第335話「こういうパターンは珍しい。」

 俺は草原に立っていた。ただの草原じゃない。聖竜領から遙か南、第一副帝の領内にある、とある草原だ。

 広い平野で青々とした草が広がっている。しかし、よく見ると草原はすぐに消えて畑になっている。町も近く、人の暮らす領域であることを主張している。草原から畑へと変わりつつある地域、そんな場所だ。


「無事に到着したな。こういう草原だと、着陸に遠慮がいらなくていい」

「そうだね。あとでお土産買いたいな」


 いよいよ今日は、牛の輸送をする日である。しかし、人員はハリアと二人きり。仕事が忙しくて同行者が用意できなかった。特別製の荷箱に牛を乗せて魔法で眠らせて運ぶ、それだけの仕事なので大丈夫だとは思う。

 既に準備は整っており、草原には沢山の牛達と、今回移住する人々が待機している。

 もちろん、いるのはそれだけじゃない。


「やあ、アルマス殿。よく来てくれた」


 俺たちを出迎えたのは驚いたことに第一副帝ノーマだった。まさか、この地域で一番偉いのが出てくるとは。


「わざわざ来てくれたのか。仕事は平気なのか?」

「帝都よりも先にこの地に聖竜領の竜が降り立つんだ。最優先事項になる。それに個人的に、気晴らしにもなるのだ」


 そうか、今回の輸送は帝国内を行き来するための試験でもあるわけだ。そうすると、ヘレウスの部下もどこかに混ざっているんだろうな。きっと、帝都に行く際は今回のことを踏まえた抜け目ない準備がされているに違いない。

 それともう一つ、サンドラに持たされていた荷物の意味もわかった。


「そうだ。これを聖竜領の領主から持たされていた」

「こ、これは……」


 俺がローブの中から取り出したのは、聖竜領で活躍する建築家、リリアの肖像画だ。それも複数枚。絵自体は小さいが、色んな服を着たり、アングルに工夫が凝らされていたりと出来が良い。聖竜領の画家が精力的に活動した結果というわけだ。


「ありがとうございますっ。ありがとうございますっ」

「そんなに嬉しいなら、一緒に来たらどうだ? どうせ今日は往復するんだし」


 今日は合計四往復して、一家族に牛二十頭を運ぶ予定である。早朝から初めて、夕方に終わる予定。恐らく、普通にこれを移動したら一月以上かかるだろう、地形を無視できる空の移動ならではの早さだ。


「とても……とても心惹かれる提案だけれど受けるわけにはいかない。仕事が山積みなので。最初に飛び立ったらすぐ移動なのです」


 涙ぐみながら語る第一副帝。残念ながら、忙しいようだ。


「ま、まあ、こうして簡単に来る方法ができたんだ。機会はいくらでもあると思うぞ」

「時間ができたらすぐ連絡を入れて竜を飛ばして貰っていいでしょうか。代金も払います」


 頭を下げられた。真面目すぎて政争とか大丈夫か心配になる。リリアに会ったら優しくあげるように頼んでおこう。


「さて、早速牛を運びたいんだが」

「うむ。一度に五頭、それぞれ家族の者が同行するそうだ」


 のんびり草を食んでいる牛達を見守っている人々の中から、少女が一人歩み出て来た。

 動きやすそうな格好をしており、短い髪と優しい目が特徴だ。


「イ、イーリスと申します。最初は私と牛達をお願いします」


 緊張気味に挨拶された。目の前にいるのは第一副帝だからな、無理もない。


「じゃあ、まずは牛達をあの輸送用の箱の中に……」

「あ、あの。一つお聞きしたいことがあります……っ! 牛達は魔法で眠らされて大丈夫なんでしょうか?」


 俺の方を見ながら震えている。もしかして、怯えられているのか? そういえば聖竜領から離れるほど得体の知れない存在扱いされているんだったな。それと、聖竜領にいると感覚が麻痺しがちだが、大抵の人々は魔法という存在と縁がない。震えの理由は、そんなところだろう。


「大丈夫だ。昔、馬に眠りの魔法をかけたことがある。起きた後、元気に走り回っていたよ。それと、人間にかけても問題ないな」

「アルマス殿は六大竜の眷属にして類い希な魔法の使い手。安心するが良い。すまない、民が失礼を……」

「ひっ……第一副帝様に頭を下げさせてしまって、申し訳ありません! 牛達が空を飛ぶと聞いて心配で心配で……」


 地面に伏して必死に許しを乞うイーリス。こういうパターンは珍しい。いや、帝国でも最上級の権力者が来てるんだから、こうもなるか。聖竜領の賢者についての噂も尾ひれが沢山ついているだろうしな。


「俺は特に気にしていない。当然の疑問だ。さっき一緒に来たハリアは水竜の眷属だ。ドワーフ王国との行き来もしていて、これまで事故は一度も無い。人間も運んだことがあるし、飛んでいる時は殆ど揺れない。安全だよ」


 できるだけ穏やかに、優しく語りかける。


「それと、イーリス。君も空を飛ぶのが怖いということであれば、眠りの魔法で眠らせよう」


 高いところからの景色が苦手な人はいる。この配慮については前から検討されていたことだ。


「い、いえ。私は牛の様子を見たいので、そのままでお願いします。おいで!」


 顔を上げたイーリスは立ち上がると、指笛を吹いた。高い音が響いた直後、牛達の群れから五頭がゆっくり現われる。


「エルン、ディグ、ウルル、キィ、ソワ、です。皆、良い子なんですよ」


 にこやかに語るイーリスが紹介したのは乳牛たちだった。全員耳に識別用のタグがついていて、少し痩せている。栄養状態が良くないのかも知れない。


「すごいな。呼べば来るのか?」

「はい。私の大事な家族ですから! 遠くからでも一目で誰かわかります」

「遠くからでも……」

「彼女の一族は、特に牛との絆が深いのです。それゆえ、伝統的な暮らしから抜け出ることが難しく……」


 ノーマが微妙な顔で教えてくれた。何か、色々とあったのだろう。少なくとも聖竜領に行けばしばらくは自分達だけだ。トラブルは起きにくいだろう。


「では、牛達を荷箱に入れてくれ。一応、中に必要そうなものを入れてある」

「ありがとうございます!」


 頭を下げたイーリスが牛達をハリアの運んできた巨大荷箱へと誘導する。


「アルマス殿、彼女達は悪い一族ではないのです、それだけは保証できます」

「含みがあるな?」

「なんというか、牛が好きすぎまして……」

「……そうか」


 まあ、何とかなるだろう。むしろ熱心に仕事をしてくれそうだと思うことにしよう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る