第255話「聖竜領は良い場所になっている。そう思いたい。」
聖竜領では見慣れたダン商会の宿屋兼酒場兼雑貨屋が目に付く位置にあるが、最近、もう一つ評判の施設ができた。
他の木組みの家とはちょっと違った、巨木を思わせる外観の建物。
医師であるルゼが営む診療所である。
事情があって所長であるルゼは居ないことがあるが、そこは安心。彼女が指導した従業員がしっかり常駐している。その上、併設された販売所ではエルフの携行食を始めとした民芸品まで購入できる。
昨年からダン商会以外の建物が増えた聖竜領でも、一番人気の施設といっても過言ではない。サンドラが言うには、医師が増えるようなら領から出資して増築も考えているという。
その診療所に、俺は納品のため訪れていた。
眷属印の薬草は森の種族であるエルフが使えば効果がより高まる。日常使いや緊急用など、用途に合わせて俺は定期的に納品に訪れている。
よく晴れた昼前、俺は薬草の詰まった箱を持って、診療所を訪れた。
「失礼する。納品に来た。おや、ルゼがいるな」
「いますとも。私はここの所長ですから。こんにちは、アルマス様。南方行きでは随分と楽しんだようですね」
にこやかに挨拶を返したルゼだが、その後の言葉を続ける内に段々と目つきが荒んでいった。
エルフなのに森から出るのが大好きな彼女としては、俺の南方行きに何としても着いていきたかったのだ。予定外に色んなところに行ったというのを知った時、少し荒れたという。
「その件は、一応納得した上で聖竜領に残ってもらったと理解しているんだが」
「わかっています。でも、温泉地まで足を伸ばして、しばらく滞在したなんて。サンドラ様も結構恨んでますよ。効能について私が説明しましたから」
「屋敷でたまに温泉の話が出るのはそれでか……」
最近、サンドラが温泉について語ることが多いと思ったら、ここに原因があったか。彼女も疲れが溜まっていることだし、休みに向かわせたいとは思うが、俺には手出しできないので困っていたのだ。
「そのうち、また南方に出かけることになる。その時は同行できるように話をしてみよう。それにほら、マイアが帰ってきたら周辺調査の仕事だって来るはずだぞ。俺からも頼むから」
「……それは是非お願いします。南方行き、頼みますよ」
「どうせならサンドラも出かけたついでに休んで来て欲しいからな。今のうちに相談しておこう」
俺の出した条件に納得したのか、ルゼの表情がいつもの穏やかなものになった。帝都の剣術大会に行ったマイアが帰って来ないのもストレスになっているかもしれないな。
「それはそれとして、薬草の納品だ。役立ててくれ」
「ありがとうございます。代金はお屋敷から出ているそうですが。安くしてもらっていいんですか?」
「構わないさ。薬草栽培はエルフの皆にも協力して貰っているし。医療用は特別だ。いざというとき医者を頼れるのはありがたい」
「嬉しいですが、怪我も病気もしないアルマス様がそう言うのは不思議な感じですね」
「元人間といっても、昔のことを忘れたわけじゃないというわけだ」
初期の頃、サンドラが発熱した時は医者がいなくて頭を抱えたものだ。あんな思いはしたくない。今はアイノもいるしな。
「見た感じ、患者もいないみたいだな。良いことだ」
農作業が始まると怪我人が出やすくなる。今は農家の子供もいるので、病気や怪我はでないにこしたことはない。
「ええ、患者は一人だけ。すぐそこで寝ています」
そう言って、室内の一画。カーテンで仕切られた場所を指さすルゼ。そこは患者用のベッドがあり、処置をしたあと一時的に休ませている場所だ。
「患者がいたのか。それは失礼した」
「問題ありませんよ。ほら」
ルゼが立ち上がって、カーテンを軽く開けてベッドの様子を見せてくれた。
「…………なるほど」
木製のベッドの上に用意された清潔な寝具の上では、建築家のリリアが幸せそうに眠っていた。
多分、酔い潰れて運ばれたパターンだ。たまにある。
「昨夜遅く、酒場で潰れてそのまま運ばれて来ました。何種類ものお酒に挑戦したとかで、念のためですね。今朝、一度起きて診断しましたが問題はなさそうです。薬草酒を飲んだらかつてないほど気分が良くなったとかなんとか」
「そうか……、なんか責任を感じるな」
薬草酒は俺がダニー・ダン達と協力して試作したやつだ。変わった酔い方をするのかもしれない。
「それにしても、安心して寝ているな」
「起きたとき、聖竜領は全部が家みたいで安心できます、と言っていましたよ。良いことですね」
そう言ったルゼは、優しく笑みを浮かべながら、リリアの様子を確認した後カーテンを閉めた。
「聖竜領が彼女にとって良い場所になってなによりだ」
「私もそう思います」
流れ者に近かったリリアが、「家みたい」とまで言って、安心して酔い潰れているんだ。聖竜領は良い場所になっている。そう思いたい。
「しかし、飲み過ぎは感心しないな。起きたら眠気覚ましに苦い薬でも飲ませてやってくれ」
「奇遇ですね。私もそう思っていました。頻繁に来るんですよね、この人」
先ほどまでの優しさはどこへやら、にやりと笑ってルゼがそう答えた。
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カクヨムコン向けに新作の連載を始めました。
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左遷されたギルド職員が辺境で地道に活躍する話
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