第363話「妹が落ち込んでいる。しかし、俺には何もできない。」

 妹が落ち込んでいる。しかし、俺には何もできない。


 俺がヴィクセル伯の商会が所持する建物に踏み込んだ時、全ては終わっていた。というか、アイノ達が馬車に乗ろうとしている所で、危うく置いていかれる所だった。

 そして、既にあれから三日がたっている。その間、俺達はヘレウスの屋敷の中で待機していた。なにせヴィクセル伯の直接の接触だ。しかもアイノが荒事を起こしている。周辺で何が起きるか予想がつかないので、ヘレウスが部下を使って必死に確認に走っていた。


 ちなみに、アイノ達の案内についていた者はヴィクセル伯の息がかかっていたのが判明し、解雇されてしまった。元々、向こうからも給料を貰っていたそうだ。とんでもない奴である。


 現在時刻は朝。朝食後。屋敷内の談話室。部屋にいるのはサンドラ、俺、リーラ、アイノの四人だ。

 そしてアイノは暖炉の前で落ち込んでいる。夏だから火は入っていないのだが、なんだかそこに椅子を置いて座ると落ち着くらしい。


「アイノ、何度もいうが対応に問題はなかった……。既に話はついていたわけだしな」

「うん、それはわかっているの。でもね、兄さん……」


 アイノは静かにサンドラの方を見る。椅子に座って申し訳無さそうにしている。それというのも、サンドラからもたらされた一報が落ち込む原因だったのだから。


「アイノさん……。ゴリラというのは数年前に帝都にやってきて大流行してきた動物で、決して悪い意味では……」

「だからって、なんで私がゴリラ扱いなんですか。まだ三日しかたってないのに!」


 そう、三日間で帝都社交界においてアイノの評判が決まってしまったのだ。

 自らを守るため、屈強な男性を軽々と投げ飛ばす。

 その力強さはまさしく、数年前に流行ったあのゴリラではないか。


 よりによってアイノについてそんな評判が広まってしまったらしい。ヴィクセル伯達の情報操作かと思ったら、噂話が勝手に広まったそうだ。次男オルヴァが本気で謝りに来た。

 アイノは社交の場には出ないので、この評判を覆すのは難しい。俺としてはやりすぎてうっかり相手が死んでいなくて良かった、という所なのだが。気の毒ではある。


「まあ、なんだ、そう悪い噂でもないのだろう。強い女性として評判だとヘレウスからも聞いている」

「その通りです。既に何人かの貴族令嬢から熱烈な手紙が届いております」


 言いながらリーラがテーブル上に数枚の封筒を置いた。しっかりした紋章の蝋印が押された封筒は、どれも上等な紙質で分厚い。中には熱い文章の手紙が入っていることだろう。


「手紙……読んでから返事をしないと駄目でしょうか?」

「……内容次第じゃないか?」

「無視したらそれはそれで、孤高の存在として評判になるかもしれないの。アイノさんには気の毒だけれど、結果的には問題は少なくなったわけだし」

「そうだな……」


 そうなのだ。アイノには悪いが、この状況は悪くない。聖竜領の賢者の妹はただの怪力。魔法はそれほど得意ではない。そんな評判が広まってくれた方が俺達にとっては都合がいいのだ。


 なので、この噂についてはそのままにしておく。こうなると修正するのは大変だとヘレウスも言っていた。


「アイノ、良ければこれを持ってマイアと出かけてみないか?」

「なにこれ……お金? 凄い量だけれど」


 俺が渡したのはそれなりの金額の入った財布である。


「マイアのほうが深刻ででな、二人で気晴らしでもするといい。散財は良くないが、気晴らしに金を使うというのは選択肢の一つだ」


 実はマイアの方が状況は深刻だ。ヴィクセル伯の接触で浮足立ってしまい、これといった対処ができなかった。脱出する際も、直接的に結果を出したのはアイノである。

 剣士であり護衛であるという自分の根幹部分が揺らいだ彼女は、わかりやすく落ち込んでいる。

 下手な慰めも思いつかないので、二人で気晴らしでもして貰おうと、そう思ったわけである。


「……マイアさん。うん、そうね。兄さん。私ちょっと出かけてみるわ。買い物も途中で台無しになっちゃったしね」

「ああ、楽しんで来るといい」


 少し考えた末、アイノは笑みを浮かべると部屋を出ていった。


「何とかなるといいが」

「意外ね。アルマスがついていかないなんて」

「一緒に来てくれと言われればそのつもりだった。しかし、今回は二人で行くべきだと思ってな」

 あの日のことをやり直せば少しは気が晴れるかもしれない。その程度の考えだ。


「じゃあ、アルマスは今から暇ね。ちょっと付き合って欲しいことがあるのだけれど」

「なんだ? どこかの貴族に冷房でもつけにいくのか?」


 帝都に来てからそこらじゅうから声がかかっていると聞く。そろそろ断れない所でも出てきたか。


「違うわよ。ちょっとした買い物よ。あなたにしかお願いできないこと」

「?」


 よくわからないが、俺はサンドラについていくことにした。


 数時間後。俺はサンドラとリーラの三人でヘレウス家の聖竜像の前に居た。

 像の前にテーブルを置き、そこには色とりどりの菓子類が並んでいる。


『むぉぉっ。これは嬉しいのう』


 脳内では聖竜様がかつてない興奮に包まれていた。ちょっと落ち着いて欲しい。


「まさか、用件が聖竜様用の買い物とはな」

「せっかく帝都に来たのだもの。日頃のお礼をしないとね」


 そう言うサンドラの横ではリーラがお茶の準備をしている。ついでとばかりにティータイムというわけだ。


「サンドラ、もう聖竜様に捧げてもいいか?」

「もちろん。……日頃の感謝の証です。どうかお受け取りください」


 リーラがお茶を淹れ終わるのを確認してから、サンドラが静かにそう言って一礼すると、テーブル上のお菓子が殆ど消えた。


『さすがに全部は悪いので、少し残しておいたのじゃ』

『気を回さなくても大丈夫だと思いますが』

『なに、ワシだけ楽しむのもわるいじゃろう』


 テーブル上にはケーキが三つ残っていた。


「俺達の分を残してくれたそうだ」

「ありがとうございます」

「私も頂いてよいのですか?」

「当然だろう。聖竜様はそういう区別はしない」


 そんなわけで、聖竜像の前でお茶の時間となった。


 静かな時間が流れる。帝都に来てからは珍しい、穏やかな時間だ。


『うおお! これ美味しいのう! たまに色々備えてくれるとワシはとても嬉しい!』


 ちょっとうるさいけど、穏やかな時間だ。


「アルマス。そろそろ、帰りましょうか?」


 聖竜像を見ながら、サンドラがぽつりと言った。

 

「……そうだな。なに、またいつでも来れるさ」


 帝都行きの目的は概ね果たした。長居をすることもないだろう。サンドラが言い出すということは、業務的にも色々片付いたということだ。


「では、荷物をまとめねばなりませんね。……そういえば、ハリア様、ほとんど皇帝陛下と一緒でしたが。帰ってくれるでしょうか」

「……多分、大丈夫だと思う」


 帝都での生活が気に入って嫌がらないかちょっとだけ不安になった。

 結果的に、ハリアが一番帝都行きを楽しんだ気がするな。俺達と違ってトラブルに巻き込まれなかったし。

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