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「だからね、つまり『告朔の餼羊』っていうのは――」
帰ると薫は「待っていました」と言わんばかりに、どこか饒舌に、炬燵でレクチャを始めた。
「中国には昔、
「けいしきって?」
「形とか様子とかってこと。それで、ある人が『その形式だけの生け贄はやめるべきだ』と言ったら、孔子は告朔の儀式そのものが無くなることを嫌がって反対したらしいのよ」
だからこのお話が元になって「告朔の餼羊」ってことわざが生まれたの、と薫は締めくくった。
「こうし? それって人?」
「うん、昔の中国の賢くて偉い人ね。『論語』っていう日本のことわざみたいなものを色々と考えた人よ。『告朔の餼羊』も、昔からある風習や伝統を意味がないからって無くしてしまわないこと。反対に、意味がなくて形式だけが残ってることを言うの」
「ふぅん」
「わかった? じゃあお
「うん、分かった。えっとね……中国には昔、魯っていう国があって、そこで告朔の儀式っていうのがあって、興味関心も薄れて、羊をお供えで生け贄にすることだけが形式的に残っていたんだけれど――」
と、蒼介は薫の言葉通りに復唱した。
「だから、このお話が元になって『告朔の餼羊』ってことわざが生まれました」
「OK」
薫はどこか不服そうにそう返事をした。
「でも分からないよ。そもそも告朔の儀式って何? どうして意味が無くなっちゃったの?」
「昔の中国では毎月1日を『
「ふぅん。じゃあ、昔の中国は魯っていう国だったの?」
「中国そのものというよりは、地域のひとつね。昔の中国には色んな国があちこちにあったのよ。
薫は炬燵の上に指でいくつか丸を描いてみせた。「そのうちのひとつが魯ってわけ」
「へえぇ」
「で、それでどうやってこれを作文にするの?」
テレビでは箱根駅伝が写っていた。あと数分で繰り上げスタートなる地点だ。次の走者が「まだかまだか」と準備をしているのだけれど、仲間の影がまだ見えていなかった。
「それは、考え中」
「『羊』が入ることわざで簡単なものもあるのに。『迷える羊』とか『羊頭を掲げて狗肉を売る』とか」
「ふぅん、さすが中国文学史専攻の薫姉だね!」
「なんか、あんたにそう言われると
「しゃくって?」
「別にぃ!」
薫はこちらに背を向けて、テレビ画面の方へ寝転がった。良かった。さっきの人があと数秒で繰り上げスタートだったけれど、ちゃんと
「へんなの」
「変で結構よ」
窓の外を見ると、いつの間にかチラチラと雪が舞っていた。そんな雪を見ていると、お墓参りの帰りに見た凧を思い出す。気のせいにようと思っていた静子さんのあの怖い顔も。
そう言えば、静子さんは何か言おうとしていたような……。
「ねぇ、薫姉ちゃん」
幸い、静子さんと父さんは町内会の挨拶回りで家にはいなかったけれど、蒼介はなぜか声を潜めて、薫の肩をトンと叩いた。
「なに?」
「凧上げの意味って知ってる?」
「知ってるよ。子どもが大きくなったら、どんどん上に登っていけるように、でしょ?」
「うん、でもこの辺だと違う意味があるんだよね?」
薫は顔だけ振り向いて、こちらを見た。
「誰から聞いたの?」
「静子叔母さん」
薫はしばらく黙った後、「よっこいしょ」と体を起こすと「たいしたことないけどね」と前置きした。
「ここだと、前の年に亡くなった人を
「とむらって?」
「死んだ人がちゃんと天国に行けますようにって」
「ふぅん」
なんだ、本当に「たいしたことない」じゃないか。
緊張の糸が解れた蒼介は、駅伝の方に目をやった。1位はほぼ独走状態だった。昨年も優勝した大学らしく、アナウンサーが「連覇なるか!?」と意気込んでいた。
「でも、実はまだ違うところがあルノヨ」
「え? なに?」
薫は黙ったまま、蒼介の声など聞こえていないかのように窓の外をジッと見つめたいた。
虚ろな目――その顔はお墓参りの時にみた静子さんのような……しかし、彼女はハッと我に返った。
「ううん、何でもない」
「えー、教えてよ」
「うーん、あ! そうそう、この辺の凧には鬼の顔が描かれているのよ」
「……鬼?」
「うん」
チラチラ舞っていた
テレビでは、ジワリジワリとトップとの差を追い上げる2位の選手が走っていた。
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