第316話「すべてを諦めたように、ヘレウスがそう呟いた。」

 当然ながら、サンドラとヘレウスの関係は悪化した。チェスで対決した後、サンドラは退席し、食事で顔をあわせてもヘレウス相手だと一言も話さない。


「明らかにやりすぎだな」

「反省している。つい、やってしまった。あのままだと負けそうだったので……」

 

 俺とヘレウスは割り当てられた部屋の中で対策を相談していた。今日はリーラが来てくれてお茶を淹れてくれた。一見優雅で穏やかな冬の日に見えて、ヘレウスの様相は深刻だ。窓の外に広がるクアリアの景色は、冬でも活気のある良い町だというのに、室内の空気との落差が凄い。


「さて、アルマス殿。この後どうしよう?」

「俺に聞かれてもな。素直に謝ってどうにかなる状況でも関係でもないし」

「部下との関係は構築できるのに、娘との関係は上手くいかない。人とは難しいものだな」

「……本当にな」


 何か達観したような顔をされたが、本当に何の解決にもならない。

 仮に自分に今の状況をあてはめてみよう。俺がアイノの機嫌を損ねて口もきいてくれなくなったら……すぐさま謝るし、事情を聞くな。うん。

 とにかく、上手く会話して相互理解すればいいんだろうが、目の前の親と機嫌を損ねている子のどちらも性格に難がある。あと、関係も悪い。

 さて、どうしたものか。

 思考が堂々巡りしかけたところで、じっと側で控えていたリーラが口を開いた。


「お嬢様も、わかっているのです。旦那様がお嬢様を気遣っていること。なんとか娘との関係を作ろうとしていること。チェスの盤外戦術ではありましたが、奥様のお墓に来てほしいという本音は伝わっています」

「……そうか。やはり、あれで良かったのか」

「いえ、盤外戦術の一環として話したのは悪手でした。普通に伝えれば、お嬢様の評価も上がり、関係も少し良くなったかと」

「…………」


 ヘレウスが目に見えて落ち込んだ。俺としても擁護不能だ。普通に話せばよかったのに、あれではな。咎める形になってたし。

 さて、どうしたものか。

 俺でサンドラを説得できるだろうか。ヘレウスに素直に謝罪させるべきだと思うが、サンドラの反応が読めない。たまに意外な行動を取るからな。たしかに親子だ。


「やっはー。余が来たよー」


 リーラ含めて三人で何も良い案がでないでいると、いきなりクレスト皇帝がやってきた。


「これは皇帝陛下……」

「や、立たないでいい。挨拶もいいわ。驚く顔を見たかったから。リーラ、余にもお茶を一杯」

「かしこまりました」


 慌てて挨拶しようとするヘレウスとリーラを制して、クレスト皇帝は空いていた椅子にどかりと座った。

 すぐにリーラによってお茶が用意されて、その香りに満足げに頷いた皇帝が口を開く。


「なんか、またやっちゃったみたいね。ヘレウス」

「恥ずかしながら……」

「うんうん。娘が心配なあまり、余計なことしちゃうの。実にあなたらしいし、凄く人間らしくなって余としてはいいな、って思うわ」

「そうなのか?」

「そうなのよ。若い頃のヘレウスなんか、殆ど喋らないし、感情もってるのかっていうくらい表情変わらないしで、なんかゴーレムみたいだったのよ」

「お恥ずかしい話で」


 なんとなく、想像できる話だ。今の話を聞くとサンドラよりも酷かったんじゃないだろうか。


「それで陛下、どのようなご要件で?」

「もちろん。可愛い部下の問題を解決しにきたのよ」

「ほう。つまり、サンドラの機嫌を治す妙案があると?」

「あるわ。ヘレウスの昔話をするのよ。最初の奥さん、サンドラの母親と会った頃なんか面白かったわ。急に人間になった! って思ったもの。周りに帝都のデートスポットを聞いたり、服とか装飾品を買ってみたり……」

「陛下、その辺りで……」


 焦った様子でヘレウスが会話を制した。この男にしては珍しい。サンドラの母との思い出はそれだけ大切……あと若い頃のやらかしを眼の前で開陳されるのはさすがに恥ずかしいのか。


「残念。賢者アルマスとリーラは聞きたいみたいだけれど」

「興味深いな」

「興味深いです」


 俺とリーラの意見は一致していた。

 同時に、悪くない案にも思えている。


「少し恥ずかしいかもしれないが、悪くないと思うぞ。クレスト皇帝という人物を挟んでいるのもいい。客観的な事実が情報の正確性を確保する」

「お嬢様から見て、親しみやすく感じるかと思います」


 俺とリーラの意見を聞くと、ヘレウスはしばし顎に手を当てて考えた。


「たしかに、悪くない話かもしれない。皇帝陛下、お力添えをお願いしても宜しいでしょうか。それと娘に話す内容は少し選んで……」

「もう話しちゃった」

「え?」

「実はもう話しちゃったのよ。あなたが慌てすぎて池に落ちた話とか、付き合うのが決まった嬉しさで噴水に飛び込んで踊ってた話とか。凄く真剣に聞いてたわよ」

「…………」


 ヘレウスの額に汗が浮かんでいた。これは全身に嫌な汗が吹き出ているに違いない。

 一体どんなエピソードがあったんだろう。

 とても気になるが、俺は大人だ。沈黙しているくらいの分別はある。

 だから、別のことを言うことにした。


「サンドラの反応が気になるな」

「……ああ、全くだ」


 すべてを諦めたように、ヘレウスがそう呟いた。

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