第2話 興味
もう一度文を確認する。
「恵まれた完壁な王侯貴族がその国には居ました。子供のときから欲しいものを何でも手に入れれました。何でもです。それにも関わらず彼はすべてを面白くない、そう思うようになりました。なんだか、すべてを見透かしたような感じで――」
何回見ても頭がくらくらする。文章が無茶苦茶だ。ざっと見ただけでも修正点が3つほどある。
まず「完璧」。完璧は「璧」であって「壁」ではない。下は土でなく玉。
それに「手に入れられました」がら抜き言葉になっている。「入れる」は下一段活用なので、続く助動詞は「れる」ではなく「られる」。
最後に「それにも拘らず」だ。これは厳密に言えば「それにも拘らず」であり、誤りである。ただし、常用漢字ではないので普通に書くときは平仮名で十分である。
と、このように修正点がたくさんだ。たった数行というのに。
蔵書リストを確認する。だが、何回か行を探しても、蔵書リストを一から注意深く見てもない。
「またか」
たまにあるのだ。新しく入った本も、追加漏れにより蔵書リストの中にないことが。そういうときは仕方がないので見つけた人が随時追加することになる。
いや、でもしかし。
「これは…よっぽどだな」
名作、ではなく迷作。出版社に苦言を呈してやろうかとまで思ったが、どうにも出版社名はおろか、作者名すらない。
蔵書リストにもないし出版社もわからないし作者も不明だし、この本の謎がより一層深まるばかりだ。
これに関われば面倒なことを押しつけられそうだ、という確信と共に知的好奇心を原点とした興味を持つ。いわば天使と悪魔。理性と本能。ジキルとハイド。どちらを取るかは、いまこの感情の二つを支配する俺に託された。
「これを調べれば確実に面倒なことに巻き込まれる。だが、これがどうしても気になる…」
葛藤。少しの逡巡。
「それ、何?」
左より声が聞こえた。その声の主は、水曜日担当のもう一人の図書委員、丸橋 陽だった。
「えっ、えっ、あっ」
予想不可能な突然の声掛けに言葉が出てこない。かれこれ1年は同世代の女子と話していない。
言葉に詰まっている俺を横目に彼女は素っ気なく脱力した俺の手から取る。本の表紙を見て、裏返して、まるで検査するかのように冷たい目で観察する。
「こんな本、蔵書リストにあった?」
「あっ、えっと、はい、ないです」
「ふーん…」
それを一瞥したかと思えば、こちらに視線を向け、
「じゃ、これの追加。お願いね」
「あっ、えっ、あっ」
返事を待たず、彼女はすぐに去っていった。
俺は一人この図書室に取り残された。
――――――――――――
結局、例の本は家に持って帰ることにした。出版社名はおろか、作者名すらわからないのだから追加のしようがない。
晩御飯はカレーだった。時刻は8時21分。食後、自室に向かい、例の本について調べてみる。
「『君と僕』か…。調べても余計な情報しか出ないな。」
君と僕なんてありふれた言葉。いくら調べても、方法を変えても目的の情報は見つからない。
「『君と僕 本』、『君と僕 小説』、『君と僕 学校図書』…。言葉を変えてもヒットしない!」
どうしようもない思いを言葉にしてベッドに倒れ込む。
ふと、横にある例の本に視線をやる。装飾も何にもない興ざめなデザイン。
「とりあえず読んでみるか」
重い腰を上げ、椅子に座って中身を確認してみることにした、
「―――馬鹿げてる」
本をぱたりと閉じ、口から出た第一声はそれだった。
ストーリーはこうだ。
時代は産業革命後のヨーロッパだろうか。箱入りの暗い貴族の息子が、一般の明るい女の子と恋に落ちるというありふれたボーイミーツガール。絵本風の挿絵が多く、本文が少ない。現に、見つけられた間違いは割合に対して少なく、50個ほどしかなかった。
だがしかし、この物語は急速に展開を変える。
女の子が、部屋から抜け出した男の子との買い物を楽しんだ帰りに車に轢かれる。その事故は男の耳へと届くわけもなく、ただいつか夢見るあの子が現れるのを待つ―――あまりにもこの話にそぐわないバッドエンドだ。
起承転結はしっかりとあるとはいえ、面白みが全くない。それどころか前後の接続を考えない支離滅裂なストーリーに怒りさえ覚える。
「挿絵と本文の割合は児童図書レベル。だがこんなものを幼少期に読めば、成長の根幹に何らかの悪影響を及ぼすだろう。読者のターゲットが全く分からない。一体何が目的…ん?」
暗い茶色の裏表紙をテーブルスタンドが照らす。その裏表紙の左上に、小さな文字で「1=1/2」と書かれていることに気づいた。作者名か出版社名か、調べてみるも何も情報はなかった。
情報が一切ない、間違いだらけの本。
ところで、話は変わるが人間は古くから未知なものに興味を惹かれ、進化してきたのだ。どんな大成功を収めた科学者であれども、その行動力の原点には好奇心があり、探究心があった。その心の働きは人間の進化に欠かせないものであり、今の私たちがある理由でもある。
つまり、何が言いたいかと言うと
「面白そうじゃないか!」
俺はこの本に惹かれたのである。
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