第4話 訂正
昨晩は悪夢にうなされた。洗面台まで行って自分の頭上の数字が「29863:08:21」であることを確認したのち、例のノートを掘り出して考えられるすべての選択とその結末を書き留めた。が、その事実を認知した途端に精神的に重荷を背負い始めたみたいで、途中で疲れて机に突っ伏してしまった。
とはいえ、気になる点は全て書き出せたはずだ。現状、わかる中で気になる点はこれだ。
一、減少の規則性
この数字が見えるようになったのは先週木曜日。すなわち六日前だ。寿命なのだから時間がたてばそれ相応の減少を見せる。だから、先週木曜日に確認した俺の数字と昨晩に確認した俺の数字だって経過時間に分相応の差はあった。多少誤差はあっても1日経てば23~25時間減少する。
しかし、丸橋さんの寿命は違った。
先週木曜日の早朝初めて掌の数を見たときは「6:14:58」だったのに対し今の数字は「5:09:40」。現在の時刻は14時23分で授業中だから、6日と少しは経っている。しかし、減ったのは1日4時間42分だけ。1分ごとに右端の数は変化し続けているのにもかかわらず。
二、「1=1/2」
例の本に書いてあった数だ。1=1/2。先ほどの減少の規則性に係わる何かかと思い、いろいろな理論をノートに書きだしてみた。例えば、丸橋さんの寿命は他の人より1/2の速度で減少している、とか、その反対で周りの人の寿命が1/2で減少している、とか、もっと言えば丸橋さんは周りが2倍もしくは1/2倍で見えている、とか。
ただ、これらは成立していないということが少し考えればわかるだろう。現に掌の数も周りに見える数も等速で減少し続けているし、昨日見た丸橋さんだって遅くとも早くともなかった。
以上の二つをここまで長々とノートにまとめたはいいものの、なにか快刀乱麻を断つがごとく情報がつながったというわけではない。結局のところ、例の本「君と僕」が密接に関係していそうということ以外は何もわかっていないというのが現状だ。
(そもそも、何で学校の図書室にあんな本があるんだろうか)
それはそうだ。これの原点はそこにあるのだ。誰が何のために何を用いてこんなことをしたのか。それさえわかればこんなことをする必要…。
いや、初めからそんな必要なんてないのか。何かから強制されたわけでもないし、誰かから請われたわけでもない。この本の存在を知っている人だって俺と丸橋さんの二人しかいない。捨ててしまっても誰も気にしないだろう。
ならばあの本について調べる必要もない。好奇心も廃れ、今や自分を突き動かすものもない。
(もう捨ててもいいかな)
そう思った途端、ふと窓を見下ろしてみる。グラウンドでは1・2組合同で持久走をしていた。グラウンドを二つに分けて男女別で走っている。秋とはいえ初冬なので外は寒い。男子は調子乗って全力疾走した奴が倒れたところだ。女子はと言えば、理想の具現のような眼福。足を前方に振り出すのと同時に物理法則に乗っ取り揺れ動く胸。大小問わず素晴らしい。さりとて、凝視しようものならその瞬間から俗称が「エロ口」になる。俺の名前は「
そんなことは置いておいて、女子は体育に命を懸けている一部を除き、話しながら穏やかに走っている。そのなかに丸橋さんも含まれていた。彼女は護衛隊が後ろについていることを知ってか知らずか、友達と話している。「5:09:37」の数を持った無邪気にほほ笑む彼女。そんな可憐な彼女を見ると、幼子のようなか弱さと今を精いっぱい生きようとする力強さを感じるのだ。それがどうしても、胸を痛めて。
(やっぱり、もう少しだけ)
そんな思いが芽生えた。
――――――――――――
家に帰ってご飯を食べた後は、机に向かいノートを見返してみた。21時43分。掌の数字が「5:07:20」に変わった。すなわち、丸橋さんは5日と7時間20分後には…。
いや、未来はまだ確定しない。たとえどんな未来が予想されてもそれは空想の範囲を出ない。確定するまでそれは未来であり予想であり空想であり空論だ。現実ではない。
しかし、このままでは悪い方向に舵が切られるのは確かだ。むやみやたらにこのまま手掛かりを探しても仕方がない。筋道立てて考えてみる。
まず、丸橋さんの命数を示す数に注目する。理由は先ほど説明したので省略。
では、なぜ現時点で刻一刻と減少しているのに一週間前からは変化が少ないのだろうか。つまり、一週間前と今日で例の本に関連した周囲の行動や状況の何が変わったのか。それさえわかれば丸橋さんの生きる日数が何から影響を受けているのかもわかるはずだ。
しかし、行動や状況の変化と限定したとしてもまだ抽象的すぎる。
「先週の木曜日には掌の数字が一度増えていた。ならば何かが死までの時間経過を遅らせているのではなく、何かが直接的に死までの日数を延ばしているのだ。しかし、その何かは何だ?一週間前にはあって、今はない環境。一週間前にはしていて、今はしていない行動。そんなの…」
ノートをぺらぺらとめくりながらぶつぶつと独り言を言う。ふとノートをめくる手が止まった。このページは、初め興味が惹かれた誤字訂正のまとめだ。一週間前に始めたはいいものの、いつしか興味も薄れ開くことさえなくなっていた。少しなつかしささえ感じる。誤字脱字カウントの正の字は3つと少しの17で止まっていた。
そんなわけはないか、とは思いつつも手掛かりが全くない。藁をも掴む思いで横にある例の本をぱらぱらとめくり、誤字をノートに修正して、掌を開く。
その瞬間だった。掌の数は明確に挙動を変えた。赤白く光る真ん中の時間を表す数は堰を切って上昇し、19でぴたりと上昇を止めた。「5:19:15」。
「嘘だろ…?」
そんな声が口から漏れる。丸橋さんの寿命に唯一影響を与えるもの。それは、誤字訂正だった。
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