第268話「仕事以外で遠出するというのは悪くない。」

 アイノが非番のメイド達と買い物に行ったので、俺は一人になった。

 予定変更だが、嫌な気持ちはないし、町を歩くのは嫌いじゃない。普段住んでるのが森の中なので、たまに人の多いところに来ると新鮮な気持ちになる。


 とはいえ、家の物を買う気はおきない。必要なのは大抵アイノ用の物品だし、俺にはその手の物を選ぶセンスが欠落している自覚はある。そもそも、なにもない小屋で数百年暮らすことができる男に欲しい家具もそれほどないのだ。


 そんなわけで、俺は色んな店を眺めながら、行き慣れたクアリア中心部の通りへと向かった。途中、服の店をいくつか見つけたので、今度アイノを連れて行こうと思う。何着か持っていた方がいいと思うのだが、俺に遠慮してかあまり買わないので。


 広がりつつあるクアリアの街は移動に時間がかかる。最近では街中にレール馬車を敷いて移動を早くする計画も立つほどだ。今はないので、俺は淡々と歩いて、見慣れた古い市外に到着した。


 真っ直ぐ目指すのは、町で一番大きな書店である。


『なんじゃ。もっと色々店を覗くかと思ったのに、いつも通りじゃな』


『今日はちゃんと目的があって来たんですよ』


 呆れ声の聖竜様にそう返す。たしかに、この書店は俺がいつも目的もなく立ち寄って眺める定番の場所だが、今日は違う。時間があれば見ておきたいものがあったのだ。


「……ふむ」


『なんじゃ、趣味の棚とは珍しいのう。いつもは歴史とか地理の本を探しておるのに』


 聖竜様の言うとおり、俺が向かったのは帝国内で趣味として一般化されている事柄について記述した本が置かれた棚だった。


『アイノが独立した後、趣味の一つもと思いまして。その参考にしたいんですよ』


『なんと。お主のそういう結構ちゃんと考えるところ、偉いと思うよ、ワシは』


 聖竜様が驚きの声で語りかけてきた。きっと、俺がアイノの独立を視野に入れていることに驚いたのだろう。しかし、聖竜様に褒められるのは珍しいな。


『……アイノを手放さないかと心配しておったが。シスコンも成長するものじゃのう。ワシもまだまだ学びが足りぬ……』


 なんか俺の頭の中でしみじみと呟いているが、集中できないのでやめていただきたい。


 趣味の棚に置かれている本は、チェスのようなボードゲームの攻略法や、釣りの手法、あるいは手芸関連に園芸などだ。『嵐の時代』では本が書かれるほどではなかったが、人々が楽しむ内容としてはそれほど変わらないように思える。


『なにかピンと来るものはあるかの?』


『結構難しいですね。手芸は絶望的ですし、園芸は普段やってます。強いて言えば釣りですが、港が完成した後になりそうですね』


『チェスはどうじゃ? ルールくらい知っておろう』


『少し戦法を覚えたところで、サンドラに一方的に負ける未来が想像できるのでちょっと……』


 あの領主は過去に第二副帝の心が折れるまでチェスで負かした記録がある。俺が五十年くらい学んでも勝てる気がしない。そして、この地域で暮らす限り対戦を回避するのは難しいだろう。


『意外と繊細なところがあるのう、お前さん。では、一か八か、料理とかどうじゃ?』


『最近は野菜を切るくらいはできるようになったんですよ。そもそも刃物は扱えますし……』


 そう、俺は成長している。そもそも武器が扱えるのだから、その感覚で野菜を扱えと言われたらできるようになったのだ。ただ、その先が絶望的なだけだ。


『ちょっと保留にしましょう。他に良いものがないかを……む』


 趣味以外の棚にも視線を巡らせると、「旅行」の棚が目に入った。


『旅行というのは良いかも知れませんね。考えてみれば、イグリア帝国の帝とすら見たことないわけですし』


 棚の本を何冊か見てみると、まだ知らない町の情報が良い感じにまとめられている。なかでも帝都に関する本は分厚く、情報量が多い。国の中枢というだけでなく、観光地としても有名なようだ。


『食べ歩きはいいのう。ワシへの土産も期待できる。……保存食ばかりになりそうじゃが』


『意外と冷凍できるはずですよ。なにか方法を考えましょう』


 仕事以外で遠出するというのは悪くない。なんならアイノと一緒でも良いだろう。せっかく元気になって平和な時代に生きることが出来るんだから、見聞を広めるのは悪くないはずだ。


『旅先で食べ歩きもできるのう。ワシ、なんとかして遠くから貢ぎ物貰えないか模索しちゃおうかな』


 聖竜様が本気の声で言っている、乗り気だ。

 俺は棚からガイド本と旅行記を何冊か取った。やる、やらないはともかく、検討の価値があるだろう。

 ただ、懸念が一つある。


『俺かアイノが聖竜領から離れると、工事なんかに支障が出るんですよね』


『ここでの仕事も大事じゃからな。まあ、おいおい人も増えて余裕もできるじゃろうから、頑張るといい。あと、今日の土産はしょっぱいものを所望する』


 上司からの要望を果たす必要ができたので、俺は会計を済ませて本屋の外に出た。

 とりあえず、行くなら南部の温泉が手近だろうか、とか考えながら。

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