その夜の出来事だった。


 昼間から振りだした雪は、今では吹雪に近いくらだった。風も強く、雨戸をドン、ドドンと、不気味に叩く。


 かつて父の部屋だった寝室で、ひとりで寝ていた蒼介は、そんな風音に混じって微かに聞こえてくる声に目が覚めたのだ。


「おーい、おい。おーい、おい」


 まるで誰かを呼ぶような、誰かを探しているような。今にも消えてしまいそうなか細い声。


「おーい、おい。おーい、おい」


 やがて、蒼介はその声に誘われるようにして布団から出ると、眠気眼のまま寝室の襖を開けた。廊下には、よこしまな者たちが潜んでいるような、嫌な闇が蔓延はびこっていた。徐々に目が暗闇に慣れていくと同時に、声もよく聞こえた。


「おーい、おい。おーい、おい」


 廊下の奥からだ。

 確か、あそこは――


 蒼介は電気をつけることも忘れ、廊下の壁伝いに声のする方へゆっくりと歩いていく。


「おーい、おい。おーい、おい」


 声が大きい。

 近づいている。


 蒼介はより慎重になって、冷たい木の廊下をり足で進む。音を立ててしまうと、声の主が逃げてしまうのではないか、と。

 誰だろう? 時計は見てないけれど、きっと12時は回っているはず。


 やがて、廊下の突き当たりの、とある部屋の前まで来た。


「おーい、おい。おーい、おい」


 いよいよ、その声の主がこの部屋の中にいるのだと分かるくらい、はっきりと聞こえた。


 固い唾を飲む。

 襖の奥は、ずっと眠ったままの母がいる部屋だ。


 まさか、お母さんが……

 蒼介はそっと、それでいてサッと襖を開ける。


 畳の部屋の中央には、ベッドが1台。しかし、そこに母の姿がない。


 ガタンガタンと、強風が雨戸を叩く。無人のベッド脇にある点滴立てが、と揺れた。


 見えた。蒼介は見てしまった。

 その点滴立てのすぐ隣。

 母ではない。

 直感で分かった。

 この世の者ではない、お化けなのだ、と。


 そして、は、「おーい、おい。おーい、おい」と手招き――


 気がつけば、蒼介は一目散に自分の部屋へ駆け込んでいた。頭から布団を被る。雨戸が揺れるように、蒼介もガチガチと震えた。


 時々、頭の中で「おーい、おい」と声がした。それから、頭にへばりついたその声を聞きながら、気がつけば朝を迎えていたのだ。

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