第336話「そうなると、このくらいはサービスのうちだ」
今回ハリアが抱えているのは牛輸送用に新たに作られたものだ。竜が抱えて飛ぶため小さめの家くらいの大きさがあり、中には牛が過ごせるように水、飼料、藁などが乗っている。床を金属や石で加工して掃除しやすくするという案もあったが、恐らく今回きりの使い道ということもあって、シンプルな作りとなっている。
もちろん、人間の乗るスペースもあるし、窓もある。他の輸送用の荷箱に比べると小さいが。
「すごい、一瞬で眠った。なんか、幸せそう」
「快眠の魔法だ。普通の睡眠の魔法をいじって作った特別製だよ」
乗り込むなり順番に魔法をかけると、牛達はその場で安眠に入った。
『嵐の時代』、落ち着いた情勢でも眠れない同僚があまりにも多いので開発した魔法だ。良質な睡眠は休養する上でとても大切だ。ちゃんと効いて良かった。
「こんなに準備してもらって、本当にありがとうございます。でも、聖竜領につく頃まで眠ってしまいそうですね」
大量の資材を見ながらイーリスが言う。
「問題ない。余ったら君達に使ってもらえばいいんだしな」
「そろそろ いくよ」
室内にハリアに声が響いてきた。出発だ。
「本当に魔法で眠らなくて大丈夫か? 結構高いぞ」
「う、ちょっと怖いですけど、空を飛ぶなんてもう二度とないでしょうから。起きていたいです」
「なるほど。承知した。ハリア、出してくれ」
「りょうかい」
浮き始める荷箱。俺の前にある窓からは徐々に高度が上がり、景色が変わっていくのがよくわかる。見送るイーリスの家族達が手を振っているので、軽く振り返しておいた。
「わ、わわわわ! わ、私達、今、飛んでますね!」
「そうだな。うん、牛達は大丈夫そうだ」
さすがに慌てるイーリスを横目に、牛達を確認。このまま眠っていてくれれば、無事に聖竜領に到着するだろう。
ハリアは高度を上げて出発。北へと向かっていく。今日は風もない、安定した空の旅ができるはずだ。
「ひっ……う、おおぉぉ…………すごい……」
おっかなびっくり窓までやってきたイーリスが、景色を眺めて悲鳴なのか感嘆なのかわからない声を上げた。
眼下に広がる景色は聖竜領とはまた違ったものだ。どこまでも広がる平原や丘、そして荒野。豊かでありながら、厳しいイグリア帝国南部の様子が見える。
「すごい……世界って、こんな風に見えるんですね。私達、あんな小さなところで生きてたんだ」
目の前で少女の世界への認識が変わっていくのがわかる。家族と牛、それといくつかの街だけを世界の全てだと思って、生きてきた子だ。多少なりとも、価値観に影響があるのだろう。
「小さくはないさ。君達は立派に生きていた」
「そうですね。でも、私、この景色、死ぬまで忘れないと思います」
怯えて眠らせてくれと言ってくるかと思っていた少女が、むしろ瞬きする間すら惜しんで外を眺めている。人の反応なんて、わからないものだな。
そのまま空の旅は続き、予定通り聖竜領に到着した。
◯◯◯
「え!? ここに私達が住んでいいんですか! こんな立派な! 牛舎まであるし!」
ハリアの航空便は無事に到着した。牛を起こす前に現地確認してもらおうとイーリスに居住予定の家を見せたら、想像以上に驚かれた。
「立派と言っても、資材を運んで急いで作ったものだ。なにか問題があれば教えてほしい。一応、食料も備蓄してある。小さいが、俺が魔法をかけた冷蔵や冷凍の保管庫もあるから、長期保存が可能だよ」
「あの、それって、魔法の保管場所っていうことですよね? 物凄くお高いのでは?」
「気にしないでくれ。第一副帝との約束もある。君達に定住してほしいんだ」
魔法の保管庫を用意したのは、近くに商店も集落もないからというのも理由の一つだ。ここの住民は自給自足に近い生活をしなければいけない。そうなると、このくらいはサービスのうちだ。ちゃんとサンドラも納得している。
「あ、ありがとうございます! ありがとうございます! こんなに良くしていただくなんて! 後で家族皆でお礼に伺います!」
唐突に動いたと思ったら、地に頭をつけて礼を言い出したイーリスは泣いていた。
「あ、頭を上げてくれ。何も泣かなくてもいいじゃないか」
「正直、覚悟してたんです。最初の冬を乗り切れるかなって……。厄介払いですから。でも、まさかこんなに……前よりも豪華なくらいの環境を用意して貰えるなんて……」
そうか、彼女たちは一族同士の争いに負けてここに来ることになったようなものだ。となると、敗北者として相応の生活を覚悟していた、ということになる。
「イーリス、君の勘違いだな。聖竜領は君達の牛飼いとしての技術を必要としているし、第一副帝だってそこまで冷血な男ではない。ちゃんと、今後のことを考えた上での話だったんだよ」
「そうですね……そうだったんですね……」
顔をあげたイーリスはまだ泣いていた。聖竜領への移住が決まって、今日までの日々、彼女の心にどんな重圧がかかっていたのか、察するにあまりある。
「喜ぶのはまだ早いぞ。牛達を起こす、彼らにちゃんと移住してもらわなくてはいけない」
「はい! まかせてください! ああ、早くみんな、こっちに来ないかなぁ」
「大丈夫。今日中には全て済む予定だ」
声を弾ませながら、牛達のいる荷箱へ歩き出したイーリスに言ってやる。思った以上に輸送は順調だ。今日の夕方には、一家族、牛二十頭の移動は済むことだろう。
「そうだ。ところで君達の作るチーズやバターはとても美味しいそうだが、俺にも買わせてくれるんだろうか?」
きっと、アイノやトゥルーズが喜ぶぞ。良いバターを使った料理は一味違う。
「もちろんです! アルマス様には一番いいやつをお渡ししますよ!」
そう言いつつ、もう一度深く頭を下げたイーリスは眠っている牛達の様子を見るべく、荷箱の中に入っていった。
その後、彼女の一族の移住は無事に完了した。
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