49 -たぶん友情のために-
脳が言葉の意味を理解する前に、全身が硬直した。
目の前の結良から発せられた言葉が、現実のものだと理解するのを反射的に脳が拒んだ。想像の類ではないのかと。しかし傍に座る結良の表情と微かな体温、階段の硬い感触と埃っぽい空気が、嫌でもこの場所が『現実』だと告げていた。遂に、ずっと想像していた『最悪の瞬間』が来てしまったのだと。
「……ごめん、言っている意味が解らないよ。私の正体が義父?ってどういう事?」
明悟は表面上、努めて冷静に『妙な質問に戸惑う鶴城薙乃』の演技を行った。万に一つは、何か別の話をしようとして言い間違えた可能性も考えられる。
「わたしは、あなたがシフト・ファイター能力で変身している鶴城明悟さんだと思ってる」
突き刺さる様な言葉を淡々と口にする原田結良。
明悟は結良の表情を観察する。彼女の表情は真剣そのもので、ふざけている様子も無く、明悟の一挙一動をつぶさに観察しようとしているようだった。お互いにお互いの真意を確かめようと睨めっこしてしまっているのだ。
馬鹿な話、と一笑に付して逃げ切る自信は明悟には無かった。そもそも鶴城薙乃=鶴城明悟、という仮説自体が常軌を逸している。そんな仮説をこのような真剣な表情で口にするのは、客観的な判断力を失っているのか、動かし難い確信が有るかのどちらかでしかない。正気の精神で、その結論に到達された時点で詰みなのだ。
「……私は、鶴城明悟ではないよ」
一笑に付さず、飽くまで淡々と事実だけ述べる口調で、明悟は口にする。変に感情的になっても疑いを増すだけだから冷静に誤解を解こうとする姿勢を演じながら。ただ既に半分以上諦めの気持ちになっている。事態の趨勢を見守る気持ちになっている。
「うん、当然すんなりとは認めてくれないよね」
結良は笑顔ではないが、怒っている風でも無い口調でそんな事を言う。
「薙乃さんが明悟さんだと思った理由は3つある」
3つもあるのか!? そんなにボロを出していたのか!?
「ひとつはさ、やっぱり見た目なんだよ。どうしても栄美ちゃんにしか見えない」
結良はむしろ優しげにさえ思える口調でそう言った。
「確かにね、話してみたら栄美ちゃんとは別人だっていうのはわかるんだけどね。でも薙乃さんの姿が、栄美ちゃんを高校生まで成長させた脳内想像図に余りにもピッタリしてて、最初の頃は見掛ける度にドキッとしてた」
「……見た目に関しては本当にただ似ているだけなんだけどね?」
「ごめん、実はそれ全然納得出来て無かった」
余り申し訳無さそうな気持ちを籠めずに結良がそう言った。……なんとどうやら、入学式から今日に至るまでずっと、喫茶店で「他人の空似」と説明して見せた後も『栄美の姿を借りた何者か』と勘繰られていたらしい。
「それで二つ目なんだけど、薙乃さんって変身せずにシフト・ファイター能力を使っていたよね、わたしが有角魔犬と戦っていた時」
「……?」
「シフト・ファイターに変身してからわざわざライダースーツ? みたいな姿になっていたから、コスチューム姿から別の姿に変身するシフト・ファイター能力を持っているんじゃないかと思ったんだけど……?」
追及をしているつもりだった結良は、明悟の全くピンと来ていない様子に疑問を持ち始め、言葉尻が疑問を投げ掛ける様なニュアンスになってしまった。
「いや……、変身はしているが、コスチューム姿に変身する前の『第一段階』で戦っていたんだ。栄美さんが現れる前までは『第二段階』への変身は数秒しか保てなかったからね」
「第一……、第二?」
「ああ、シフト・ファイターに変身してもコスチューム姿にならない段階を『第一段階』、そしてコスチューム姿なる状態をその次の『第二段階』と便宜上会社内で呼んでいたん、……だが?」
ここで明悟は、ある決定的な祖語に気付いてしまった。
「そうか、普通のシフト・ファイターには『第一段階』とか『第二段階』に当たる区分は無いんだね、『シェイプ・シフト』と唱えれば即コスチューム姿に変身する」
「うんそうだね、コスチューム姿にならずにシフト・ファイター能力が使えるなんて状態にはならないし、聞いた事も無い」
そう、実際に結良が変身している様子を見ている。その時も高校生の制服姿から即新しい流線形のコスチューム姿に変わっていた。よく考えれば『拾い読み』が目の前でコスチューム姿に変身時もそうだったのかも知れない。それらと明悟の変身との絶対的な差異は、実際に彼女らの変身を垣間見た時にも感じ取っていた筈だ。しかし、『他のシフト・ファイターの変身には第一段階や第二段階の区分は無いかも知れない』という仮説は研究者達との間で頻繁に話題にされていたし、早急に着手すべき問題はもっと山ほどあった。いつの間にか優先順位の後方へ押し遣られていたのだろう。しかし、明悟サイドの内部事情を知らない他のシフト・ファイターが、第一段階、つまりコスチューム姿に変身していない状態でシフト・ファイター能力を行使する様子を目にすればもっと別の可能性を考えるのだろう。そしてそれが、明悟達が用意した『もっともらしい嘘』を素通りして確信に至ってしまう事も在り得る。
「……私の変身道具は借り物だからね、仕様が特別なのかもしれない」
明悟は苦し紛れに、『もっともらしい嘘』を吐き通そうと試みる。
「うん、その可能性も有ると思う。でもその上で他人に変身する能力が使える可能性も考えられる。薙乃さんのコンパクトには栄美ちゃんの記憶が残っていた。それを使って栄美ちゃんに変身しているのかなって」
……細部はやや違うようだがほぼ正解である。
「……三つ目は?」
明悟は堪らず促した。
「……これが決定的なんだけど」
結良が声を潜めて前置きする。
「半田崎市の膜の中に入る時に薙乃さんが先に入ったでしょ?」
「ああ……」
「あの時薙乃さん膜の中から外に手を出していたでしょ? わたしに膜の中に入ってくるように言ってた時に」
「……………出していたな」
「その時にさ、膜から出て来た手が皺だらけのおじいちゃんかおばあちゃんの手だったの」
「………………………魔素の相互干渉で私の手の魔素が剥離した、と考えているのか?」
「うん、会社の人がそんな風に言ってたよね」
「いや、しかしっ……」
明悟は声を荒げそうになったが慌てて押し殺した。
「あの時君は特に驚いている風には見えなかったんだが?」
「いやー、そうでもないよ? 結構混乱してたんだよ? でもその後大砲の弾が飛んできてそれどころじゃなくなって」
「………!」
明悟は口を噤んでしまった。明悟と結良に関わる決定的な事態が、流転する事態の中で特に深く掘り下げられる事も無く通り過ぎてしまっていたという訳だ。
明悟は、結良の隣で頭を抱えてしまっていた。よくよく考えれば、何かしら言い訳で誤魔化す事が出来るかもしれない。だが、今この瞬間、何らかの方法で結良を納得させないと致命傷なのだ。
「まぁ、わかったよ」
明悟は重々しく切り出した。このまま黙っていても埒が明かないのだ。
「わたしの正体が老人だと考えているのは理解出来たよ。でも仮に老人として、どうして私が鶴城明悟だと考えているんだい?」
半田崎市の膜に因る剥離で老人の腕が露出してしまったのはわかった。しかしそこから『老人=鶴城明悟』となってしまうのは理論の飛躍である。
「それは……、似てると思ったから」
「似ている?」
「明悟さんに会いに行った時、ええと、新哉市の屋敷のおじいちゃんの方の明悟さんに会いに行く時、実は少し怖かったの。栄美ちゃんが死んだ理由にわたしも関係してるから、それを責められるんじゃないかと思って。でも薙乃さんがわたしの事を守ってくれるって言ってくれたから少し勇気が出て」
「……」
「でも実際に会った明悟さんはわたしを責めたりしなくて、逆に薙乃さんと同じで困った事があったら助けてくれるって言ってくれた。それだけじゃなくて、わたしの栄美ちゃんに対する気持ちとか薙乃さんに危ない目に遭って欲しくない気持ちもわかってくれてその時感激しちゃったんだけど、後から考えると、それは余りにも薙乃さんの言動と似通っていて、膜から出て来た薙乃さんの手を見た辺りからその違和感を一気に意識するようになった」
「…………」
「あと、明悟さんと薙乃さんが会話している所を見た事無いのも大きい、かな」
果たして、自分は孫娘・栄美の死の原因を結良に求めて、結良を責めるような気持ちを持った事があっただろうか? 恐らく、原田結良という人物を見定める前に、結良の決壊したような涙を見てしまい、完全に結良の痛みと後悔に寄り添う立場で関わってしまっていた。明悟と薙乃を、巧く切り替えていたつもりだったが、一度疑いを持ってしまった相手からすると全く演じ分けが出来ていなかった訳だ。
「……」
言い訳が、思い付かなくなっていた。
寧ろ、女子高生としての自分と老人としての自分の内面の共通点を見抜かれて居た堪れない気持ちになって頭が軽く真っ白になっていた。
「仮に薙乃さんがわたしの予想通り明悟さんだったとして」
代わりに結良が口を開く。
「わたしは薙乃さんの正体を誰にも明かさない」
「え……? なに……?」
「だってわたしの正体も薙乃さん達に知られているし、お互い秘密を守り合うべきでしょ?」
驚く明悟を安心させるように結良が言い聞かせる。
「魔法少女は嘘吐きだけど、仲間同士は信頼し合わなきゃ」
「いや、しかしね」
明悟は、その余りにも明悟サイドに都合の良い提案に逆に混乱していた。
「仮に、もし仮にだよ、私の正体が鶴城明悟だとして」
「うん、仮にだね」
結良は酷く穏やかに頷く。
「老人が女子高生の振りをし続けている現実を、君は我慢が出来るのかい?」
「いやー、でもそれはわたしもシフト・ファイターなのに普通の女子高生の振りをしている訳だし? 嘘は魔法少女の嗜みだよ?」
「いや、同じ嘘でも私と君のとでは次元が違うのではないのか? 君は、その、気持ち悪くは無いのかい!?」
「……気持ち悪いっていうか、明悟さんが余りにも違和感無くイケメン女子高生を演じてくれているから、そういうの、差し挟む余地が無い」
「………っっ!?」
明悟は赤面させられた。
「未だに薙乃さんの中身がおじいちゃんだって全然ピンと来ないし。それにあなたは、その姿で善からぬ事をしようなんて、絶対考えないでしょ?」
結良の眼差し、自分の中の薙乃/少女の面と、明悟/老人の面を同時に見透かそうとする態度に明悟は、消え入りたい程の羞恥を感じていた。彼女の前で、栄美の姿をしてスカートの制服を身に付けている事に逃げ出したい程の恥ずかしさを感じていた。しかし明悟には逃げ出す選択肢など当然無い。
「薙乃さん。……どう呼んでいいのかよくわからなくなってきたから『薙乃さん』で通すけど、薙乃さんは、栄美ちゃんが認めた魔法少女なんだよ。栄美ちゃんが、自分のシフト・ファイターの力を全部託しても良いって思った相手が薙乃さんなの。それはお互いよくわかっているでしょ?」
「……」
「現にわたしは薙乃さんに命を救われているしわたしのドッペルゲンガーを倒す事も出来た。変な言い方かもだけど、魔素体大禍から止まっていたわたしの時間がやっと動き出したんじゃないかって思えるの。それはわたし一人じゃ無理だった。薙乃さんのお蔭なの。
薙乃さんの正体がどうあれ、薙乃さんに助けてもらった事実は変わらない。それを否定する事はわたしには出来ないよ……!」
「……」
結良には本当に驚かされる。嫌でも相手の心を動かしてしまう能力に長けていると言うか、中々の嘘吐きにも拘らず優しさと真摯さを屈託無く真っ直ぐ本心からの言葉とわかる様に向けてくる、貫いて来る。こんなものを向けられれば男共はひとたまりも無い。
「薙乃さんの正体が何だったとしてもわたしは黙っているつもり。でもさ、どうして女子高生の姿で高校に通っているのか、それは教えて貰わないといけない。もし誰かに危害を加える様な良くない事をしているならわたしは止めなくちゃいけない。だから、本当の事を話して欲しい」
……もし本当に良からぬ事をしていると言うなら真実など語る筈が無いのに、結良は明悟に対して絶対の信頼を持って宣言する。恐らく、明悟に理由を喋らせるための布石を前以て打っているのだ。
「……理路整然としているな」
明悟は、思わず自嘲気味に呟いた。
「わかった……、認めるよ。君の考える通り私の正体は鶴城明悟だ」
遂に言ってしまった。本名を名乗る時、堪えきれず声が震えてしまった。
結良は静かに一度、力強く頷いた。
「この姿は君の言う通り、栄美の姿の借り物だ。今ここで変身を解除すればわかり易いのだろうが、それは、お互いの精神衛生上良くないだろうから、遠慮させて欲しい」
「あ、うん、そうだよね。遠慮して欲しい」
鶴城薙乃を自称する女子高生がその正体を明かしたにも拘らず、結良の様子は非常に落ち着いておりニュートラルだ。
「……私がこの姿で学校に通っている理由も話すよ。その上で、私に対してどうするのかを考えて欲しい」
結良はまた大きく頷いた。
その時、スピーカーの少し曇った音のチャイムが鳴り響いた。
昼休みの終わりを告げる予鈴だ。
「あああ、昼休み終わっちゃった……」
残念そうに呟きながら結良は立ち上がった。
「続きは、放課後にまたこの前と同じ喫茶店で話さない? 今日は先生の臨時集会か何かで部活が中止らしいし」
非常にあっさりと、そんな事を事も無げに口にする結良。
「このまま、私は授業に出てもいいんだろうか……」
明悟は結良を見上げながら思わずそんな事を口にしてしまった。
「今更身分詐称して受ける授業がひとつふたつ増えても同じなんじゃない?」
そう言いながら朗らかな表情で差し出された結良の腕も「それもそうなんだが……」と釈然としない表情を浮かべながら明悟は掴んだ。
「……多分わたしは、あなたの事をどんな手を使っても許したいんだと思う」
階段を並んでおりながら結良は口にする。
「あなたの正体が予想通りだと知った時にどうするべきか色々悩んだんだけど、まず根幹に、あなたを認めたい、折角仲良くなれたのにそれを壊したくないっていうのがあってね」
「……君は私を過大に評価し過ぎるんじゃないか? 私は今、何とか君を騙そうと、或いは陥れようと考えているかも知れないんだよ?」
明悟は思わず自分で言ってしまった。
「うん、そうかも。気を付けないとね」
その同意には、明悟を疑う気持ちは一切含まれていない様に感じられた。
「それを見定めるためにまた喫茶店で話し合いたい。
放課後、空いてる?」
「ああ、それは問題無いよ」
その会合以上の重要案件などそうそう無い。
もうすぐ五時間目の授業。廊下で別れた時、手を振る結良の表情には笑顔さえ浮かんでいた。
薙乃に居なくなって欲しくない、というのは彼女の切実な願いなのだ。身近な人間を失う苦しさに対して今の時代の人々は非常に大きな忌避感を抱いている。明悟も結良も多分今もそれに苦しめられ続けている。
今朝の教室で、自分と小野を迎えたクラスメイト達の姿を反芻した。恐らく、自分が構築してきたものは、もう自分一人の意志でおいそれと捨て去れないような誰かのかけがえの無い日常の一部になってしまっているのかも知れない。
バレたら女子高生を辞められるなんてとんでもない。最早自分は、最後まで誰かの日常を守るために女子高生を演じ続ける十字架を背負い続けなければならないのではないか?
それは途方も無く気が重い話ではあるが、同時にポジティブな使命感を抱かない訳では無かった。
取り敢えず放課後結良と話し合うまでは、スカートと黒髪をなびかせ胸を張り、美少女の姿をした悪い大人を演じる覚悟を固めたのだった。
FIN
シェイプシフター・アドゥレセンス ―晩年の魔法少女― 沢城 据太郎 @aliceofboy
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