第269話「ロイ先生の物語1」

 聖竜領の魔法士ロイといえば、今ではちょっとした有名人である。

 多才なゴーレムを考案し、聖竜の眷属と共同で魔境と呼ばれた土地の開拓に尽力。その後、隣町のクアリアの各組合と協業して、地域の発展に務めた功労者。


 そんな周囲からの評価とは対象的に、ロイ本人の自己評価はそれほど高くない。

 

 正直、自分は運がいいだけだ。

 

 それが偽らざる本心だ。元々、常人の十分の一しか魔力を持たず、座学くらいしか取り柄がなくて、帝都の研究所で助手の立場すら怪しかったのが自分だ。

 少しでも収入を増やすため、引き受けた家庭教師先が、魔法伯の家だったことが全ての始まりだ。


 サンドラという少女と会って半日もしない内に、ロイは彼女の才能を見抜いた。

 そして、近いうちに家庭教師など必要なくなるだろうと覚悟していたものだ。


 想定外だったのは、サンドラもロイのことをしっかり観察していたことだった。

 十三歳の少女には過酷すぎる事情にさらされたのを聞いたとき、ロイは何とかできないかと考えたものだ。


 残念ながらこれといった手は打てず、むしろ彼女の方から魔境行きを持ちかけられたわけだが、今思えばそれが正解だった。


 帝都から遠く離れた地で居場所を見つけたのはサンドラだけではない。ロイもまた、その一人だ。


 魔境から聖竜領と名を変えたこの地だが、ロイは相変わらず領主の屋敷に居住している。

 大昔に作られた建物に用意された魔法士向けの工房。

 屋敷内でも一際頑丈な作りで、各所に自分好みの研究資料や資材を配置した部屋は居心地が良い。


 居住区画である狭い部屋は綺麗に片づけられており、そこに彼の性格を感じられた。


 その自室で、椅子に座るロイは、一人緊張していた。


 かれこれ十分ほど、こうしている。

 夕食を終えて、いつもならゆっくりと本を読んだり、明日の仕事を準備する時間なのだが、今日は事情があった。


 落ち着き無く部屋の入り口を見ること数度、ドアがノックされた。


「アルマスだ。約束通り来た」

「どうぞ、お入りください」


 短いやり取りの後、見慣れた青年が室内に入ってきた。

 特徴的なローブとたまに黄金色に輝く瞳を持つ、聖竜の眷属。

 ロイにとってはサンドラと同じく恩人である、賢者アルマスだ。


「すまないな。アイノと話していて、少し手間取った」

「いえ、妹さんとの時間を邪魔して申し訳ありません」


 彼は数百年ぶりに再会した妹との会話の時間を削って、やってきてくれていた。

 それがロイにはこの上なく嬉しかった。穏やかではあるが、友人ができやすいとは言いがたい彼にとって、数少ない相談相手がアルマスなのだ。


「言われたとおり、これに魔力を込めておいた」


 そういって、アルマスは手の平の上に乗るくらいの小箱を置いた。

 ロイは無言で蓋を開ける。


「………素晴らしいです」


 中にあったものを見て、それだけを言うのが精一杯だった。


「俺の想像より良いものになったよ。でも、本当にこれでいいのか?」

「はい。これでいこうと思います」


 蓋を開けたままの小箱を静かにおいて、アルマスに向き直る。

 

「そうか。ロイ先生がそういうなら、俺から言えることはない」


 アルマスも軽く視線を落とし、箱の中を見る。

 

 小箱の中に入っているのは、指輪であった。

 シンプルな形状のリングと台座だが、そこに填まる石に特徴があった。

 透き通った透明な宝石は、良く見ると内部に淡い輝きを何色も瞬かせている。

 周囲を照らすような明るさはない。じっと覗き込んだら、何とかわかる程度。夜空の星よりも柔らかな輝きが、石に封じ込められているように見える品だ。


「少なくとも、価値という観点で考えれば、下手な宝石には負けないでしょうから」


 この石自体は珍しいものではない。魔法士が練習で使う、特殊な石を軽く加工したものだ。通常と違うのは輝き方と、込められた魔力である。

 人間の魔力と違い、聖竜の眷属の魔力は持続する。


 通常なら一晩で消えてしまう石の輝きも、アルマスに頼めば長く保つ。

 そう考えたロイが考え出し、完成した、世界に一つしか無い指輪の石がこれだった。


「魔力の方は五百年くらい持つように込めておいた。長く持つだろう。なんなら、防御魔法でも仕込むこともできるが?」

「それはまた、別の機会に」


 この指輪を渡す対象を守る護符もお願いしたくなったが、何とかそこは抑えた。すでに十分世話になっている。これ以上はいけない。自分の頑張り所だ。

 

「勝負は明日だな」

「はい。これをアリアさんに渡して……け、結婚を申し込むつもりです」


 これまで控えていた単語を、ついにロイは口にした。

 現在、ロイは聖竜領の農業担当にして庭師のアリアと恋人関係にある。

 ここに来るまで長かった。帝都時代、魔法伯の屋敷で庭仕事をして泥まみれになっているアリアと出会ったのが遠い昔のようだ。あの時、なんとなく声をかけて植物の話をしただけのだったのが、よもやこのようになるとは。


「ロイ先生、俺は結婚についてはよくわからないから、あまり良い助言はできないんだが……」


 出会った時から先生と呼び、和やかに接してくれる世界屈指の魔法士が困ったような様子を見せた。


「アルマス様の話はいつも参考になりますよ。こうして力を貸してくれるだけでも、十分すぎることです」

「そうか。では、一つ。戦場では想定外のことが良くおきるものだ。そういう時は、当初の目的を思い出して行動するといい。……やっぱりあんまり上手いこといえないな」

「い、いえ。参考になります」


 「嵐の時代」を生き抜いた賢者は、戦場の話がつい出がちだ。これもまた実体験からなので、ありがたい助言に違いない。


「ともかく、健闘を祈るよ。酒場で祝杯の用意をしておこう」

「ありがとうございます」


 それから、「明日に備えて早く寝るといい」と言い残して、アルマスは退室していった。


 律儀にその助言にしたがったロイは、明日の準備を整えて、すぐに寝床に入った。

 指輪の入った小箱と、翌日の荷物は五回は確認した。


 いよいよ、ですね……。


 布団に入り、興奮混じりの緊張と共に、魔法具の弱照明に照らされる、分厚い木の枠が剥き出しになった天井を見つめる。


 明日は決戦の日だ。まさか、自分の人生にこんなことが起こるとは思わなかった。

 アリアの気持ちがわかっていると言い切れる自信はないが、上手くいくはずだ。

 何としても成功させて見せる。

 

 土や草と笑顔で戯れる彼女の笑顔を思い出しながら、ロイはゆっくりと眠りについた。

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