一粒の麦、地に落ちて死なずば
賢者テラ
短編
西暦2192年。
第二次世界大戦後、国々で数々の紛争はあったものの、全体としては長く平和を保ってきた。
しかしついに、世界全体を巻き込んだ三度目の世界大戦が勃発したのだ。
科学の高度に発達したこの時代。
武器が武器だけに、戦いの結果は単に人が死ぬだけでは済まなかった。
核の放射能、化学兵器の汚染物質が地表に満ち、人類は地上に住めなくなった。
大戦で生き残ったわずかな人類は、地下都市を建造。
世界の各地にそういった都市は散見されたが、地表に出ての交通が不可能な中にあって交流や相互支援などは全く望み得なかった。
『都市』とはいえ、戦争の真っ只中で命からがら地下に逃げ込んだ人類の作ったそれは、機械文明とは程遠い大昔の洞窟生活のようなものであった。
そして、各都市で飲むことのできる水と食料が不足しだした。
太陽の光さえも望めない地下で、ヒトは本来の生命力を完全に失っていた。
次々に、人が死に絶えていく。
そこで生まれた子らは、生まれてから太陽の光を、地上世界を一度も見たことのない者達である。
人類が地上を捨てて深く潜ってから、すでに50年の歳月が流れようとしていた。
「お母さん、ワタシたちの頭の上には、青い色がどこまでも広がってる、ってホント?」
「ええ、本当よ」
元はオーストラリアと呼ばれた大陸にある、唯一の地下都市。
地下で生まれ育った12歳になる女の子レアは、よく母親にその質問をした。
母は、地下へ避難する時とっさに携えてきた絵本を大事に持っていた。
地下特有の湿気を含んだ冷たい空気と年月のせいで、絵本の紙にはかなりのしわが刻まれてしまっていた。しかし、暗闇と淡い光以外を目にしたことのないレアには、その絵本が見せる「ビジョン」がまるで天国のように思えて心躍った。
母は、娘によく話して聞かせた。
「このずっと上にはね、今いるスペースが数え切れないくらい収まるような、それはそれはどこまでも広い場所があるの。そしてそこではね、このランプよりもはるかにまぶしい光を出すものが、 『空』っていうところに輝いているの」
レアはある日、いつものように食料の配給分を取りに行く時、洞窟の脇に目に付きにくいが明らかに何かの入り口である不思議なドアを見つけた。
そういうドアというものは得てして鍵がかかっているものなのだが、どうしたわけかその時は、何の苦労もなくドアはスッと開いた。
中は人が8人くらいしか立っていられないような狭い空間だった。
……何のために、こんな狭い部屋がいるんだろ?
レアは、何かの違和感を感じた。
床から、感じたことのない振動が伝わってくる。何だか部屋だけが上へ上へ上がっているようだ。彼女は知る由もなかったが、それは『エレベーター』と呼ばれるものであった。
しばらく経って、振動が急に止まった。そしてドアがひとりでに開いた。
その外はまた、それほど広くはない暗い空間で占められていた。
ただ、その中にあって唯一目立っていたのは、斜めに取り付けられた風変わりなドア状のものだった。
必要以上に大きな取っ手が付いており、何だか回転させて使うもののようだった。
壁の横に、数字を入力するらしい機械部分があったが、こっちは電気も通っておらず、故障してしまっているようだ。色々触ってみたが、反応は何もない。
レアの力でも、十分に問題の取っ手は回転した。
ある程度回したその瞬間、大きな摩擦音を立ててそのドア (実はハッチと呼ばれるものであった)は、外側に向かって勢いよく倒れた。
銀色の光の矢が、レアの目を射抜いた。
最初、何が起こったのか分からなかった。
レアは一時間半ほど、ものを見ることが出来なかった。
彼女は最初、自分は死ぬのか、と思ったほどだ。生まれて初めて見た太陽の光は、あまりにも刺激が強すぎたのだ。
それでも、次第にレアの目は周囲を認識できるようになってきた。
意を決した彼女は、扉の外にその一歩を踏み出し、未知の世界を歩み進んでゆく。
レアの目にした世界。それは『空は天国、地は地獄』であった。
空、というものを初めて見た。
……こんなに広い世界があったなんて!
何で私たちはここで住めなくなるようなことになっちゃったんだろ?
何て愚かなことだろう。
澄んだ空の青とは対照的に、地表には見渡す限りの瓦礫の山しかなかった。
地上の建物が全て崩壊した姿だったのだが、レアにはただの砕けた石の山にしか見えなかった。
彼女は、ひたすら歩いた。
もしかしたら、絵本にのっていた『植物』というものがどっかにあるんじゃないか? その淡い希望は、かないそうもなかった。
そもそも、地表に植物の育つ条件が揃っていないのだ。
そのうち、レアの体に変化が起こった。
彼女は、ゲホゲホと咳き込みだした。
咳を受け止めた手のひらには、べっとりと血が付着していた。
目から耳から鼻から、黄色い嫌な汁が出てきた。
そして急激に体力を失い、道の真ん中で彼女は倒れ込んだ。
……もう、歩けそうにないや——。
ふと、彼女は物心つく前に亡くなってしまった父のことを思い出した。
母の話によると、地下避難生活の前は、遺伝子工学の権威だったらしい。
地下では、父の研究を皆が馬鹿にし、信じる者は誰一人いなかった。
レアは、その父から受け継いだ『お守り』を、肌身離さずに持っていた。
母は、彼女に語って聞かせたものだった。
「それにはね、お父さんが研究した『強い品種の植物の種』が入ってるの。
いつの日にか、それを地上に咲かせるんだって熱く話してたの。
結局、あの人の生きているうちにはかなえられなかったけどね。
レア、あなたがそれを持っていなさい。
あなた達の世代が大人になって、今の事態を変えることができた時のために」
あるインスピレーションが、レアの心に舞い降りてきた。
「そうよ! この種を咲かせればいいのよ。
でも……どうやって?」
レアは考えた。そして、ようやくひとつの結論に達した。
「そうだ、ワタシがいるじゃん」
お守りの袋から種を取り出し、口に含んで飲み込んだ。
そして再び横になった彼女は、深い眠りについた。
彼女が目覚めることは、二度となかった。
レアの体を養分とし、肉に根をはり、ひとつの植物が育った。
放射能や汚染物質への抵抗を計算され尽くしたその遺伝子は、劣悪な環境下をものともしなかった。
やがて種子が風に乗って飛び、広く地に落ちた。
育つことなく朽ちたものもあったが、あるものは水のある地に落ち、葉を繁らせた。汚染されているというだけで、季節は法則的に廻っていた。
雨季を迎えた元オーストラリア大陸は、光と風と水とによってその新たな生命を育んでいった。もはや死んだ土さえも、それらの生命を凌駕できなかった。
200年が過ぎた。
地下に逃げ延びた最後の人類は、全て力尽き、死に絶えた。
その静寂の中、やがて地球は緑を取り戻した。
そして新たな生態系が生まれ、再び動植物が・そして最後には知的生命体が遠い将来に誕生し得るであろう条件も整った。
いつの日かこの地球上で、もう一度人間のような存在による『歴史』が繰り返されることだろう。
しかし、やがて生まれるであろう彼らは、知ることはないであろう。
一人の少女が、命を懸けてこの死の星を甦らせたことを。
そして彼女の名前がレア(ギリシャ語で、大地の母)だったことも。
●一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それはただ一粒のままである。
しかし、もし死んだなら、豊かに実を結ぶようになる。
【ヨハネによる福音書 12章24節】
一粒の麦、地に落ちて死なずば 賢者テラ @eyeofgod
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