第362話「大丈夫、なんとかできる。」
アイノは困っていた。今、自分が帝都内のお高い商会内にいて、もてなされているという事実に困っていた。
隣には苦虫を噛み潰したような顔で正面を睨むマイアがいる。いつも凛々しい彼女が、こんな顔をするのを見るのは初めてだった。
きっかけは、市場でちょっと高めの装飾品の店を眺めている時だった。せっかく帝都に来たのだから、クアリアの町にないものも見てみようということになり、ヘレウスのつけてくれた案内人に連れて行って貰ったのだ。
そこで、ヴィクセル伯と接触した。まさか、本人が直接来るとは思っていなかった。その場で息子だと名乗ったフムスという男に話をしたいと言われて、ここにいる。
マイアはどうにか断ろうと言葉を探ったようだったが、何も言えなかった。むしろ、ヴィクセル伯から「お祖父様はお元気かね?」と言われたことの方が良くないようだった。
聖竜領で剣を振っている限り意識することはないが、マイアはお嬢様なのだ。勘当同然の状況とはいえ、周囲はそう見てくれない。実家への影響を考えてしまった隙を突かれて、彼らの商会の建物に連れて来られてしまった。
この間、ヘレウスのつけた案内人も対処できていなかった。アイノはこれを相手が大物すぎるからだと判断しているが実は違う。この店に案内することも含めて、ヴィクセル伯の手の内である。
いくら魔法伯とはいえ、全てを把握しているわけではない。むしろ、こういう時のためにヴィクセル伯が長年仕込んでいた手札であった。ちなみに案内人は商会の建物内でのんびり待機している。
「おや、最新の甘味を取り揃えたのですが、お気に召しませんか? 聖竜領という地では珍しいものばかりのはずですが」
「いえ、急にお邪魔して申し訳なく……」
「気にすることはない。儂はお嬢さんと話をしてみたかったのだ。遠慮なく食べてくれ、後で請求などせんよ」
テーブルごしには、若い頃は精悍な顔つきだったんだろうなぁ、という小太りの老人と、それをそのまま小さくしたような若者がいた。
ヴィクセル伯とその三男フムスである。二人はアイノとマイアを案内するなり、いかにも高級そうなティーセットが配置された広間に案内した。
何やら食器が段になっている専用の機材(アイノは名前を知らないがアフタヌーンティースタンド)には色とりどりのケーキ類が小さく切られて並んでいる。
聖竜様が見たら大喜びだろうな。
まず自分の食欲よりもそんな感想が先に出るアイノである。実際、室内に入った瞬間『おおっ』という聖竜様の声が聞こえた。すぐに真面目な様子でアルマスに連絡を取り始めたが。
「アイノ様、いただきましょう。ヴィクセル伯ともあろう方が、お茶の一杯くらいで何か言うことはありませんから」
「わかりました」
硬い顔でマイアが言ったのを受けて、アイノは頷いた。近くにいたメイドさんが運んできた、何らかのジャムやクリームが乗った複雑な形をしているケーキは物凄い美味しい。
「あ、美味しい」
思わず声が出ると、ヴィクセル伯とフムスは笑みを浮かべた。
嫌な笑い方だ。こういう大人を、目覚める前は沢山見てきた。『嵐の時代』、人間には厳しい世の中だった。
「うむうむ。楽しんでいってください。服に装飾品も少しですが用意があります。ああ、なに、お近づきの印ですよ」
「これフムス。少々あからさまじゃぞ」
テーブルがなければこちらににじり寄って来そうな言い方だった。
横のマイアが心配そうな顔をしている。
大丈夫、なんとかできる。
「あの、私、色々貰っても特別権限などはないですよ?」
事実をそのまま伝えた。アイノはアルマスの妹、それ以上の立場はない。仕事だって最近貰えるようになったばかり。特別な権益は持っていないのだ。唯一、眷属と同じ魔術が使えるという点はあるが、これは絶対に秘密である。
「構いませんとも。こうしてお嬢さんがたまに我々と会ってくれるだけでいい。あの空飛ぶ竜に乗ってね」
「なんなら長期滞在するといい。いくらでも面白いものをお見せしよう」
あくまでお近づきになりたいだけという態度。それがアイノには逆に不気味に見えた。恐らく、この二人は私と仲良くなることで何らかの利益があるのだ。すぐにではないけれど、将来的な利益が。
具体的な想像はできないが、それくらいの推測はついた。
「次に帝都に来る時期はわかりませんし。さすがに長期滞在は……」
「何を仰る。兄上に頼めばすぐ連れてきてくれるのでは? 聖竜領の賢者はかなりのシスコ……妹君を大事にしていると聞いていますよ」
なるほど。自分経由で兄へ影響を与えたいんだな。
アイノはそう理解した。
そして、それは到底許せるものでもなかった。
兄アルマスは人生を捨ててまで自分を助けてくれた。更に居場所まで作ってくれた。全て自分のためだ。これ以上、家族とはいえ自分のために縛られるようなことがあってはならない。
兄には兄の人生を送ってほしい。いや、もう寿命もないけれど。
それがアイノの本心だった。
「マイアさん、帰りましょうか」
すっと席を立つと、マイアが待ち望んでいたかのように立ち上がった。
「お二方、今日はアイノ様とお茶を楽しんだという事実だけでご満足ください。これ以上は、時期尚早かと」
彼女にしては持って回った言い回しをして、アイノを先導して部屋の出口に向かっていく。
すると、扉が開いて男たちが入ってきた。武器は持っていないが、アイノよりも頭一つは大きい巨漢ばかり。それも鍛えている上に、武術の心得がある。一部は武器も隠し持っている。
アルマス、リーラ、マイアに教育を受けているアイノは素早くそれらを見抜いた。
兄を利用しようとする彼らと仲良くする気などない。とっとと出ていってしまおう。
「お嬢さん。もう少しお話をしましょう。そうしないと、手荒なことになる場合もありますよ」
フムスがニヤニヤと笑みを浮かべながら言う。口調とは裏腹に、非常に高圧的だ。
「いえ、問題ないようなので押し通ります」
アイノは一歩前に出ると、男が目の前に来た。こちらの肩を抑えて、動けなくしようとしてくる。女にはこれで十分、そんな余裕すら見える表情。
「邪魔です」
「え?」
魔力で肉体を強化してぶん投げた。
周りの人間には、アイノが男を持ち上げて床に叩きつけたように見えただろう。
実際、その通りだった。技術による投げではなく、力任せな動作によって、巨漢が床に叩き落されるのは、衝撃的な光景だった。
「あ……あ……」
可愛そうな男は痛みで動けない。ちょっと骨とかいっちゃってるかもしれなかった。アイノはほぼ素人で手加減できないので。
「アイノ様……これは……」
「大丈夫です。兄が話をつけたようですから」
ヴィクセル伯とお茶をしながらも、アイノは聖竜様経由でしっかり連絡を受けていた。次男オルヴァと話し合ったアルマスから「荒事になっても大丈夫。殺しは駄目」という許可を貰っていたのである。
兄さんが来るまで待っても良かったんだけれど、あのまま話してると余計なことを言いそうなのよね……。
相手は貴族であり商人。口先で勝てるとは思えない。むしろ丸め込まれる可能性すらある。そう判断しての強行突破である。
「まだやりますか? お二人共?」
「ひっ」
「むぅ……」
フムスは青い顔、ヴィクセル伯は難しい顔をするのみだった。アイノが何らかの力を持っている想定はあっても、これは予想外ということか。
「では、帰りましょう。馬車の用意をお願いしますね」
にっこり笑いながら言うと、フムスが青い顔のまま了承してくれた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます