第305話「まあ、経験上、変な騒ぎを起こさない人だから、大丈夫だろう」
クレスト皇帝が聖龍領に来た日、俺は少しだけ外出していた。といっても、南部への建築資材の荷運びの手伝いをした上で、ルゼとリリアが釣り上げた魚を運んで帰ってきただけだ。冷蔵の魔法をかけた箱いっぱいに魚を詰めて、トゥルーズに料理して貰おうという算段である。
そして、夕方近くに屋敷の前に来たら、皇帝御一行が到着していた。事前に俺は南部で作業をしているからいないかもしれないと連絡済みなので、ある意味出迎えに間に合った形にはなる。
「久しぶりね、サンドラ。今年も楽しみにしてたわ」
「皇帝陛下もご機嫌麗しゅう。お待ちしておりました」
例年通り、少人数の編成で来た皇帝は、身軽に馬車から降りるとサンドラに挨拶していた。
「あら、賢者アルマス。出迎えに来てくれたの? 仕事でいないと聞いていたけれど」
「思ったより早く済んだので、こちらに向かった次第だ。クレスト皇帝、壮健なようでなにより」
「あなたもね。妹さんは元気? 帝都に来る気ない?」
「アイノはおかげさまで元気にしている。帝都に行くかは本人次第だな」
アイノの勧誘を諦めていないらしい。苦笑しながら応じると、皇帝は楽しそうに笑った。本気で言っているわけではないということだ。
「ところでその持ってる箱はなに? 魔法の気配を感じるんだけど」
「ああ、魚を冷蔵の魔法で保存している。少し前に釣り場ができてな。皆で空いた時間の気晴らしにしているんだ」
「サンドラも? なかなか田舎暮らしを楽しんでるじゃない。いいわねぇ、その魚、すぐ食べられるかしら?」
「釣り場だとその場で焼いて食べることもあるな」
それを聞いて、クレスト皇帝はぽんと手を打つと、いかにも良い思いつきとばかりに言う。
「じゃあさ、今からここの庭で焚き火をして焼いてもらえる? 久しぶりにそういう食べ方したくなっちゃった」
「俺は構わないが……」
サンドラを見る。今日のためにトゥルーズが色々と準備をしているはずだ。今だって厨房で戦いを挑んでいる。それに割り込むというか、邪魔をしてしまう形になるが。
「さっそく準備をいたしましょう。魚の処理は屋敷の者でよろしいですね?」
いちいちこの程度で皇帝に何かいう理由はないか。
「いいわよ。賢者アルマスもサンドラもあんまり器用じゃないものね。あ、なんなら余がやってもいいけれど?」
「陛下……それはちょっと」
「ああ、屋敷の人達が気を使うものね。じゃあ、そういうのは南部に行ってからやるとしましょう。それじゃ、お願いね」
皇帝のお付きの者たちが安堵のため息を吐いていた。相変わらず自由なところがあるな。これで話が通じないわけじゃないから助かるんだが。
「では、俺は厨房で魚を処理してもらおう。焚き火の準備を頼む。味付けは塩でいいか?」
「もちろん! それが一番美味しいのよね」
とりあえず、俺は魚を持って厨房に向かった。
◯◯◯
皇帝が急遽焼き魚をお召し上がりになると聞いて、目を見開き、遠くを見たトゥルーズだったが、仕事はしてくれた。
釣り上げた魚が比較的小さく、淡白な種類だったので串焼きできるということで、そう処理してもらった。
屋敷の庭に行くと、焚き火が起こされ、その回りでサンドラと皇帝が焚き火を囲んでいた。リーラと側近たちも少し離れた場所にいる。ここが応接代わりということだろう。
「串焼きにできるやつらしいので、そうしてもらった」
「いいわね。じゃあ、早速やっちゃいましょ」
俺が持ってきた魚を見るなり、それを手にとって次々と焚き火の回りに並べるクレスト皇帝。
「元は旅人だったな。慣れたものだな」
「そうね。こういうの、結構好きなのよ。料理人の子には悪いけれど、せっかくだから帝都じゃできないことをやらせてもらいたかったの」
「そういうことでしたか。帝都では焚き火は難しいですからね」
「ほんとよ。それに毎日毎日豪華な食事っていうのも疲れるのよねー」
魚の焼け具合を見ながら、皇帝が語る。どうも自力で全てを管理するつもりらしく、神妙な顔で塩をふっている。俺達に手出しさせる気はないようだった。
冬ではあるが、焚き火の周りは温かい。日が陰って暗くなりつつあるが、まだ魔法の明かりは必要なさそうだ。
しばらくして、魚が焼ける良い匂いが漂ってきた。
「はい。皇帝が手ずから焼いた魚よ。心して食べてね」
笑みを浮かべて、俺とサンドラに焼き魚が振る舞われた。
「いただきます」
「いただこう」
旅慣れているだけあって、魚はちゃんと焼けていた。俺のように加減がわからずタイミングを逸するような人物ではなかったらしい。
「うん。やっぱりこういうのが一番美味しいわね!」
自分の分をむしゃむしゃと食べて、皇帝は満足げだ。
「たしかに、野営の時の料理は不思議な美味しさがありますからね」
少しずつ口にしていたサンドラがそう言う。
「これが一番……か」
「なによ、賢者アルマス」
「いや、毎年皇帝来訪に合わせて頑張っているここの料理人が聞いたらどう思うかな、とな」
「あれは料理人として余をうならせようと勝負をしかけてるんでしょ。簡単には認めないわよ。でも、これはそういうのじゃないでしょ」
澄ました顔で皇帝が言う。
「そうか。勝負なら仕方ないな」
「そうそう。むしろ、この辺境で帝都の料理人と同じ扱いをしていることを誇りに思ってほしいのよね。付き人のみんな、楽しみにしてるのよ? あの子のご飯食べられるから」
そうだったのか。近くにいる側近に目をやると、静かに頷かれた。
「後で早速伝えておきましょう」
「そうして。そして、ちょっと悪いわよね。今年は南部の方にいるから、あの子の料理、あんまり楽しめないかもなのよね」
「えっ」
意外にも側近が皇帝の言葉に反応した。割と本気でがっかりしている。
「思ったよりも落胆しているようだが」
「ここの冬、ご飯も美味しいし、暖房もあって快適だから評判いいのよねー」
「なるほど。南部の建物にも暖房はかかっているから安心してほしい。それと、料理の方はトゥルーズなら呼べば来てくれるだろう」
「だってさ。良かったわね」
「はっ。恐縮です。実は居住環境以外にも、ここなら政敵の心配もないので、とても安心できるという事情がありまして」
「あら、どうやら余だけの保養じゃなかったみたいね」
申し訳なさそうに言う側近を見て、皇帝は楽しそうに笑った。
サンドラは笑みを浮かべているが、胃の辺りを押さえているのを俺は見逃さなかった。
まあ、経験上、変な騒ぎを起こさない人だから、大丈夫だろう。
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