第284話「そうか。辛い時期の思い出に直結しているんだな」
連日南部で開拓作業をするとは言え、定期的な報告は必要だ。
それに、俺自身も聖竜領内での仕事がいくつかある。
五日ほどかけて南部の工事を一段落させた俺は、聖竜領に戻り報告と休息に入った。
「というわけで、ヘリナという画家には健康になってもらう必要があると思う」
「なるほど。私はその手伝いをすればいいわけだ」
聖竜領、領主の館の食堂。
久しぶりに戻った俺は、その足でトゥルーズの手料理を味わい、そのままヘリナについて相談していた。
時刻は夜、夕食を終えた後の穏やかな時間だ。トゥルーズとは一番落ち着いて話せる時間帯でもある。大体、厨房で料理の研究をしている。考えてみれば、彼女も仕事のしすぎが心配だな。いや、こちらはしっかり休んでいるようだが。
「精神的な疲れが日常生活にも出ているようでな。食事に対するこだわりも少ない。貴族の屋敷で日々の仕事に追われるうちに、味がわからなくなったらしい」
ヘリナは一応、俺達と食事をとるものの、完全に栄養補給に徹しているような感じだ。試しに俺が持ち込んだ甘味を提供しても、反応が今一つだった。聖竜様など大喜びするというのに。
「味がわからない……。大分手強そう。というか、私の領域じゃない気がする」
「その話、聞かせていただきました」
トゥルーズが困り顔をしたと思ったら、食堂に新たな客が来た。
エルフの医師、ルゼだ。この時期は村から出れなくてストレスが溜まっていそうなものだが、元気そうだ。
「ルゼか。元気そうだな」
「ええ、もう少しで収穫祭。それが終われば自由が手に入りますから。気合いが入っているのです」
「別に冬になったからって自由になるわけじゃないと思うが」
「ヘリナ様の件、外で聞かせて頂きました。トゥルーズさん、ここは私も協力させてください」
俺の指摘を無視して話を進めるルゼ。自分に良いようにやる気だな。
「ルゼさん。ずっと聞いてたの?」
「ちょっとお夜食を頂きに通りがかったら聞こえまして。エルフは耳が良いので」
「盗み聞きじゃないのか、それは?」
「自然と耳に入っただけですから。それにヘリナさんは治療が必要な状態です。聖竜領の薬草料理や風景で心と体を癒やし、画家として復帰する手助けを致しましょう」
なんなら定期的に診察もしましょう、とルゼは付け加えた。
「それは助かる。ヘリナさんの好みを聞きながら、体に良いものを食べさせてあげたい」
「ええ、ええ、そうですね。聖竜領のエルフとして、私も協力致しましょう」
「妙にやる気だな。いや、俺としても助かるが」
別にルゼに医師としての能力や、やる気が無いわけじゃないのは知っている。とはいえ、ここまでモチベーションを見せるのは珍しい。
「……いえ、ちょっと、この地域の地図なんかを清書したり風景を描いて貰えたら嬉しいなぁと思いまして」
割と私欲で動いていた。
「それは元気になってから交渉してくれ」
ヘリナが再び絵を描けるようになったなら、それでいいだろう。
とりあえず、思いがけず二人の協力をとりつけることができた。
あとはサンドラにも報告しておこうか。
そう考えていたら、当の本人がリーラを伴って食堂に入っていた。
「こんばんは。やっぱりここにいたのね、アルマス」
「なんだ、サンドラも夜食か?」
室内の全員の挨拶を受けながら、サンドラは席に着く。
「夜食はいいわ。太るもの。ヘリナ様の話を聞きにきたの。描けなくなったと聞いたけれど」
「ああ、そのことで二人に相談していたところだ。……ヘリナ様?」
様付けとは、サンドラにしては珍しい。それとも実はヘリナは帝国内で高い身分を持っているのだろうか。
「お嬢様はヘリナ様の絵のファンなのです。ここに来ると聞いたときから落ち着きが無く、仕事を三割増しで早く片付けて時間を作ったほどです」
「サンドラに絵画を見る趣味があるとは……、いや、すまない」
「いいのよ。学術書や数式を解いている方が似合ってるのはわかっているのだから」
トゥルーズの用意した飲物を受け取り、それを口に運びつつ、サンドラは語る。
「ヘリナ様の絵はね。なんだか、心が温まる柔らかな色使いがとても良いの。題材は町の風景だったり、お花だったり、色々変わるんだけれど。見ていると暖かさを感じる、素敵な絵ばかりだったのよ」
それから帝都時代、よく眺めていたわ、と付け加えた。
そうか。辛い時期の思い出に直結しているんだな。その作者が来るとなれば、サンドラといえど冷静ではいられないか。
「ここ数年は普通の絵ばかりになってしまって、残念だったんだけれど、まさか帝都で酷使されているとは知らなかったわ」
どうやら、俺が報告するまでも無く事情を知っていたらしい。リリア辺りから聞いたんだろう。
「本当は、わたしも絵のお願いをしたいのだけれど」
「今はやめた方が良いだろうな」
サンドラから依頼があれば、ヘリナは絵を描けるだろう。むしろ、ここ数年の習慣から、自然と体が動くかも知れない。
しかし、それでは誰も望まない作品が生まれることになってしまう。ヘリナ本人も、サンドラも望まない作品だ。
「アルマス。わたしも協力するので、ヘリナ様が再び絵を描けるようになる手伝いをしてちょうだい」
「もちろんだ。今の話を聞いて、俺も彼女本来の絵というのを見たくなった」
見るだけで心が温まるような絵柄、非常に興味深い。いっそそれでアイノを描いてもらおうか。それを飾っておけば、いつかアイノが自立した後でも、寂しくないかもしれない。
「元気になったらわたしも何か描いてもらうから、宜しくね」
俺だけでなく、サンドラもしっかり同じ事を考えているようだった。
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