第304話「いっそ、マイアとモートの稽古でもしてもらうか」

 聖龍領南部の入り口付近に作られた港予定地。今のところ俺を含めた一部領民にとって釣り場となっている場所。

 冬の冷たい風が海から吹き込むにも関わらず、そこでサンドラは釣り糸を垂れていた。

 ご丁寧に折りたたみの椅子まで使っている。スティーナに作らせたらしい。

 幸い今日は快晴。陽の光があるうちは、凍えるようなことはない。それでも、厚着は必須だが。

 

「…………」

「…………」


 俺もなんとなく横で釣りをしているが、もう結構な時間、サンドラは無言である。ついでにどちらも釣れていない。昼近くという時間帯が悪いのだろうか。

 

「……海はいいわね」


 更に少したってから、ようやくサンドラがそう呟いた。

 

「なにがそんなに気に入らなかったんだ? マイア達のことが一段落していたことの」


 そうなのである。サンドラがやや不機嫌な様子で釣りをしているのは、マイアとモートの件が原因だ。

 より詳しく言うと、彼女が聖龍領に到着した時、だいたい話がついていたのが気に入らなかったらしい。

 

「たしかに、色々と準備して急いで領内に来てくれたことはありがたいし、それがほぼ不要になったことは悪いと思うが」

「まあ、実際、ちょっと落ち込んだの。でも、問題はそれじゃなくてね」


 釣り竿から糸を巻き上げ、餌がなくなっているのを確認すると、近くの箱に入っているその辺でとれた虫をつけるサンドラ。なんだかたくましくなったな。

 そして、再び海に向かって竿を振ると、領主はため息を大きくついた。


「どちらかというと、アルマスが上手く解決したのがショックだったというか……」

「どういうことだ」

「これは失礼な言い方なのだけれど。わたしがアルマスよりも男女の機微に疎いと認めざるを得なくなってしまったのよ」

「本当に失礼なんだが」


 俺をなんだと思っているんだろうか。

 ごめんなさい、と軽く笑いつつ、サンドラは続ける。


「リーラに恋愛小説を借りたりしたんだけれど、今ひとつわからないのよね。こう、もっと効率とか見てもいい気がして」

「多分、そういうもんじゃないと思うぞ」


 元々サンドラは父親があれだし、恋愛感情よりも家の都合で婚姻がなされる貴族の生まれだ。その辺りの感覚が欠如してもおかしくはない。失礼な話だが、本人の性格もあるしな。

 

「今、なにか、わたしに失礼なこと考えてた?」

「いや、なにも」


 こういう勘がいい所は女性らしいとは思う。


「誰にだって苦手なものはある。困ったら誰かを頼ればいい。それでいいじゃないか」

「わかってはいるのだけれどね……」


 意外と気にしているんだな。そういうの。

 今回、サンドラが用意していたのは、マイアを正式に聖龍領の所属にして、動けなくするという手法だ。第二副帝も巻き込んで、向こうが手出ししにくい状況を作ろうとしていた。

 実に彼女らしい確実な手法だ。書類を使わず話が進むのを想定していないのも彼女らしい。


「ところで、後ろのアレは大丈夫なのか?」


 話題を変えるべく、俺は振り返って問題のものを見た。

 そこには画家のヘリナとリーラがいる。ヘリナは手にスケッチ用の紙と画板を構え、リーラはそれを見て早口で呟いている。

 

「そう、その感じです。ちょっと気を悪くした時の半目のお嬢様の雰囲気がよく出ています。しかもこれは相手が悪くなくて、自分の感情的に納得できないのを理解していながら、どうにも飲み込めない時のものですね。もう少し、思春期の悩みという感じにできませんか?」

「こ、こうですか?」

「いいです。素晴らしい。ヘリナ様が来てくださって良かったと噛み締めております。私、個人的に過去のお嬢様のスケッチがありますので、それを元にいくつか絵をお願いしても?」

「構いませんよ。あんまり大きいのは無理ですけれど。あと、色をつけると時間とお金が……」

「私の方で用意しましょう。あとは服装や表情の指定もできると嬉しいです。弾ける笑顔に白いワンピース姿の幼いお嬢様……失われたあの姿を是非……っ」

「ひ、ひぇぇぇ」


 どうやら、ヘリナもとんでもないメイドと面識を得てしまったことを理解したらしい。後でフォローしておこう。害はないし、金払いはいいはずだと。

 

「あれはあれで、リーラのストレス解消になってるからいいと思うの」

「そうか。サンドラは心が広いな」


 あるいは、俺のような聴覚を持っていないサンドラには今の会話が聞こえていなかったからこそ言えるのかもしれない。


「そうそう、クレスト皇帝が来るそうよ。今年は南部でしばらく過ごしたいって」

「保養のための建物はまだ土台しかないぞ。作業小屋で過ごすのか?」


 南部の作業小屋はちょっとした住居くらいの出来ではあるが、皇帝が滞在するほどのものじゃない。


「平気だそうよ。むしろそのくらいが良いとか」

「氷結山脈で野営する皇帝に何を言っても無駄か」


 魔物狩りに付き合わされるよりは良いとしておこう。いっそ、マイアとモートの稽古でもしてもらうか。クレスト皇帝も帝国五剣だしな。


「また胃薬の手配を頼まないとね。……あ、釣れたわ」

「おお、なかなかの大きさじゃないか」


 サンドラが釣り上げたのは、この辺りでよく釣れる魚だった。毒がなくて焼くと美味い。

 その後、俺も合わせて三匹ほど釣れたので、リーラに処理してもらって、その場で焼いて食べた。

 

 思ったよりも良い気分転換になったようで、帰る頃にはサンドラの機嫌もすっかり直っていた。


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