第150話『時間をかけて物事を進めるのは自信がある。』

 ヘレウスが去った日の午後、俺はロイ先生の工房にいた。

 室内にはユーグもいる。先ほど貰った魔法書を解読するため、エルフ村から来て貰ったのである。


「魔法伯からもたらされた魔法書ですか。それも、帝都の魔法士が研究したという最新版」

「元は『嵐の時代』にあった魔法書で研究が途中で止まっていたもののようだ。昨年、第二副帝からの報告を聞いて、ヘレウスが密かに研究を続行したものらしい」


 俺相手の取引材料としての面もあったようだが、内容そのものが悪くなく、研究途中にいくつか応用した技術が開発されたらしい。


「精神への防御魔法ですか。たしかに強力なものは聞いたことないですね。たしか、構成が難しいし、魔力消費が激しくて使いにくかったような……」


「その欠点はこちらも同じようだ。というか、むしろ悪化しているな。より強力な精神防御ができるかわりに、燃費が悪い。研究でもたらされた恩恵も、魔法陣の構成についてだったようだしな」


「なるほど。複雑なのはともかく、アルマス様が使うなら魔力消費については無視できますもんね」


 言いながらユーグがページをめくる。目の前にあるのは複数の魔法書を研究して出来上がった、新しい魔法書だ。元は研究メモに近いものだったそうだが、こちらは章立てて上手に整えられている。


「……最初の方にその辺が書いてありますけど。いざ中身に入ると難しいですね」


「たしかに、魔法陣を使って発動する魔法のようですが、アプローチが僕達が使っているものと違うように見えます」


 ロイ先生もユーグも優秀な魔法士だ。ざっとページを手繰っただけで、書かれているのが普段接している魔法と少し系統が違うことを把握してくれた。

 俺が二人を呼んだ理由はそこだ。この魔法書に書かれている魔法は俺から見ても難解だ。しかも、アイノのために使うには、書かれていることを解釈し、新しい魔法陣を構築する必要がある。

 一人では時間がかかりすぎる。協力者が必要なのだ。


「基本は一緒だから、なんとかなると思う。新しい魔法は二人にとっても利が大きいだろう。できれば、協力してくれないか。妹を助けるためなんだ、何とかしたい」


 そう言って俺は頭を下げた。

 精神防御の魔法が上手くいけば、アイノの治療をより素速く行うことができる。聖竜様だけに頑張ってもらうわけにはいかない。


「もちろんですよ。微力ながら、協力させて頂きます」


「というか、最初からそのつもりですよ。アルマス様には皆、お世話になってるんだから、喜んで力を貸しますって」


 顔を上げると、ロイ先生とユーグが笑みを浮かべていた。


「ありがとう。感謝する」


 もう一度礼を言うと、二人は気にするなといわんばかりに肩をすくめたり、笑みを深めた。

 

「あ、でもこれ、本当に厄介ですよ。なんか知らない計算式とか書いてあります。エルフ村の工房でも相談できるけど、計算に強い人なんていたかなぁ」


 計算は魔法士の基本的な技能だが、専門といえる程の者はなかなかいない。そういうのは、この魔法書を作ったような研究所務めの者が得意としている。

 聖竜領の魔法士は全員現場型なので、進んで学びに行かなければ知らない計算式に触れる機会は殆どない。


「困りましたね。東都や帝都と連絡を取りながらの作業になるかもしれません」


 そうなると、思ったよりも解読に時間がかかりそうだ。

 ヘレウスの力を借りることはできるだろうが、距離のあるやりとりというのはスムーズにことが進みにくいのが常だ。

 しかし、計算か……。


「そういえば、身近に計算が得意な者がいたな」


「……そんな人がどこに?」


「なるほど。サンドラ様は数学が得意です。たしか、帝都にいる頃は論文や学術書を読むのを趣味としていました」


「さすが、若くして領主をやる方は違いますね」


 どうやらユーグはサンドラの能力を知らなかったようだ。というか、ロイ先生の言ったことは俺も初めて聞いた。これは期待が持てそうだ。


「さっそく手伝って貰えないか相談してみるよ。ちょっと行ってくる」


「念のため、目を通してもらった方がいいですよ」


 ロイ先生から魔法書を受け取りながら、俺は足早に執務室へと向かった。


○○○


 執務室に到着し、サンドラに事情を話すと、彼女は業務を中断して魔法書を受け取ってくれた。

 それからサンドラはひたすら魔法書に目を通している。俺はリーラにお茶を用意して貰い、その様子を見守っていた。

 読み込むのではなく、内容を確認するためだからだろうか、それなりの厚さがある魔法書は次々とページがめくられていく。


「凄い集中力だな」


「お嬢様は興味のあることがらに出会うとああなります。久しぶりに見ましたね」


 俺とリーラがそんなやり取りをしてから数分後、サンドラはゆっくりと本を閉じて、そっと大切そうに机の上に置いた。


「結論からいうと。計算部分だけなら手伝えると思うの。念のため、クロード様経由で東都の学者と相談する必要はあるけれど」


「それは、確認は必要だが、この場で計算できると言うことだろうか?」


 俺の問いかけに、サンドラは頷いた。


「ええ、わたしで良ければ手伝わせて貰うわ。アルマスが妹さんを助ける手助けができるなら嬉しいもの」


「ありがとう。全く、感謝してもしたりないな」


「大げさよ。当然のことをしているだけ。でも、時期が悪いわね。お父様が来たのが冬の初め頃だったら良かったのに」


 そう言って、サンドラが窓の外を見た。一時間もすれば夕方といった時間帯だが、外は明るく暖かい、窓の外に積もった雪も日に日に溶けて小さくなっている。


「今年は忙しくなるのは承知している。空いた時間に少しずつ魔法を作っていこう」


 今さら焦って事をし損じるわけにはいかない。俺は四百年以上待ったんだ、時間をかけて物事を進めるのは自信がある。


「そうね、心苦しいけれど、そうしましょう。でも、頑張らせてもらうわ」


「ああ、俺もできる限りのことをするつもりだ」


 アイノの帰還に向けて、次の一年は少し忙しくなりそうだ。

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