第279話「珍しく、目の前で主従が軽い言い争いを始めた。仲の良いことだ」

朝が肌寒く感じられるくらいになり、夏の終わりを感じさせるある日の朝、俺はアイノと共の聖竜領西の馬車発着場にいた。

 今日はアイノが西に仕事で出発する日だ。サンドラもリーラを伴って見送りに来てくる。

 目の前には大きな荷物を同行するメイドと共に積み込み終わったアイノがいる。日頃の鍛錬の賜物か、すっかり逞しくなった。


「それじゃあ、兄さん。行ってきます。収穫祭には一度、戻るから」

「ああ、何か困ったらすぐに連絡するんだぞ。魔物や山賊でも現れたら殲滅してやる」

「魔物はともかく山賊の殲滅はちょっと……」


 兄妹の別れの瞬間にサンドラが口を挟むが俺は気にしない。

 これからアイノはクアリアより西の地域でレール設置の土木作業の手伝いに行く。主な作業はゴーレムの操作と作成。魔力供給の魔方陣の設置だ。

 作業そのものはいつもやっていることだが、聖竜領から遠いというのがこれまでと違う。なにより、見知った者がほとんどいないというのは大きな不安だ。


「しばらくはクアリアに滞在。それから段々離れていくことになるけれど、マノンがしっかり手を回すことになっているから安心してね」

「はい。安心してます」


 笑顔で答えるアイノ。俺は横に立つ大人しそうなメイドに声をかける。


「アイノは少しのことなら我慢することが多い。生活に関しても昔の知識が基準担っている。何かおかしいと思ったら遠慮なく言ってくれ」

「は、はい。頑張ります!」


 恐縮した様子で返事をされた。俺相手だとどうしてもメイド達はこういう反応になりがちだ。一部を除いて。


「それじゃあ、そろそろ行くね。二人とも、また」


 そう挨拶すると、アイノは馬車に乗って旅立った。揺れの少ないレール馬車が滑らかな動きで走り去っていく。


「もっと長々と話すと思ってたのに、案外あっさり送り出すのね」

「もう一緒に暮らしているわけだしな、このくらいでいいだろう。もちろん不安や寂しさが無いと言えば嘘になる。だが、こうして一人で仕事に出れるくらい成長したと思うと、兄としては少しばかり感動があるのも事実だ」

「別に一人で向かったわけではないのだけど……」

「いつもより口数が多くなっていますね。なんだかんだで動揺していると見ました」

 

 勘の良いリーラの指摘も気にならない。俺は一人に慣れているから大丈夫なのだ。


「なるほど。それで、アルマスの仕事なのだけれど」

「ああ、わかっている。今日のうちに南部に向かうよ」


 アイノがいないなら、自宅から遠慮なく出かけることができる。しばらくの間、南部を拠点に暮らすことになるだろう。

 実際、仕事は多い。リリアが中心になっている別荘地の造成手伝いの他、南部への道を造成。ついでにこっそり海辺へ降りれる道を作って魚を取れるようにするのもいいだろう。

 南部へのレール馬車は出来上がっているし、川を下って物資も輸送もできる。ハリアとフリーバという眷属二人のおかげで輸送量も多い。昨年までの積み重ねのおかげで、今年は大仕事になる予定だ。


「南部ね。ところでアルマス。この前、トゥルーズが海の魚を料理したと聞いたのだけれど」

「食べたぞ。美味かった」


 あれは久しぶりの得難い経験だった。少なくとも眷属の無尽蔵な体力を生かしてちょっと海辺へ降りれるようにしようかなと思う程度には。


「わたし、食べてないのよね……」

「そうだったのか」


 かなり残念な様子で言った後、サンドラが聖竜領南部の地図を手渡してきた。

 ルゼ制作の見慣れた地図だが、海辺の断崖に丸印が付けられているのが目を引いた。


「将来、小さな港を作れそうなポイントよ。魚取り用の場所を作るなら、参考にして」

「……なぜそのことを知っている」

「トゥルーズから直接聞いたわ。アルマスが海へ降りれるようにしてくれるって」


 なるほど。本人から直接聞いていたのか。それですぐに地図を準備するとは動きが早い。いや、これは多分、前から考えていたな。ついでとばかりに状況を利用したというわけだ。


「抜け目ないな、サンドラ。ところで一つ聞きたい。海の幸を使った料理、食べてみたいのか?」

「……わりと」


 サンドラも成長したな。こうして自分の欲望に正直になるなんて。

 俺が感動していると、横のリーラが口を開く。


「食事の幅が増えるのは良いことなのですが、お嬢様の体型維持が心配です。以前、少し太りましたので」

「そこはちゃんとするから大丈夫よ!」

「しかし、運動した後もこっそり甘味を口に……」

「あれはリーラの考えた運動メニューが思ったより大変だったからよ」

「お嬢様は年齢とともに食べる量も増加傾向にありますから、運動も増やすべきかと」


 珍しく、目の前で主従が軽い言い争いを始めた。仲の良いことだ。

 豊かになって美味いものが増えると心配事が増えるものだな。

 どれだけ食べても体型が変わらない身としては、ぼんやりと言い争いを眺めるのみだった。

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