第157話「その言葉を受けて、俺は本来の目的地である食堂へと向かうのだった。」

 仕事が増えると俺も領主の屋敷に行くことが増える。もう慣れたもので、特に忙しい今年など自分用の部屋に泊まり込むことが増えた。

 今日もまた、屋敷の泊まり込みロイ先生とゴーレム用の魔法陣を書き続ける用件を片づけたところだった。時刻は昼、朝のゴーレム製造を終えて俺とロイ先生は屋敷に戻って廊下を歩いていた。


「こうも忙しいと妹さんを助ける魔法の開発が進みませんね」


「仕方ないさ。魔法書は解読済みだし、空いた時間を利用して少しずつ作るよ。落ち着いた頃にゆっくり試験をするつもりだ」


 ロイ先生はたまにこうしてアイノのことを気にかけてくれる。俺としてもはやる気持ちがあるのも確かだが、ここで焦るわけにはいかない。確実に手順を踏んでいこうと思っている。

「落ち着いた頃ですか……。この分だと今年の収穫祭まで絶え間なく工事が続きそうなのが問題ですね」


「ゴーレム造りの魔力供給と畑仕事が中心だから時間は作れるよ。本格的な建築作業に入れば俺の出番は減る」


「僕の方はクアリアへの魔法士の増員をお願いしましょうかね。そうすればお手伝いできます」


「それなら魔法伯を頼れるかもしれないな。サンドラに話を通して……」


 そんな風に仕事の話をしていると、通りがかった一室から声が聞こえた。


「お嬢様! それはいけません!」


 リーラの声だ。彼女の口から出たとは思えないくらい大きな声だった。


「なにかあったようだな」


「リーラさんが大声を出すの、始めて見たかもしれません」


 俺とロイ先生は互いに目を見合わせた。目の前の扉を開けて関わるべきかどうか。悩み所だ。


「……実は、今日はアリアさんが食堂にいるんです」


 ロイ先生は正直だった。


「わかった。先に行ってくれ。一応、中を見てから行くよ」


 声が聞こえてきたのは領主の執務室の隣で、仕事中のサンドラ達が休憩に使う部屋だ。物騒なことがあったとは思えないし、俺一人でことたりるだろう。


 とりあえず、礼儀として扉をノックして声をかける。


「アルマスだ。今、リーラの叫び声が聞こえたんだが?」


「平気よ。気にしないで」


 帰ってきた声はサンドラのものだった。声音は普通だ。

 珍しく喧嘩でもしたのだろうか。後で聞こう、そう思ったら扉が開きリーラが現れた。


「アルマス様。一緒にお嬢様を説得してください」


 いつもの顔のリーラだが、何故か顔に悲壮感があった。


「なにをしているんだ?」


 室内に戻ったリーラに続いていくと、椅子に座ったサンドラが目に入った。

 椅子は部屋の真ん中あたりにあり、サンドラの首から下は布が巻かれている。


「暖かくなったので、リーラに髪を切ってもらおうと思ったのよ」


「なるほど。言われて見れば髪が伸びたな」


 サンドラがこの地に来て三年。最初は肩の辺りで切りそろえられていた髪も今は背中まで伸びている。ある意味、彼女の体で唯一成長している部位にも思えるが、そこは俺の心の中にしまっておこう。


「リーラはなにが不満なんだ?」


 これから暖かくなる。髪が長くて暑い場面もあるだろう。本人の希望なら問題ないと思うんだが。


「髪を整えるなら私も異論はありません。しかし、お嬢様が必要以上に髪を切るというので……」


「さっきの大声はそれでか……」


「大げさよ。ここに来た時と同じくらいにしてって言っただけなのに」


「大げさではありません。ソフィア様譲りのその髪を短くするなど。以前は耐えきりましたが、今度は自信がありません」


 どうやら、リーラにとってはかなりの大ごとのようだ。なにが彼女をそうまでさせるのか。

「……髪を伸ばすと、母様に似てるのよね、私」


「そうなのか。それは……何と言えばいいものか」


 リーラはサンドラの母に仕えていた戦闘メイドで、今も思い入れが強い。娘であるサンドラに母親の面影を見てしまうのだろう。


「ここ来る前、帝都で髪を切る前も一悶着あったのよね。その時は開拓地では動きやすい方がいいからってことで納得してくれたのだけれど」


 この三年くらいでサンドラを取り巻く状況は大きく変わった。今なら髪を伸ばしていても問題はないとリーラなりに判断したのだろう。


「その美しい御髪はお嬢様と共にあってこそなのです。どうか、思いとどまって頂ければと」


 そう言って、リーラは丁寧に頭を下げた。これ以上ないほど真剣だ。


「……上手い落とし所はないのか?」


 ここまでされると、そう言うしかなかった。


「そうね。わたしも短い方が楽なだけって話だし。軽く鋏を入れてもらうだけにするわ」


 サンドラがそう言うと、リーラはあからさまに顔を明るくした。


「ありがとうございます。せっかく髪が伸びたのですから、色々と髪型を試してはどうでしょうか? これからパーティーに出る機会も増えることでしょうし」


 礼を言いつつ、自分の欲望をしっかり表現するメイドだった。


「わかったわ。あと、ずっと待ってるから、お願いできるかしら?」


 苦笑しつつ言ったサンドラに応えて、すぐさまリーラが鋏を手に取った。


「では、俺は失礼するよ。これから昼食なのでな」


 そう言って退室しようとしると、リーラがこちらを見て一言言った。


「アルマス様、お力添えありがとうございます」


 その言葉を受けて、俺は本来の目的地である食堂へと向かうのだった。


 三年前、リーラはサンドラの髪を切ったあとどうしたのだろうかという疑問は、胸の内にしまっておいた。

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