第6話 交錯

「壺や絵画などのお気に入りの欲しい嗜好品がある、もしくは何らかの宗教団体に所属するなどをしていますか」

「宗教…?違うの違うのそんな悪巧みじゃなくて!」

 彼女は手をぶんぶんと降りながら言う。そんなんじゃなければ何なんだ。思惑が無ければこんな奴誘わないだろう。五感を敏感にして、手に入る情報を全て用いてこの状況においての最善策を模索する。

 初めに駆けてこの場を離れるのはどうだろうか。体育で測った50m走のタイムは8.5秒だった。男子の平均タイムは7秒強で女子の平均は8秒半。持久走で彼女を見たときには本気で走っていなかったから逃げ切れるかわからない。また周りに隠れた第三者がいる可能性も加味する必要がある。よって、これは最終手段だ。

 次に、この話に乗らず上手にかわす選択肢を考える。この選択肢のリスクを考える前に相手の意図を追求する必要がある。考えられるのは、押し売りや宗教の勧誘だけでなく純粋な嫌がらせもある。これが一番確率が高いだろう。宗教の勧誘ならばまず友達などを懸命に誘ってそれでもなお足りないときに初めてこんな奴に話しかけるのであって、そこまで切羽詰まった状況で人を誘い続けているならば友達は必然的に少なくなるだろう。もしくは彼女自身が神ならば信者という点で友達は多いだろうが、そこまでしていたなら学校のうわさとして俺の耳にも届くだろう。よって、宗教の勧誘は可能性としてかなり低い。押し売りなども同様だ。彼氏をとっかえひっかえでたくさんの奴に物を買わせているならば学校のうわさになること間違いなしだ。

 以上より、彼女の目的は高確率で嫌がらせであるといえる。嫌がらせは友達が数人いれば実行できる。対象を選べば口外を禁ずることもできるため自分の株が下がることもない。陰湿な奴め。

 それならばこの話をよけてしまうと相手からはいわゆるつまらない奴と評価される。自分の意図にそぐわない異質な奴、と。

 ここで全体主義という考え方がある。この考え方は日本に古くから、とくに稲作などが持ち込まれ「むら」や「くに」を作り出した時代からみられる。個人でそれぞれの主張や目的をもつのではなく、全体で一つの主張や目的をもつ。この考え方は、特に分担という点において大きな役割を果たした。

 だがその反対に、個人の主張を認める余裕がなくなった。集団として大きな力をもつことにより、その力を内側から脅かす存在、すなわち集団の輪を乱す異端な存在を排除するようになった。

 話を元に戻す。この話に乗らないという選択肢により異質だと評価されると、それにより全体主義に基づいて危害を加えられる恐れがある。一方でこの話にのれば―――

「―――…くん。肇くん!聞いてる?」

「あっ、はい」

 虚偽の申告である。やたらと感嘆符と疑問符の多い言葉に押されて反射的に口から出た。でも完璧な「はい」の言い方だったのできっとバレていていないだろう。

「じゃぁ今週の土曜日、10時に駅の前にあるカフェで集合で!」

「えっ、あっ、ちょっと」

 呼び止める声にわき目も降らず軽いスキップをしながら去っていった。走って呼び止めても良かったがそれほどアクティブな人間ではないことは自覚していたのでそれはしなかった。雲一つない空で太陽はもう傾き始めていた。明後日は冬至だ。そんな現実逃避の思考をしながらしばらく呆然と立ち尽くしていた。


 ――――――――――――


 時刻は10時00分。掌の数字は「3:06:38」を示す。集合地点の喫茶店に着いた。ありきたりな普通の、シックな雰囲気の喫茶店だ。だが、恐怖が足を掴んで入れない。

「落ち着け。ここは公共の場、パブリックスペースだ。公衆の面前で何かを仕掛けられることはない。ならばここを始点とし終点とすればいい。大丈夫だ、俺。相手に緊急の用事を思い出させる、相手にとって不都合な点をつくる、たったそれだけでいい。これを止めるには俺が従順な人間であり興味を持つに値しない評価だと普遍的に判断される行動を連続して絶えず行えばいい。落ち着け、落ち着け…」

 自分に言い聞かせながら扉を開ける。カランコロンと軽い音。暖房の柔らかな空気が俺に吹く。

「あっ!」

 元気な声を伴ってブンブンと振れる手が観葉植物越しに見える。見ると気落ちさえしそうな元気さ。入り口からは少し離れたその席の隣には誰もいないことを確認する。テーブルの上には氷のない結露したオレンジジュースがあった。四方八方への警戒を解くことなく彼女、すなわち丸橋さんのもとに近づく。

「遅れてすみません」

「ううん、全然大丈夫!」

 妙な日本語で彼女は応答する。「全然」は陳述の副詞だから否定の語句と呼応すべきだが、もはやそれは廃れた考えなのだろうか。

 椅子の座面に何もないことを視認しつつ腰を下ろす。非常時の逃走経路を頭の中で構築しつつ、彼女のほうを見る。どれにしようかな、なんて言いながらメニューを見ている。服装としては、薄手で黒の半袖ニットに淡いグレーの折りひだの入ったロングスカート。体温の調節をしやすい上におしとやかな印象も与えられる。

 またニットの黒色は後退色と呼ばれる色で物を引き締めて見せる効果があるらしい。確かに、そういわれてみれば…だめだ、邪念が。

 機能面から衣服を考えたことはあったが、あいにく俺はファッションには明るくない。世の中の女子はこれほどまで気を配っているのか、なんて思っていると彼女がこちらを見ていることに気がついた。少しとろけていてなおかつ物思いに沈んだ表情で。

「どうかされましたか?」

「えっ、あっ!いや、なんでもないの」

「…?」

 首を振って否定する挙動不審な彼女。俺はいぶかしく思いながらも自分が今日ここに来た目的を心で何度も反芻はんすうした。

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