第4話 8月16日
8月16日 日曜日 晴のち小雨
村の夏祭りは今日の夜まで続く。
普段はひっそりと静かな村は今日もまるで違う村の様に賑わいを見せている。
仰々しい花火なんかは無いけれど僕はこの村の夏祭りが昔から好きだった。
父や母に手を引かれ、そして彼女と行ったこの村の祭りが。
夕方から降り出した小雨がぱらぱら降る中、僕と彼女は昨日と同じように河辺に座っていた。
今日の彼女は浴衣ではなく帰って来た時と同じ向日葵のワンピースを着ている。
「本降りにならなくてよかったよ」
ぱらぱらぽつぽつと、幸い傘を差すほどではなかった。
夜店は昨日ほどではないのは今日の主役は盆踊りだからだ。
僕も彼女もあまり得意な方ではないけれど村のおばさん達に誘われて櫓をぐるりと回り、今はこうして休憩をしているところだった。
「…………」
「…………」
僕と彼女はじっと櫓の周りに吊るされた提灯を眺めそっと身を寄せ合う。
あと数時間もすれば、この賑やさも喧騒も嘘のようになくなることを知っていたから。
この山間の村は本来ならこれほど賑やかな祭りが出来るくらいの人はいない。
年寄りしか残っていない村は果たしてあとどれくらいの時を刻めるのだろうか。来年、再来年もこうして夏祭りを開くことが出来るのだろうか。
僕は
きっと彼女は来年も再来年もこうして同じように帰ってくる。
でも僕は……
「どうしたの?難しい顔して」
「うん?ああ……来年もまたこうしていられるのかなって思ってね」
「…………」
「もしかしたら……来年は僕がそっちに行くかもしれないから」
「……ダメ……あなたはここにいてくれなきゃダメ……」
僕の手をとり胸に押し当てて彼女が呟く。
もちろん僕にだってわかっている、彼女のためだけに僕はここにいるのだから。
それでも、限界がすぐそこまでやって来ていることに僕は随分前から気付いていた。
「うん……そうだね、うん。大丈夫、ごめんな」
「……うん」
握り締めた僕の手に、ぽつりと落ちたのは彼女の涙だろうか、雨の滴だろうか。
そうこうしているうちに櫓を囲っていた提灯の灯りがひとつづつ静かに消え始める。
ああ……そうか、もうそんな時間なのか。
僕は彼女の手を引いてゆっくりとした足で河原の淵へと向かう。
温かさを感じていたはずの手の温もりが一歩づつ歩む度に消えていく。
河原には大勢の村人が集まっていた。
氷屋の主人に奥さん、この神社の神主に学校の同僚の姿も見受けられる。
皆、久しぶりに見る顔ばかり。
ぱらぱらと降っていた雨はいつの間にか上がり、雲の切れ間から少し欠けた月が顔を覗かせている。
「あ……」
彼女が小さく漏らした声の先には緩やかに河を降ってくる無数の灯籠が見えた。
川面いっぱいに揺れる蝋燭の灯りにつられてか、蛍が集まり乱舞する。
「……また……来年ね」
「うん……また来年」
灯籠を眺めていた彼女が呟き、僕も同じ言葉を返す。
繋いだ手の温もりはすでになく、仄かに漂っていた向日葵の香りも風に流されて消えていた。
僕の頬に伸ばされた彼女の細くしなやかな指の感触も感じることはなく、抱きしめようとした僕の手も虚しく空をきる。
「ねぇ?私のこと好き?」
「もちろん、今までもこれからもずっと愛してるよ」
「ふふっ……良かった」
ひらひらと舞う彼女の向日葵に昨日の様に蛍がとまろうとして通り抜けていく。
「あ、向日葵……世話しておいてね」
僕の耳に届いた最後の言葉はさよならの言葉ではなかったのは彼女なりの気遣いだろうか。
河を下っていく灯籠を見送り、僕は重い足取りで帰路につく。
先程までの喧騒がまるで無かったかのような神社の境内を抜ける。
階段を降りていく僕を長年の風雨に晒され朽ち果てる寸前の櫓とボロボロになって原型を保てていない提灯が静かに見送っていた。
家につき僕は縁側に腰掛けぼんやりと庭を眺める。
庭には彼女が遠い昔に植えた向日葵が夜だというのに何故かこの日だけは誇らしげに顔を上げている。
「本当にきみは元気だね……」
そんな向日葵に声をかけて僕は自分の手に視線を落とす。
深い皺が刻まれ細く萎びた手。
僕はまた彼女に逢えるだろうか。
来年、彼女が帰ってきたとき僕はここでこうしていられるだろうか。
僕の時間はあとどれくらい残っているだろうか。
「君が思うより長いんだよ……一年てのはね」
また明日から彼女が帰ってくるまでの一年が始まる。
僕は長いため息をつき隣室へと襖を開けた。
寒々とした部屋の机の上には彼岸花の浴衣が丁寧にたたまれて置かれていた。
僕はそれをそっと箪笥に戻し壁にかかる色褪せた写真に手を伸ばす。
1962年、8月13日、妻と。
モノクロームの彼女は幸せそうに微笑んでいる。
つい先程と全く変わらない姿で。
了
向日葵と灯籠 揣 仁希(低浮上) @hakariniki
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