第298話「それは兄としての喜びだ。ようやく、こんな苦労が出来るようになったのだから。」
「はじめまして。聖竜様の眷属アルマスだ」
人の良さそうな老人を前にして俺は自己紹介をする。
「こ、これは、お話に聞く聖竜領の賢者様が……このような村に。まさか、アイノ様になにか失礼なことを?」
老人から俺に向けられるのは畏怖、怯え、恐怖、そういった類いの感情。わかってはいたが、こういう反応は辛いものだ。
クアリアでスルホと相談した翌日、俺は走って村に戻った。そのままアイノと合流、すぐに村長に会えるように手配してもらい、今に至る。
村の高台、年季の入った建物に迎え入れられ、温かな茶を用意してもらい、恐怖されている。隣に座るアイノは困惑顔だ。自分の時と、村長の反応が違うのに戸惑っているんだろう。多分、はじめてアイノに会った時の村長も似たような顔をしたはずだが。
「そういうわけではない。むしろ、妹によくして貰って感謝している。あと、怯えなくていい。悪い話をしにきたわけじゃない」
そう言って、テーブル上に偽物のポプリを置く。
「これは……」
「この村で使われていた偽物だ。とりあえず、変わりを持ってきた。眷属印は少ないので、普通の品だがな」
クアリアの聖竜両支部から持ち出したポプリを五つほど取り出しておく。
村長はそれを見て、呆然としている。俺がなんでこんなことをするかわからないといった様子だ。
「妹が世話になった。その礼だと思って欲しい。それと、おかげでこの偽物をばらまいた連中に対しての調査が本格化した。売りに来た行商人に覚えがあれば、役人に教えて欲しい」
「……な、なるほどそういうことでしたか。それはもう、村に者にも伝えてすぐに連絡させますので」
深く頭を下げて、獣避けのポプリを受け取る村長。……ここまで相手が萎縮してるとやりにくいな。普通に話して欲しい。難しそうだけど。
「重ねて言うが、俺は悪い話をしに来たわけじゃない。聖竜領の特産品で偽物が出回るのは困るからな。今後は厳密に管理され、決められた商人しか買えなくなるそうだ」
「な、なるほど。お話は、それだけですか?」
「いや、もう一つ。村の収穫のことだ」
「…………村はずれの倉庫でしたら、あれは何かあった時のための備えで……。税はしっかりと納めて……おります」
村長が深く目を閉じ、項垂れながら細い声で言う。アイノが気にしていたのを把握していたのか。狭い村だ、さすがに気づかれたということだろう。
「その点は解決している。水害が多いそうで、その備えと聞いた。妹がうろうろして申し訳なかったな」
まず、その点の誤解を解く。緊急用の備蓄について、俺は何も言わない。
「いえいえっ。むしろ、こちらからしっかりと説明すべきでした。……ふぅ」
「ただ、村の農地の測量はするそうだ」
「……は?」
安心して大きく息をついた村長の顔が強ばる。なんか本当に申し訳ないな。心労で倒れないか心配になる。
「どうも、報告より農地が広くなっているようで、収穫量を再調査するらしい。スルホ……領主の意向だ」
「それは……そうですが……」
この村の農地が記録より広い。それは事実だ。現地の作業員向けに配られた地図よりも、実際の畑は広い。
ただ、これにはとても大きな理由がある。
「同時に、この地域の徴税官が代わるそうだ。不正が発覚したらしいぞ」
「本当ですか!?」
村長があからさまに喜色を浮かべて大声を出した。目の前にいる俺とアイノのことを一瞬忘れた。間違いなく、そんな反応だ。
「ああ、どうも評判が悪い男だったようだな。元々目を付けていて、今回の件でお咎めを受けることになったそうだ」
「そうですか……そうですか……良かった」
椅子に座り直し、背もたれに全体重をかけて、村長は天井を仰いで大きく頷いた。
この地域の徴税官は評判の悪い男だった。狡猾でずる賢く、なかなか尻尾を出さない。書類の微妙な数値を改ざんして、私腹を肥やしていた。村人達が収量が増えても豊かにならなかったのは、そういうことだ。
クアリアの役人は多い、小悪党はどうしても後回しになってしまう。今回、アイノが気づいて、俺が相談した結果、対応が早まったというわけだ。どちらにせよ、遅かれ早かれ、その徴税官には裁きがくだされていただろう。
「税を誤魔化した役人の末路は、言うまでもないな。後任はスルホが選んだちゃんとした者になるそうだ」
「はい。謹んで、畑の測量をお受け致します」
目尻から涙を流しながら、村長は頭を下げた。それも、何度も。
「本当に感謝致します。聖竜領の賢者様」
「いや、これはアイノが、妹が教えてくれなければ対応できなかったことだ」
「では、アイノ様にお礼を」
「い、いえ。私が余計なことをしたせいで、騒ぎにしてしまって」
「そんなことはありません。私共の恩人ですよ。お二人は」
自分に頭を下げられて、慌てるアイノ。多少はこういった対応をされるのに慣れて来たかと思ったが、そうでもないらしい。
「話は以上だ、邪魔をしたな」
「いえ、本当に感謝しております」
長居するとそれだけで村長の心労になりそうなので、俺達はすぐに家を出た。
「ありがとう、兄さん。私じゃこうも上手くできなかったわ」
宿への帰り道、収穫を終えた土色の畑を眺めながら、アイノが言った。
「気にすることはない。運が良かったよ。あの村長が不正をしていたら、こうも穏やかにまとめられなかった」
今頃牢屋に入れられたであろう徴税官に、ちょっとだけ感謝しかけた。いや、そもそも奴が余計なことをしなければ、何もなかったわけか。感謝しないでいいな。
「アイノ、外の世界に関わるということは、今回みたいなことがたまにあるということでもある。世の中との付き合い方を学んでくれ」
我ながら偉そうだが、しっかりと言っておく。アイノがただの村娘として生きていけない以上、これは必要な勉強だ。これから先、俺の関知できないところで、貴族や王族と関わることだってあるかもしれない。独り立ちする時までに、十分学んで欲しい。
「うん、兄さん。私、頑張ってみる」
「そうか。もし、怖くなったら聖竜領で……」
「ううん。私、外の世界を見てみたいの。せっかく元気になったんだもの」
さりげなく聖竜領で暮らす案を出そうとしたら、防がれた。妹の意志は固いようだ。
「わかった。一緒にいるメイドの子と仲良くな。多分、お前よりも世の中に詳しい」
メイド島のメイドは頼りになる。しばらく常にアイノと一緒にいて貰おう。……戦闘メイドとかもう一人どこかにいないだろうか。
「ありがとう。あんまり兄さんを困らせないようにするわね」
「気にするな。アイノになら、いくらでも困らされてもいい」
それは兄としての喜びだ。ようやく、こんな苦労が出来るようになったのだから。少しは経験しておきたい。
「では、俺は聖竜領に帰る。仕事を放って置いているからな」
「うん。気をつけてね、兄さん。あと道中、馬を驚かせないようにね」
「わかっているよ」
その後、俺は全力で走って聖竜領に戻った。馬車が近くにいる時だけ、速度を落として。
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