本編

 たこが寒空を舞う。

 糸をるのは、紺色の法被はっぴを着た大人たち。


「おーい、おい。おーい、おい」


 掛け声に合わせて、凧が右に揺れ、今度は左へ。それに習って子どもたちも、小さな凧を「おーい、おい。おーい、おい」と揺らす。


 やがて、掛け声がぴたりと止むと、天高く舞う凧は、風に煽られて流れ雲と同じ東の方角へ。つい先ほど顔を出した太陽に、自然と重なりあう。


 群衆のなか、母親と手を繋ぎ、凧を仰ぎ見るひとりの少女が「あっ」と笑った。


「鬼だ! 鬼がいる!」


――みーつけたっ!

 少女の小さな指が指す凧には、「鬼」が描かれていたのだ。



 5年2組の教室は、明日からの冬休みで浮き足立っていた。三上みかみ蒼介そうすけも同じだ。配られた通知表を隣の山田くんと見せ合いっこして、いかに自分の方が賢いのかと競っていた。


「静かにね。最後に、冬休みの宿題を配りますから」


 黒板の前に立つ担任の赤木先生が、にこやかに笑って言った。今年の4月から赴任してきた新米の女教師だ。少し出っ歯で小動物のような笑顔のせいで、皆からは「リス先生」とあだ名をつけられている。背も小さくて、市内の強豪ミニバスチームに所属している佐久間くんの方が、頭ひとつ背が高かった。


「算数と漢字ドリルです。夏休みの時より少ないけれど、ちゃんとやるようにね」

「はーい!」

「それからもうひとつ、来年の干支は何か知ってますか?」


 はいっ! と蒼介ふくめて皆が手をあげる。


「うまどしです!」

「そう、来年は午年うまどしです」


 当てられた児童が元気に答えた。山田くんは「俺だって知ってるもん」と蒼介にへの字口を見せてくる。

 赤木先生は、黒板に大きく「馬」と書いた。


「来年12歳になるみんなの干支も馬です。こんなふうに、その年の干支と生まれた時の干支が同じ人のことを、なんと言いますか?」


 さっきよりも手をあげる人は少なかったが、蒼介は今度も元気よく手を挙げた。


「じゃあ山田くん」

「はい! 年男って言います」

「そうです! 女の子は年女って言いますね。来年はみんな生まれて初めての年男・年女ですよ」


 教室が少しだけざわついた。子どもならではの、まるで自分たちが時代の中心だと言わんばかりに。答えた山田くんが得意げな顔をしてきた。

 1点リードされた。ふんっ! 僕だって知ってたもん。


「だから、先生からもひとつ宿題をあげます」

「えー!」

「静かに! 年男・年女になるみんなだからこその宿題だよ。来年の干支でみんなの生まれ年でもある『馬』」を使ったことわざを調べてください。そして、それをテーマにした作文を書くこと。日記でも良いし、知ってるお話でも良いの」


 今から原稿用紙を配りますからね、と言って、赤木先生は一番前に座る児童たちに、後ろに回していくよう、原稿用紙を渡していった。


(馬の耳に念仏だね)

 山田くんが、そう耳打ちしてきた。

(うん。でも、ぼくはうま年じゃないんだよね)


「え? そっか、蒼介は早生まれか!」


 たまたま静かになったタイミングのせいで、山田くんの大きな声に、クラスメイトたちの視線が蒼介に集中してしまった。


「三上くんは2月生まれだっけ?」


 赤木先生とも目が合った。リスみたいにくりくりしたまんまる目玉だ。


 はい、と蒼介は恥ずかしくて、力なく返事をした。小学生にとって、「みんなと違う」は一番避けたいことなのだ。


「馬の次は羊!」

「でも、羊のことわざなんてあるのかな?」


 教室のあちこちから言葉が飛ぶ。蒼介はそれらが全部自分を狙った矢のように思えた。


「三上くんはどうする? 羊にする? それとも皆と同じ馬にする?」


 蒼介はドキッとした。赤木先生のキラーパスだ。

 そんなこと言われても分からないよ、と心の中で愚痴をこぼしながらも、蒼介はクラスメイトたちの的がイヤで「羊にします」と言ってしまったのだ。


「じゃあ三上くんは羊のことわざを探してみようか。他に早生まれの人はいないかな?」


 はーい! と皆が元気に手を揚げる。

 そうして赤木先生は、次に冬休みの注意点だとか、年末年始ならではのお話を悠長にはじめたのだった。

 その間、蒼介はどこか居心地がわるく、頭のなかで一匹の羊を思い描いては追いかけていた。

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