第306話「どうしたものか。サンドラにはこちらを対応してもらおうか。」
アイノが帰ってくる。言うまでもなく、俺にとっての最優先事項だ。
クアリアの西で頑張っていたが、雪が降り始めて現場が終わり、レール馬車で帰ってきた。皇帝が来てから三日後のことだ。
「おかえり。アイノ。元気そうで良かった」
「ただいま兄さん。わざわざ屋敷で出迎えなくても良かったのに」
「何をいうんだ。長期出張から返った家族を迎えるのは当然だろう。それに、こうでもしないと南部に行かされるからな」
「皇帝陛下が来ているものね」
馬車からの荷下ろしを手伝いつつ、二人で屋敷に向かう。
自宅でもいいが、今日は屋敷に泊まる予定だ。家事などをしないでゆっくり休んで貰おうというわけだ。冬になってすぐ、いい感じの暖房魔法をかけておいたから、快適だ。……正直、冬場は森の中より屋敷の方が過ごしやすい。
さっそくアイノのために用意した部屋に荷物を運び込み。一息ついたところでお茶を入れてもらった。
「仕事の方が順調そうで良かった。あのメイドの子は元気か?」
「うん。すごく良くしてくれてた。春になったらまた一緒に外で仕事をしたいくらい」
「サンドラに掛け合う価値はあるな。遠出する時、頼りになるメイドが一人いるのは悪くない」
今ならサンドラの横にリーラがいる理由がわかる。戦闘メイドはすべての面で頼もしい。リーラやマルティナのような者が同行しているなら、俺も安心だ。
とはいえ、あんな人材はなかなかいない。しまったな、総メイド長がいる間に相談すべきだった。自分のことに集中していたら、いつの間にかメイド島に返ってしまっていたのが残念だ。今度サンドラ達に相談してみるかな。
「兄さん、また私のことを心配してる?」
「ん、まあ、な。安全面のことでいくつか気になったんだ」
「私のこともいいけど、サンドラさんも手伝ってあげないと駄目よ。今だって、皇帝陛下の相手をしているんでしょう」
事実だ。今、サンドラは南部でクレスト皇帝の相手をしている。領主の仕事もあるので少ししたら開放されるはずだが、胃の痛む時間を過ごしているのは間違いない。
「わかった。後でちゃんと助けにいくよ。サンドラが無理をするのは、俺も本意ではないからな」
「私も一緒に行くわよ。皇帝陛下から手紙が来てたの」
「……事前に魔法具で連絡済みだったのか」
既にアイノの方へ根回し済みだったとは。さすがは皇帝。兄妹でのんびり過ごすのは難しそうだ。
「今日のところは屋敷でゆっくりしよう。トゥルーズがお茶菓子を用意しているそうだ」
「それは楽しみね。トゥルーズさんの料理っていうと、帰ってきた気がして安心するわ」
ようやく笑顔を浮かべたアイノと共に、俺は食堂へと向かった。
◯◯◯
食堂に行ったら、トゥルーズがどんよりした顔でお菓子を作っていた。
砂糖と小麦粉の匂いが充満する厨房にふさわしくない姿で、手だけはしっかり動かしている。
表情の変化に乏しい彼女だが、ここまでわかりやすく調子が優れないのは珍しい。
「……これは聖竜領でとれた果物を使ったパウンドケーキ」
小さくそう言ってケーキと紅茶をテーブル上に置くと、トゥルーズはその場を去ろうとする。
「待て、トゥルーズ、なにがあった。明らかにおかしいぞ。困り事があれば協力する」
「そうですよ。トゥルーズさんの調子が悪いと、兄さんが落ち込みます」
アイノの言う通り、トゥルーズの料理の腕にはいつも感謝している。なにかあったら迷わず力になると決めているくらいだ。
「焼き魚……」
「?」
「焼き魚に負けた……」
「それって?」
「皇帝が来た日、南部で釣った魚をその場で焼いて食べたら好評だったんだが……」
あの時、皇帝はしっかりトゥルーズを褒めていたはずだが。これはこれ、それはそれ、という感じで。
「サンドラの話し方が悪かったのか? 皇帝はトゥルーズを料理人として評価しているからこそ、厳しく当たっているわけで、あの焼き魚に負けたわけじゃないだろう?」
「理屈はわかっている。でも、心の整理がつかない」
「整理、ですか?」
アイノが怪訝な顔で聞いた。状況は理解したが、トゥルーズの心境がわからない。そんな感じだ。俺もだ。
「トゥルーズ、良ければ俺達にもわかるように説明してくれないか?」
「……どれだけ手の込んだものを作っても、焼いて塩を振っただけの肉や魚をどうしようもなく美味しく感じてしまう。私もそれはわかる。じゃあ、私がやっていることはなんなのだろう。下ごしらえをして、新しいソースを作って、調理法も工夫して……。でも、焼いて塩を振ったシンプルな料理の方が……」
「…………」
なんとなく。本当になんとなくだがトゥルーズの悩みがわかった。わかったけれど、どうしようもない。人間、シンプルな料理が良い日もあれば、そうじゃない日もある。いや、彼女はもっと深いところで悩んでいるんだろうが。
「参ったな。これは、俺には難しすぎる問題だぞ」
「うん。私もとても答えられない」
兄妹で頭を抱えるしか無い。そもそも、俺もアイノも料理とそこまで向き合ったことがない。
「これは、トゥルーズが時間をかけて自分で答えを出すしかなさそうだな」
「……料理とは……美味しさとは……一体……」
小さく頷くと、悩みのうめき声を残して、聖竜領の料理人は厨房へと去っていった。
「時間が解決してくれるのを待つしか無いな」
「そうね……」
たとえ皇帝に賢者と呼ばれようと手も足も出ないことがある。
トゥルーズがあの調子だと困るな。どうしたものか。サンドラにはこちらを対応してもらおうか。
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