第311話「こういうゆっくりした時間こそ、大事にしたいものだ。」

 静かな時間が来た。聖竜領の冬、農業のできない雪に閉ざされた時期は、室内仕事や領内の農民への文字や算数の勉強会などが仕事になり、比較的穏やかな日々になる。

 特に今年はロイ先生とアリアの結婚式というある種の祭りが終わったこともあり、一段落した感じがある。

 領主の屋敷内も少し落ち着いて、サンドラも難しい顔をする時間が少し減った。


 俺はアイノと共に領主の屋敷でしばらく過ごすことにした。森の中も悪くないが、領内に店が増えると屋敷の中というのはやはり便利だ。それに、皇帝を始めとした来客もあるので、それへの対応もできる。

 ちなみに森の中の自宅はエルフ達がたまに休憩に使うので鍵を預けてある。彼らは俺達の私室に入らないし、部屋の片付けまでしてくれる。少し増築したとはいえ、俺の家が共用スペースみたいになるのは仕方ないことだろう。


「暖かい。冬はずっとここで暮らしたくなりますね」

「エルフの村だって過ごしにくいわけじゃないだろう? 必要なら暖房の魔法をかけるが?」


 俺は屋敷の一室で景色を眺めながらユーグとお茶を飲んでいた。

 薬草関係専門の魔法士としてエルフの森で研究している彼だが、こうしてたまに屋敷まで来る。

 今回はルゼや屋敷のための薬草や魔法薬を届けるためにやってきていた。ついでに一泊して、ゆっくり過ごしていくとのことだ。

 森の中にあるエルフ村は快適だが、食生活はどうしても人間に物足りなくなる。ユーグは仲間の魔法士と自炊しているようだが、たまにこちらで味の濃いものを食べに来る。

 今は食後の休憩というところだ。トゥルーズも心得たもので、ユーグや森の魔法士が来た時は、がっつりしたものを作る。


「ロイ先輩とアリアさん、結婚して幸せそうですね」

「そうか? 相変わらず屋敷にいることは変わりないんだが」

「結構違いますよ。アリアさん、昨日だって先輩の工房にずっといましたし」

「寂しいのか?」

「まさか、そこまで子供じゃありませんよ。先輩が結婚するって、ちょっと意外でしたけれどね」


 そう言いながら、ユーグは外の景色を眩しそうに眺めた。実際眩しい。雪が光を反射するからな。

 外ではマイアとモートが剣の鍛錬をしているのも見える。二人で雪かきをしていたら何だか盛り上がって、訓練を始めてしまった。元気の良いことだ。


「ただ目の前の仕事をしているだけのつもりでも、意外と人生に変化ってあるんですね」

「そうだな。ある日突然、そういうのが始まることもある。俺の場合は、それまで時間がかかったが」


 森の中で何百年も暮らしていた時よりも、ここ数年の生活の変化は目覚ましい。変化というのは凄まじいものだ。


「オレにもそういう変化があるんでしょうかね?」

「わからん。ユーグ次第だな。結婚の話なら、俺にはよりわからないぞ。ロイ先生にも相談されて、困ったんだ」

「結婚かぁ。オレには縁がないなぁ」

「そんなことはありませんよ」


 世間話に乱入してきたのはエルフのルゼだ。手には彼女用の茶器があり、嗅ぎなれない匂いが漂ってくる。新しい薬草茶を振る舞いにきたようだ。


「ユーグさんが栽培してくれた薬草茶、よければどうぞ」


 予想通りのことを言われたが、俺達は喜んでそれを受ける。エルフのお茶は飲みやすく、体に良い味がする。


「ユーグさん、優しいですし可愛いですし、真面目ですから、森のエルフからも人気があるんですよ。永住してくれるなら、一緒になる子もいるかもしれません」

「ほう。それほどなのか」


 エルフの女性と人間が結婚するのはちょっと珍しい。好意を抱かれるというなら、ユーグは森での暮らしをうまくやっているんだろう。


「ここに永住ですか。どうなるんだろうなぁ」


 嬉しい話だと思いきや、ユーグは難しい顔をしていた。


「そうか、ユーグは仕事でここの薬草を研究しているわけだから、帝都に戻る可能性もあるのか」

「ええまあ。聖竜の森はおもしろいですから、そう簡単に戻らないつもりですけれど……んー」

「歯切れが悪いですね。なにかあるんですか?」


 ルゼの問いかけに、少し悩んでからユーグは口を開く。


「実は皇帝陛下から帝都の研究施設へ誘われてまして」

「あの皇帝、所構わず勧誘しているな」


 困ったものだ、聖竜領の貴重な人材を育った端から持っていかれてしまいかねない。今度一言文句を言っておこう。


「ユーグ君、帝都の帰っちゃうんですか?」

「いえ、正直なところを申し上げ……断りました。帝都で魔法士やるよりも、ここで研究している方が成果がでそうなんです。環境が特殊ですから。そうしたら今度は増員と増築、なんなら森ではなく里に工房を作る予算の話になりまして」

「判断が早いな」


 そこはさすがは皇帝といったところか。


「聖竜領にとっては悪い話じゃないな。新しい薬草や魔法薬で豊かになる」

「サンドラ様に相談して、大丈夫ならそうしてもらいます。そもそもオレは帝都からの派遣ですから、そっちの方も所長とかの立場にしてもらおうかと」

「わぁ、出世ですねぇ。でも、ユーグ君が森から出ちゃうのは寂しいです」

「ご近所さんなのは変わらないだろう。それに、薬草に関係するなら森にいることも多いだろう」

「ですね。とはいえ、それなりに生活が変わっていきそうですね」

「よいですねぇ。私も次の族長を決めて自由になる日が来るかもです」

「それはまだ先なのでは?」

「まだ跡継ぎすら見つけていないだろう」


 俺達が同時に指摘すると、ルゼはがくりと項垂れた。診療所に助手は何人かいるが、何百年も生きるエルフの知識と経験に追いつくのは難しい。


「なんにせよ、春が近づけば忙しくなる。少しゆっくりするとしよう」

「今のうちに冒険に出たいですねぇ」


 エルフの長が嘆きに苦笑しながら外を眺めると、いつの間にかマイア達が農村の子供達と雪合戦をしていた。

 こういうゆっくりした時間こそ、大事にしたいものだ。



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