第209話「なかなか、道は遠そうだ。」

 秋も深まり、今年も収穫の季節がやってきた。

 黄金色の麦穂が揺れる聖竜領の畑の各所に人が入る。収穫は大仕事だ、農家だけでな、屋敷の者なども余裕があれば手伝いに入る。


 まさに聖竜領総出の仕事が進む中、その光景を見て心配する者がいた。


「大丈夫かしら。心配だわ」


 第二副帝の妻、ヴァレリーである。普段は落ちついた様子の彼女が、珍しく動揺していた。

 その理由は視線の先、畑の中で働く娘の姿にある。


「大丈夫ですよ、ヴァレリー様。シュルビアはクアリアでもたまにああして手伝っていますから。それに、周りの者がちゃんと見ています」


「そうそう。もう大人なんだし、クアリアの領主夫人らしくていいじゃないか」


 横にいるスルホとクロードが一緒になって彼女をなだめている。

 両親の様子見がてらやってきたクアリア領主夫妻だったが、収穫作業が始まるのを見るとシュルビアが手伝いを申し出たのである。


「なんだか意外な光景だな」


「こう見えて、ヴァレリーはシュルビアをとても心配しているんだ。体が弱かった時なんか、国外に出て薬草の探索をしようとしたりね。……下手をすると国際問題になるから止めるのに苦労したよ」


「当たり前でしょう。あんなに病弱だったんだから。しかも農作業や収穫なんて、手が荒れるし怪我をするかも……。時にアルマス様、回復魔法は使えますか?」


「もちろん、使えるが」


 シュルビアは東方の宝石と呼ばれるくらいの美姫だ。俺は元気になってからの期間を長く見ているから、今の光景に違和感はないが、多くの人は病弱で美しい姫という印象を持っているのかもしれない。


「スルホ君、シュルビアはいつもあんな感じなの? 手紙を読む度に不安になるんだけれど」


「危険のないように配慮はしています。今も、横にサンドラとリーラがいますし。ただ、少し元気すぎるところがありまして……」


 スルホの言葉通り、聖竜領の領主主従はシュルビアの収穫に付き合っていた。多分、心配なんだと思う。


「そういえば、病気がちになる前はヴァレリーに剣を教わろうとしてたなぁ」


「案外、今の姿が本来のものなのかもしれないな」


 俺が魔法具をいじったりして彼女を治療して以来、元気になるばかりだという。クアリアに嫁いでからはこうして農作業すらする。美しさで有名な姫君が汚れる仕事をするのを嫌がるのは多いだろうが、農業で栄えるクアリアの領主夫人としてはこれで良いのかもしれない。


「せっかく動けるようになったんですから、ある程度はシュルビアの好きなようにさせたいのですが」


「スルホ君のことは信じてるけど、無茶をさせないようにね。あと、頻繁に出かけるようなら腕利きの護衛を手配するから」


 なんだかヴァレリー本人が護衛にやってきそうな勢いだ。それはそれでクロードが着いてきそうでサンドラの心労が心配になる。


「そうそう、東都で聖竜領でとれた麦とハーブで作ったパンを食べてみたんだけど、面白いね。他の地域のものより美味しいし、元気になるそうだよ。これも土地柄かな」


「否定は出来ないな。少なくとも、領内の畑は聖竜様や俺の影響がある」


 麦が収穫される様子を見ながらクロードがそんなことを言った。なんだかパンを作って売るのも良さそうな話に思えるな。今度ダニー・ダンに相談してみるか。


 横で娘の心配をするヴァレリーを除いて、俺達はのんびりと収穫の様子を眺める。気温も寒すぎず、日差しも柔らかい。時おり頬を撫でる風が心地よい、秋の過ごしやすい日だ。


「む、ちょっと失礼」


 ふと、畑の端の方に気になる顔がいたので俺はその場を立った。


 行き先は畑の端に作られた休憩所。数本の木と簡素な屋根が設けられた場所だ。

 そこになぜか、ロイ先生がいた。


「ロイ先生、こんなところで休憩か?」


「こんにちは、アルマス様。そんなところです。少し休んだら収穫の手伝いのつもりですよ」


 いつものような穏やかなメガネ顔でロイ先生が挨拶を返す。

 ただ、俺の方を見たのは一瞬で、すぐに視線は畑の最前線で収穫をするアリアに向いた。


「先日、クアリアで二人で歩いているのを見かけた。上手くいっているようだな」


「おかげさまで。大分進展しました」


「ほう……」


 思わず驚きの声が出た。あのロイ先生から進展などという言葉が出るとは。これはいよいよ大きな動きがあるかもしれない。


『のう、アルマス。ここでの結婚式ってどうなるんじゃろうな』


 いきなり聖竜様が話しかけてきた。聞いてたのか。


『わかりませんが。広場の聖竜様の像の前で宴会じゃないでしょうか』


 現状、聖竜領で結婚式が行われたことは無い。もしロイ先生とアリアがやるとしたら、領地をあげての催しになるだろう。そうすると使うのは村の広場。聖竜像の前だ。


『なるほどのう。ワシは人の幸せな光景を見るのが好きじゃから楽しみじゃのう。それに、結婚式ならトゥルーズが特別な料理を作ってくれるじゃろうし』


『聖竜様にとっては得しかない話ですね』


 まだ具体的な話にもなっていないのに、なにやら楽しみにしている。

 

「ロイ先生。進展とはどの程度だ?」


 上司が気にしているし、少し踏み込んで聞いてみた。本人の口から出た言葉であるし、話したいのだろう。


 俺の問いかけに、ロイ先生は見たことも無いくらい明るい笑顔をして答える。


「はい。また出かける約束ができました!」


「……そうか。応援してるぞ」


 なかなか、道は遠そうだ。


『わからんぞアルマス。こういうのに限って一足飛びに物事が進むんじゃ。ワシは長く生きているから知ってるんじゃぞ』


 聖竜様がなにか言っているが、全面的に同意というわけにはいかなかった。

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