第217話「本音を言うとかなり気になるが、大人なので我慢だ。」
その日、俺は久しぶりに酒場で昼食をとった。朝から自分の仕事を片づけていたら、屋敷の昼食の時間を逃してしまったためだ。
トゥルーズがクアリアへ修行に行ってしまったとはいえ、屋敷の料理は美味しい。教育の行き届いたメイド達はとても優秀だ。
だが、それはそれ。雑多な雰囲気の中食べる食事というのも悪くない。俺は酒場の隅でパンとスープをのんびりと味わっていた。
冬とはいえ雪が降っていなければ聖竜領への来客はそれなりにある。店内は昨年より賑やかだ。レール馬車などで交通の便が良くなった影響だろうか。
「おや、アルマス様がいるとは珍しいね」
食事を楽しんでいたら、大工のスティーナが向かいに座って来た。
寒くなったので少し厚着になった彼女は、夏場よりも大分元気そうだ。
「少しは仕事が落ちついたようだな」
「束の間の休息ってやつだね。アリアさんの仕事もあるから、忙しくはあるんだけれどね」
注文を受けにきたメイドに肉料理を頼みながら、スティーナが言う。表情に余裕がある、サンドラ達が増員の手配などもしていたし、仕事環境が多少は改善したのだろう。
「休息は大切だからな。無理せず休んでくれ」
「あたしとしては、アルマス様が一人でいることに驚きだよ。冬の間は妹さんの面倒をみてるもんだと思ってたから」
「もちろんそのつもりだが、つきっきりというわけではないよ」
眠りにつく前のアイノの年齢は一八歳、この地方では大人として扱われる年齢だ。兄とはいえ俺が付きまとっていれば嫌になるだろう。
「アイノも色々とやるべきことが見えてきてな。今日はマイアと朝から訓練だ」
「魔法も戦闘もアルマス様なら両方教えられるんじゃないのかい?」
「魔法はともかく、戦闘は駄目だな。俺のは戦場で培った生存方法で、教えられるものじゃない。それに、マイアはああ見えて教えるのが得意なんだ」
聖竜領に来る前、マイアは兵士達を訓練する立場にあった。部下達に慕われていたし、練度も悪くなかった。意外というと失礼だが、指導力があるのだ。
今頃アイノはマイアの教えのもと、基礎体力向上の運動をしているはずだ。きっと疲れることだろう、帰ったら労ってやらねば……。
「アルマス様、妹さんのことを考えている顔になってるよ」
「……わかるのか」
「まあ、だいたい。魔法の方はアルマス様ってことになったんだね」
「今のところはな。見本を見せるにしても、魔力に余裕がある俺がやるほうが良いだろうということになった」
「ああ……なるほど」
魔法の教師役としてはロイ先生が最適なのだが、実際に魔力を使って見本を見せるという段になると問題が生じる。彼の魔力量問題はいかんともしがたいのである。
今のところ、魔法については二人がかりで教える手はずになっている。上手くいけば、近い将来、聖竜領に新たに強力な魔法士が誕生することだろう。
「色々と良い感じになってるみたいで良かったよ」
感慨深げに言いながら、運ばれてきた肉料理に食らいつくスティーナ。酒を飲んでいる時と食べている時が実に幸せそうな人である。
「ところでアルマス様。妹さんは聖竜様と会話できるのかい? 噂を聞くと、眷属ってのと近いみたいだけど」
「む……そういえば気にしたことがなかったな」
これは迂闊だった。さっそく確認せねば。
『どうなんですか、聖竜様』
『ようやくこの質問が来たのう。一応じゃが、会話できとるよ。眷属でないから結構集中しなきゃいかんみたいじゃがのう』
『…………』
なんと、驚きの事実だ。
『言っておくがアイノが隠していたわけじゃないぞい。向こうは知ってるものじゃと思っておる。その上で、色々と相談も受けているのじゃよ』
『相談ですって、俺を差し置いて……っ』
『落ちつくのじゃ。兄とはいえ話しにくいことじゃってあるのじゃよ』
『む……』
たしかに、相談できる相手が俺以外にいるのは良いことだ。身内とはいえ言いにくいことだってあるだろう。
しかし、気になる……。
『気になるんじゃろう?』
『……ええ、勿論。ですが、聖竜様にお任せします』
俺はアイノと聖竜様を信じている。変な話題ではないに違いない。必要なら俺にも相談してくれるはずだ。本音を言うとかなり気になるが、大人なので我慢だ。
『かなり苦悩しておるようじゃの。安心するがいいのじゃ、自分の身体のことだとかその程度じゃよ』
『教えてくださって、ありがとうございます』
俺は心の底から聖竜様に礼を言った。
ふと気づけば、スティーナが俺の方をじっと見ていた。
「アルマス様、なんか大変そうだけど平気かい?」
「平気だ。家族が帰ってくると色々とあるものだ。喜ばしい変化だな」
「素直にそう言えるアルマス様は偉いと思うよ」
言いながら、スティーナは更に乗った肉料理を片づけようとした時だった。
酒場の扉が開き、見覚えのある者が入ってきた。
「こんにちはー。久しぶりに来たんで、お昼頂きにきましたよー。あ、スティーナさん、ちょうど良かったー」
主に南部で活動している建築家のアリアだ。実に元気そうな様子で、こちらに向かって歩いてくる。
「あ、ああ、こんにちは、アリアさん」
声を返すスティーナの顔は苦り切ったものだった。
彼女は仕事に妥協できないところがある。間違いなく、このまま仕事の話になる。
「なんというか、それぞれ色々と事情があるものだな」
「まったくだねぇ……」
スティーナが肉料理を口に運びながら、しみじみとそう答えてきた。
もう気持ちを切り替えたのか、仕事の顔になっている。
大変なのは皆一緒ということだろう。
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