第339話「大丈夫だろうか。サンドラの仕事の引き継ぎはどうしても周りに人が来るんだが。」
代わりの人材が来た。かねてから予定されていた、サンドラの業務を代行する人である。
「はじめまして。ディニスと申します。以後、お見知りおきを」
レール馬車から降りて、俺達にそっけない挨拶をしたのは、丸メガネに神経質そうな見た目をした三十歳くらいの男だった。荷物は少なめで、ずいぶん身軽な様子だ。
「ようこそ。アルマスだ。聖竜様の眷属をやっている。サンドラは引き継ぎの準備で屋敷で待っている」
「そうでしたか。予定より早く到着してしまいましらからね。ご迷惑をおかけしました」
そういうとディニスは几帳面な動作で頭を下げた。見た目通りの性格ということだろうか。
「気にしないでくれ。早く来てくれて助かるくらいなんだ。さあ、屋敷に案内しよう」
俺が出迎えたのはたまたま手が空いていたからだ。それと、ヘレウスが選定したとはいえ、どんな人物が来ているのか直に見てみたいと思ったのもある。俺達が帝都にいる間、マノンが行政の長になり、このディニスがその補佐をということになる。変なことをしでかしそうにないか、見極めは必要だ。
「ありがとうございます。あ、ちょっと良いでしょうか?」
「なにか問題でもあったか?」
俺が問いかけると、ディニスは手荷物を地面において、三度ほど大きく深呼吸した。
「……素晴らしい。素晴らしい! ついに自分は求めていた環境に辿り着いた! ありがとうございます、ヘレウス様!」
いきなり叫んだ。荷物持ちにと一緒に連れてきていたメイドがびっくりしている。
「失礼しました。自分は帝都生まれ帝都育ち。しかし……人の多い所が苦手で、向こうではどうにも周囲が気になって処理能力が落ちてしまいまして」
「都会が苦手なのか?」
「何もしなくても雑多な情報が入ってくるのが得意でないのでしょう。耳に入った事柄に対して余計に考え込んでしまうのです。その点、ここは静かで良い。鳥のさえずりは耳に心地よく、気に触りません」
「……早速気に入ってくれたようで何よりだ」
俺はそれだけ言うと先導して屋敷への道を案内した。大丈夫だろうか。サンドラの仕事の引き継ぎはどうしても周りに人が来るんだが。
◯◯◯
俺の心配は杞憂だった。ディニスはサンドラに挨拶した後、部屋に案内されて荷物を置くなり、すぐに引き継ぎ業務に入った。一日くらい休めばいいと言ったのだが、道中で十分休んだとのことだ。移動の疲れがない、というよりもサンドラが用意した書類の山を見た瞬間、目を爛々と輝かせたのを俺は見逃さなかった。
多分、この男は仕事の虫だ。
そんな予想を裏付ける光景が目の前で展開されている。
「この書類が収穫祭のもの。開催される頃には帰ってくる予定だけれど、資材関係の準備はしておいてほしいの」
「承知しました。ふむ、年々規模が大きくなっていますな。今年も大きめに?」
「村の中に講堂が出来てからそれを利用する予定よ。そちらに合わせて準備をしておいて、マノンと話し合った上でね」
「では、少し規模が大きくなりますね。こちらは南部の移住者と建築関係の書類ですか」
「一応、何事もなければ秋まで自然と進むようにはしてあるけれど、目を通しておいて。気になる点があれば質問を」
「はい。素晴らしいですな。実によく取り揃えられている。計算関係はサンドラ様が?」
「最近はメイド達にやって貰うことも多いわ。本当はそれだけしていたいんだけれど、選択する仕事の方が多くなって」
「そうでしょう。そうでしょう。帝都でも聖竜領とクアリアの発展具合は評判ですから」
「それが帝都行きの懸念でもあるのよね」
「ヘレウス様が表に裏に色々と動いておりますよ」
たまに雑談をしつつ、物凄い速度で引き継ぎに関して二人は話し合っている。俺どころか、リーラが入る余地もない。
「アルマス様、お茶が入りました」
「ありがとう。サンドラはなんだか楽しそうだな」
「ああいった根っからの事務職の方とお話する機会は少ないですから、仕事の話で盛り上がるのは致し方ないことかと」
「まだ十代なのに、盛り上がるのは仕事の話か……」
「それでこそお嬢様です」
俺が微妙な顔をして言うと、リーラは胸を張って断言した。まあ、今のサンドラが輝いているのは確かだ。
「アルマス、引き継ぎはしばらくかかるから、席を外してくれても構わないわよ? 出迎えまでしてくれて、ありがとう」
「問題ない。俺もディニスに会いたかったからな」
気遣いの気持ちが乗った言葉を受けて、俺はリーラの淹れてくれたお茶を飲み干し、席を立つ。たしかに、ここに俺の出番はなさそうだ。ディニスも今のところ、仕事熱心以外おかしなところは見られない。
「では、失礼する。自宅の畑を見た後、今日は戻ってきてこちらに泊まるよ」
「ありがとうございます」
念の為、今日は泊まるという俺の意図を察したリーラが、深く頭を下げた。サンドラとディニスは仕事の話に夢中だ。
ヘレウスは的確な人材を送り込んでくれたのかもな。
そう思いつつ、俺は領主の部屋を後にした。
書類を読みながら朝食を食べていて、トゥルーズに怒られているディニスを目撃するのは、翌朝のことである。
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