第228話「現実はそんなことはなく、野生に近い生活だったわけだが。」

 氷結山脈は高度を下げ、場所を選べば何とか野営することができる。

 魔物や獣との遭遇は運になるが、かつてのドーレスのように首尾良くいけば聖竜領まで辿り着くことができる。

 どうしても危険はつきまとうのだが、例外はある。

 今のように魔物が減らされ、横に聖竜様の眷属がいる状況なら、普通の森や山よりも安全なくらいである。


 そんなわけで、俺達は山を下りた平地にて野営をしていた。離れた場所に川も流れている好立地。そこに天幕を張っての夜である。


 元が旅人だった皇帝とその側近だから、準備は迅速だった。皇帝自身も手伝って、あっという間に設営が終わり、楽しい夜がやってきた。


「ふぅ……面倒な公務を忘れて、剣を振る。昔を思い出していいわー。アイノさん、この国で一番偉いのは、皇帝じゃなくて仕事なのよ。終わりのない仕事が最高権力者を縛り付けるんだからー」


 焚き火を囲みながら、美味しそうにスープをかきこみつつ、クレスト皇帝はアイノに笑顔で語りかける。


 今日の夕食は堅いパンとスープ。作ったのは皇帝の側近とアイノとマイアだ。高級とはいえない食事だが、こういう場で食べるものは、とても美味しく感じる、不思議なものだ。


「サンドラさん達を見てると、偉い人って忙しいんだなって思います。皇帝陛下だと尚更なんですね」


「クレスト皇帝は真面目なんだよ。その気になれば自由に振る舞えるだろうに」


 実際、最高権力者なんだから全部他人に仕事を投げて気ままにすることも可能なはずだ。

 同時に、それができない性格だから皇帝の椅子に座れているということだろう。


「あはは。真面目かぁ。まあ、余にも色々事情があるってことでよろしくね」


 堅いパンをちぎりながら、皇帝はそう笑って流した。本当に色々なのだろうな、彼女も長生きしているし。


「陛下の旅人時代はいくつか本にもなっていますから、私も少し存じています!」


 無心で夕食を食べていると思っていたマイアが元気よく言った。そんなのがあるのか、今度探してみよう。


「マイアちゃんは昔そう言って話をせがんできたことあったわねぇ」


「陛下は『嵐の時代』を旅してたんですよね。大変そう……」


「余が生まれたのは『嵐の時代』の最後の方だし、安全そうなところを行ったからねー。割とのんびりしてた所もあったよー」


「それは俺も知らない時代だな」


 『嵐の時代』の最後の方となると、俺は聖竜の森で眷属生活だ。外の事情は全くわからないので、詳しくは知らない。


「そっか。賢者アルマスはずっとここだもんね。余も魔境は危険だからって近寄らなかったし。一度でも足を運べば良かったかな?」


「聖竜の森が今くらい安全になったのは割と最近だ。危険を避けたのは正解だと思う」


「そっかー。でもちょっと頑張れば、歴史変わってたかもとか考えちゃうわねー」


 聖竜の森で竜脈を整える日々を行う俺のところを訪れる旅人のクレスト皇帝。仮にその出会いがあれば、俺はどうしていただろうか。外の状況を聞いた聖竜様がなんらかの命令を下して一緒に旅立っていたかもしれないな。


「そうだな。もしもの話を考えるのは、なかなか面白い」


 もしかしたら、俺がイグリア帝国の重鎮として収まる未来もあったのかもしれない。現実はそんなことはなく、野生に近い生活だったわけだが。


「そうねぇ。うん、そうだ、せっかく昔を知る人が二人もいるんだもの。昔のことを話しましょうか。良ければ付き合ってくれる? 皇帝の昔話に」


 手に持ったパンをたいらげながら、見た目相応の子供みたいな笑顔を浮かべながら、皇帝が言ってきた。


「できれば平和な話をお願いしたいな。戦争は好きじゃない」


「わ、私もっ。昔の楽しかった話とか綺麗な景色の話を聞きたいです」


 返答を聞いた皇帝は笑みを深くして、地面に座り直す。側近が用意したクッションも使わず、地面に座るこの姿こそ、彼女本来のものなんだろう。


「では、貴重な方に貴重な話をお聞かせしましょう。戦乱の世を行く旅人時代だった余の話をね。もちろん、血なまぐさいことのない話にするからね」


 歴史の生き証人自らの話とはこれはまたとない経験だ。記録に残せば非常に価値あるものになるだろう。そんな雰囲気ではないのでできないのがちょっと残念だ。せめてしっかり頭に刻み込もう。


「皇帝陛下の昔話、珍しく面白いので私も楽しみです!」


 お湯を沸かすための鍋を置きながら、マイアが楽しそうに言った。

 アイノも皇帝と上手くやっている。心配していた同行だが、なんとかなりそうだ。

 ただ、クレスト皇帝の狙いがはっきり見えないのが、少し気がかりではある。

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