい」の声が居間の方から聞こえてきた。


「まーだだよ!」


 どこ行ったの? 母さん?


「もーいーかい?」


 蒼介は返事もせず、家中を走り回った。そこでようやく、少女の姿も見かけないことに気づいた。


「もういーかい?」


 声が聞こえた居間にもいない。それでも、彼女の声は聞こえてくる。


「ちょっと待って! お母さんがいなくなったんだ! だから、かくれんぼは一旦やめ――」

「もういーかい?」


 いないはずの少女の声がこだまする。すぐ耳元で聞こえた気がして振り向いたけれど、やはりどこにもいない。


「どこに行ったの? お母さんがいないんだ。ねぇ、ふざけてないで出てきてよ!」


 しん、と静寂だけが落ちる。落ちる。

 そして、

――


 だ。

 さっきまでの少女の声ではなく、夜に聞いたあの声。


「おーい、おい」


 つま先から頭のてっぺんまで、得体の知れない恐怖が波打つ。背中に冷たい芋虫が這っているような、汗がひとすじ流れた。


「おーい、おい。おーい、おい」


 足音もなく、声はこちらに近づいてきている。

 やっとの思いで体が動いた。蒼介は無我夢中で居間にある炬燵の中に身を潜める。


「おーい、おい。おーい、おい」


 声はすぐ近くだ。

 頭を抱えて、震えることしか出来なかった。少女と出会い、鬼の凧上げの風習を聞き、この掛け声が怖いものではないと幾ら自分に言い聞かせても、心は無音の悲鳴をあげている。


「おーい、おい。おーい、おい」


 いやだ、イヤだ、嫌だ!

 目と鼻の先。文字通り、すぐそばに誰かの気配を感じる。真っ暗な炬燵のなかで、蒼介はひたすら祈った――あっちにいけ!行ってくれ!


 やがて、ゆっくりとが入り込む。

 バレた……見つかってしまう。


「あんた、なにしてるの?」


 しかし、炬燵をめくったのは、例の影でも少女でもなく、心配そうな表情かおをした薫だった。

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