第222話「ここに至るまでの数々の決断は無駄では無かった」

 クアリアでの仕事と買い物を済ませた俺達は、聖竜領に帰って元の生活に戻った。今のところ雪が降っていないおかげで、流通も順調で快適な冬の生活が続く。


 そんな日々の中、昼前の屋敷の庭先で俺はゆっくりとお茶を楽しんでいた。


「はい! 休憩も終わりましたので素振りをします! サンドラ様はそちらの軽い方を! 手袋をなさってくださいね!」


「わかったわ……」


「よろしくお願いします!」


 屋敷前のそこそこの広さがある庭で、マイアによって剣の訓練が行われていた。

 訓練を受けているのはアイノ、そしてサンドラだ。


 驚いたことに、クアリアから戻った後、サンドラは時間を見つけてアイノの訓練に付き合いだした。勿論、本人の体力や仕事の関係で参加する時間は短めだし、内容も軽い。

 

「サンドラ様! 少し体が流れてますよ!」


「はい!」


 動きやすい服に着替えたサンドラが、懸命に木剣を振っている。ここに来て初めてみる光景に俺は驚きを隠せなかった。


「もう何度も見ているのに、毎回信じられないものを見たような顔をするのですね」


「そのくらい驚きなんだ。ちょっと運動するならともかく、普通の訓練してるからな」


 俺に追加のお茶を淹れながら、リーラが言ってきた。

 この時間、リーラは訓練に参加せず、俺の横が定位置になっている。最初は心配そうにサンドラを見守っていたが、マイアがそれぞれの体力に合わせて訓練内容を変えているのを確認してから少し落ちついた。

 というかマイアは本当に教えるのが上手い。意外な才能である。


「アルマス様の見立てで、どう思いますか。あの二人を」


「サンドラは筋がいいとは言えないな。元々、体を動かすのが得意でないのだから仕方ない。だが、しっかりと取り組んでいるのがいいな。昔に比べれば、元気になったものだと思うよ」


 俺の率直な意見に、リーラが頷く。最初にここに来たとき、無理をしすぎて熱を出したのを思えば、丈夫になったと思う。


「アイノ様の方は、慣れればかなりのものになりそうですね」


「体の動かし方を覚えればそうだろうな」


 サンドラの隣で剣を振るアイノは、ある意味異常だった。

 剣を構える姿も、振る様子も、サンドラと大差ない。にも関わらず、振られる剣先の速度があまりにも早い。たまに勢いが付きすぎて、地面を削ってしまうほどだ。


「アイノ様。落ちついて一回ごとにゆっくり振りましょう!」


「はい!」


 アイノの体の中で巡る莫大な魔力。それに伴う身体強化。妹は、それを上手く扱えていないのだ。


「この訓練は頼んで良かったと思う」


 お茶を一口飲んだ後言うとリーラが黙って頷いた。聖竜様の影響で体が変異したアイノは、自分の身体能力を持て余すような状態だったということだ。その使いこなしを覚えるという意味で、マイアの鍛錬はとても役に立つだろう。


「ところで、なんでサンドラは訓練に参加したんだ? 最近、運動不足だとは言っていたが、これは頑張りすぎなんじゃないか?」


 事務仕事が増えて体がなまったとは本人もたまに言っていた。しかし、剣の鍛錬とは急に運動量を増やしすぎだろう。


「…………」


 俺の問いに、リーラは無言でありつつも、逡巡した様子を見せた。珍しい反応だ。言いにくいことなのだろうか。


「…………お嬢様はこのところ、少々ふくよかになられまして」


 結構長い時間を置いて、戦闘メイドは小声でそう教えてくれた。

 それを聞いた俺は、懸命に剣を振るサンドラをじっと観察する。

 

「正直わからないんだが。そもそも、年齢的に成長しただけとも……成長、してるのか?」


「していますとも。少々ですが、背も伸びています」


「そうなのか……」


 気づかなかった。俺からするとサンドラはずっと小柄なままだからな。出会った十三歳の頃の印象をどうしても引きずってしまう。


 サンドラも今年で十七歳。少なからず成長というものがあるのだろう。俺にはわからないが。


「見た目以外のところが大きく成長したということだな」


「アルマス様。気を回した言い方が逆に傷つけることもあるのでお気をつけを。お嬢様、それなりに気にしておりますので」


「気を付けるとしよう」


 リーラの言い方がちょっと恐かったので、俺はこの件については静かにしていようと思った。


○○○


 アイノの一日は忙しい。剣の訓練にイグリア帝国と魔法についての勉強。他にも現代についてのあれこれや、自身の体の扱いなど考えることと動くことが多い。

 さすがにこれは疲れるだろう。

 そう思った俺は、寝る前に疲れの取れるハーブティーを用意して部屋に招くことにした。


「お疲れ様アイノ。俺の作ったハーブを使ったお茶だ。淹れたのは屋敷のメイドだから安心して飲んでくれ」


「自分で作らないのが兄さんらしいわね。ありがとう。眷属印って高いんでしょうに」


「気にしなくてもいい。一人分くらい、大した量じゃないんだからな」


 そう言って、テーブル上に置かれたカップを進めると、アイノはそれを静かに口にした。


「うん、おいしい。きっと明日も頑張れるわ」


「それなんだが、俺の方で色々押しつけすぎで嫌になってないか?」

 

 満足気に言うアイノに、俺はこのところ抱いていた疑問を口にした。

 よかれと思って進めたあれこれの勉強や鍛錬。それがアイノの負担になっていないか。さすがに気になったのだ。正直、俺より忙しく過ごしている。


「たしかに、勉強も訓練も大変ね。でも、大変なのがいいとも思うかな。今は明日は目覚められないかもしれないとか、体が動かないかもしれないとか、気にしないで良くなったから……」


 両目を閉じて、じっくりと考えながら、アイノは自身の考えを口にする。俺はそれを遮ることなく、静かに耳を傾ける。


「それにね、戦火に怯えないでいい時代なのも有り難いかな。病気になる前はどこかの街が無くなったとか聞くたびに、恐くなったから」


 『嵐の時代』は俺にとっては昔話だが、アイノにとっては少し前の記憶だ。戦時下の出来事はまだ真新しい嫌な思い出だろう。


「……なにより、戦争に行った兄さんの帰りを待たないでいいのが嬉しいかな」


 それは『嵐の時代』ではアイノが一度も口にしたことのない言葉だった。


「俺も今の方がいいな。戦いは好きじゃないんだ」


 できる限り率直な言葉を返すと、アイノが「やっぱり」と言って笑った。


「これからのことに不安もあるけれど、今はとても幸せよ。兄さん」


 ここに至るまでの数々の決断は無駄では無かった。この時、俺はようやく、そんな風に考えることができた。

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