第340話「なにやら覚悟を決めた男の顔で言い始めた。」

 ディニスは仕事熱心な男だということがわかった。

 到着したその日に引き継ぎを開始し、翌朝は食堂で書類を広げてながら仕事。料理の時間を大切に扱って欲しいと考えているトゥルーズに真っ向から挑戦する行為だ。俺が見たときは静かに怒られていた。


「あー、トゥルーズ。ディニスは昨日ここに来たばかりなんだ。だから、帝都での生活習慣が抜けていないんだろう。許してやってくれ」

「……朝食は一日の始まりを決める大切な行為。私はそのために良いものを用意している。食堂の皆で頑張っているから、多少は敬意を持って欲しい」


 トゥルーズが怒っているのを初めて見た。どうやら、食事中に仕事をする行為だけでなく、直前に朝食の希望を聞いたら「なんでもいい」と雑に答えられたのも引っかかっているらしかった。


「ディニス、トゥルーズは聖竜領どころか、この辺りで最高の料理人なんだ。そこの気持ちを理解してやってくれ」

「……なるほど。仕事を蔑ろにされたと感じたなら謝罪します。自分は目の前に仕事があると、どうも他のことが疎かになる悪癖がありまして」


 ディニスが素直に謝罪することで、その場は何とか収まった。

 まさか、トゥルーズを怒らせるとは。聖竜領でも一番難しいようなことを成し遂げた男は、朝食を手早く済ませると、サンドラの仕事の引き継ぎ業務へとすぐに向かった。


「……働き者は思ってもみないことを起こすものだな」

「同感です。ヘレウス様もなかなか極端な方を選定したものですね」


 俺は今、屋敷の庭でリーラとのんびり過ごしている。今日はマイアが護衛の日で、彼女は非番だそうだ。


「思ったよりも目立つ場所で休むんだな。もっとひっそり過ごしているものとばかり思っていたよ」

「わざとです。私が休んでいる姿をしっかり見せておかないと、メイド達も休みにくい環境になってしまいますから」


 上司がしっかり休んでいるのだから、自分たちも休む。そんな環境づくりの一環というわけか。メイド長として色々考えて行動している。大したものだな。


「どうかされましたか?」

「いや、リーラも立派にメイド長をやっているんだな、とな」

「成り行きとはいえ、私がすべき役目ですから。それに、最終的にこうすることがお嬢様の力になるのです」


 相変わらずのサンドラ最優先の姿勢を示しつつ、赤い色のメイド長は薄っすらと笑った。


「ディニスについてはどう思う? 仕事熱心な所以外は問題なさそうだが」


 まだ一日しか見ていないが、俺はそう判断しつつあった。あの娘大好きなヘレウスが迂闊な人材選びをしたとも思えない。彼が間違えたのは再婚相手と家族関係の構築くらいだ。……致命的だな。


「今のところ、不審な点は見当たりません。大変優秀な方ですが、あまり周囲の関係に気を配らない方でもあるようで、帝都では少々煙たがられていたようですね」

「たしかに、そんな風には見えたな」

「もともと神経質なところと相まって、気になる点をビシバシ指摘していたようです。ヘレウス様にこちらへ来る話を申し付けられる前は、ほぼ閑職にいたとか」

「仕事は優秀……ということか。サンドラは平気そうか?」

「はい。自分の仕事について指摘できる方を求めている節がありましたから」

「それは、何よりだな」


 本来、そういう役目ができそうだったマノンはクアリアにいるからな。ディニスの存在は、思いの他、サンドラにとって良いのかもしれない。


「となると、後は上手く聖竜領に馴染んでくれるかだが」

「私も出来る限りのことはするつもりですが、その点は保証できかねます。マノン様との相性も心配ですね」


 たしかに、サンドラはともかくマノン相手にあの態度だとどうなるだろうか。ちょっと想像がつかない。


「よし、俺の方でもできるだけ動いてみよう。まずは人となりをもっと知らないとな。ディニスはまだ引き継ぎか?」

「ロイ先生が屋敷近くでゴーレムの試験をしていると知ったら、その見学に行きたいと話していました。時間的にそろそろですね」

「では、少し様子を見てくるか」


 俺は早速、ロイ先生が実験をしている屋敷前の畑へと向かった。


 屋敷前の畑は、アリアが色々な作物を実験栽培している研究用の土地という側面がある。そして当然のように、ロイ先生はその畑に対してゴーレムの労働力を注ぎ込んでいる。

 夏植えの野菜のためだろうか、すでに畑の一部が綺麗に掘り起こされていた。近くには、腕をクワ型にされたゴーレムが佇んでいる。


 それを眺めているディニスが、何やら棒立ちで景色を眺めていた。


「何か気になるものでもあるのか?」

「……はっ。あ、アルマス様! いえ、これは失礼ました。少し、景色に見とれておりまして」


 ディニスが言いながら指さしたのは畑近くに設けられた木陰。その下で幸せそうに食事の準備をしているロイ先生とアリアの夫婦だった。


「景色というと、あの二人か?」

「はいっ。この聖竜領には、たしかな人の営みがあります。無機質な人間関係しかなかった、帝都では失われたものが……」


 どうやら、ロイ先生たちのピクニックめいた昼食に感動していたらしい。


『アルマス、都会は恐ろしいところのようじゃのう。人は多いが、人間関係は希薄っていうやつじゃな』

『いえ、普通に都市部でも人の営みはあるし、人間関係だって濃いものは醸成できるはずですが』


 なぜか訳知り顔で言ってきた聖竜様に返事をしておく。


「あー、ディニス。そんなに感動することじゃないぞ。帝都でもここでも、人が生きているのは変わらない」

「いえ、いえ……自分には違うのです。なんとなくですが、ここなら自分の人生が送れる……そんな気がします。頑張って、順応しなければ……」


 なにやら覚悟を決めた男の顔で言い始めた。何気ない日常の光景が、それほどまでにこの男の心に響いたということか。悪いことではないな。このままいこう。

 

 とりあえず、ディニスには当面の脅威は無い。俺はそう判断することにした。

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