第283話「今、なんかおかしかったな。聞いてみよう。」
仕事を見学されるというのは意外と慣れないものだ。だいたい、この地にサンドラ達が来た頃から、周りにいるのは何かしらの専門職だった。魔術関係でも教えるのはだいたいロイ先生だったし、アイノは身内だし……。
つまり、ヘリナに仕事を観察されるというのは俺としては不思議な感じだった。
居住用の小屋をあてがわれたヘリナは、最小限の荷物を背負って、俺と共に南部の更に南へついてきた。こちらもまた川下りでの移動だ。
それから作業用の集落で泊まる場所を確保。朝早く、俺達が作業を始める前に起きて、朝食の準備を手伝ってから合流した。
今の俺の仕事は南への道作り。職人達と共にゴーレムを使って、地面を固め、時にゴーレム自身を崩してどんどん街道を作っていく。
「ずっと見ているだけで退屈じゃないのか?」
「とんでもない。噂に聞くゴーレムの作業なんて、見てるだけで楽しいです。それに、もうすぐお昼の準備がありますから」
スケッチ用の冊子とペンを持ちながらヘリナが言った。彼女はじっと俺達を観察していたが、手を動かす様子は微塵もない。たまに何か描き出そうと紙にペンを向けるが、すぐ止まってしまうようだ。
「そのペン、変わった形だな?」
ヘリナが持っているのは普通のペンと違った。なんというか、先端の黒い木の棒だ。
「鉛筆といいます。黒鉛というものを木で挟んで加工してあって、書いたり消したり使いやすいんですよ」
「それは興味深いな。後で見せてくれ」
「いいですよ。あ、お昼の準備、してきますね」
最新の筆記用具は興味深い。それはそれとして、ヘリナだ。
スランプだという話だが、昨日一瞬見せた挙動不審以外は特におかしなところはない。むしろ、積極的に仕事を手伝うくらい行動的だ。
普通の生活には支障がないということなんだろうか。困った、芸術家というのはどう対応すればいいのかわからない。俺には縁遠すぎる。
『ふむ。悩んでいるようじゃのう、アルマス』
『聖竜様。俺が画家に適切な助言をするのは難しいように思えます』
『うむ。ワシもそう思う。そして、ワシも何を言えばいいのかわからん』
いきなり話しかけてきた聖竜様は、あんまり頼りになりそうになかった。
『珍しい光景を見せたら創作意欲が湧いてくる、とかあると思いますか?』
『わからん。とりあえずはできることをやったらどうじゃ?』
聖竜様は投げやりになっているわけではない。本当に対応の仕方がわからないんだ。そして俺もだ。
こういう時は、まずできそうなことからやるべきか。
『そうですね。まずは話を聞いてみます』
ちょうど昼食だ。ヘリナの話でも聞いてみよう。
○○○
この日の昼食は簡単なパンとスープだった。聖竜領から距離が離れているため、食事が簡素になるのは仕方ない。保管庫はあるので、これからトゥルーズの用意した美味い食べ物が続々と集まるはずだ。
「なるほど。この間まで帝都の貴族のところで絵を描いていたのか」
「はい。幸運にもパトロンになってくれる方がおりまして。そこで三年ほど、色々なものを描いていました」
昼食を配った後、一人で景色を眺めながら食べていたヘリナを見つけたので、俺は横に座って話を聞くことにした。ちょっとだけ、画家の仕事に興味もあったし、ヘリナは嫌がることもなく、自分のこれまでを教えてくれた。
「話を聞くに、貴族から頼まれたものを描いていたということかな?」
「そうですそうです。肖像画とかお庭の絵とか、動物とか、変わったところだと魔法具を使っているところとかですねぇ」
パンをもぐもぐと食べながら、空を眺め、過去を懐かしむようにヘリナは語る。
「そうして頼まれたものばかり描いていたら、自分が何をしたかったのか、分からなくなっちゃいまして」
「そういうものか……。すまない、俺は芸術は全然なんだ」
「いえいえ、これは私の問題ですから。アルマス様はお気になさらず」
「俺は魔法を見せるくらいしかできないんだが、すぐに創作意欲が湧くわけでもなさそうだな」
「えへへ、面白いとは思ったんですけれどね。描こうとしたら手が止まってしまいまして」
やはり、あの時、ゴーレムを描こうと思ったんだな。こうなると、俺の手に負えそうにない。領内に戻った時に誰かに相談しようか。
「しかし、貴族の屋敷での生活を捨ててこんな田舎なんて不便じゃないのか?」
「いえいえ、大丈夫です。それに、四六時中、必死になって頼まれた絵を描かなくて良くなりましたので。正直、安心です」
「…………」
今、なんかおかしかったな。聞いてみよう。
「つかぬことを尋ねるが、貴族の屋敷ではどんな生活を?」
「毎日毎日、絵を頼まれる日々です。その上、直しも多いし。なんか、すごい美化しろとかいうし。眠る時も休まらなかったですねぇ……」
確か、屋敷にいたのは三年と言ったな。つまり、彼女はその間、休みなくひたすら労働していたことになる。
「一つ、提案がある。ここにいる間、たくさん食べて、たくさん寝るんだ。まずは、しっかり体を休めた方がいい」
「えぇ、でも私、元気ですよ?」
「いや、かなり疲れている。その、心の方がな。働き続けると、そっちが大変なんだ」
俺も覚えがある。人間時代、ひたすら戦い続けると精神が磨耗して何も感じなくなる。ヘリナはその状況に近いかもしれない。
「そういうもんですか」
「そういうもんだ」
微妙に納得していないようだが、俺の中でヘリナへの対応方針は決まった。
彼女には、この聖竜領にいる間、全力で健康になってもらう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます