第149話「一人でこっそりやってきたのが嘘のような、穏やかな出発だ。」

 視察の日の夜、サンドラとヘレウスは二人きりで多くのことを話し合った……らしい。

 俺どころかリーラですら同席しなかったから詳細はわからない。ただ、それが良い結果をもたらしたことはわかった。

 

 その証拠に、サンドラとヘレウスは共に過ごし、仕事と家のことを話すようになった。

 俺が酒場で聞いたことと同じ情報を得たのだろう、影ながら父の支援があったことを知ったサンドラは、今後の領地経営についての相談など、踏み込んだ話題を出すようになった。

 そして、家族の話をするのも見かけるようになった。話題になるのは亡き母のことだが、不器用ながらも親子の中は以前よりも良くなって見える。

 最初はどうなることかと思ったが、振り返ってみれば、ほぼ一日で解決した。手早く終わってなによりだ。

 ちなみになんで俺がそんな事細かに状況を把握できているかというと、ヘレウスの「なにかあった時、手助けして欲しいからアルマス殿もいてくれ」という発言があったためである。

 おかげで俺は三日ほど領主の屋敷での生活を堪能させてもらっている。


「なにはともあれ、無事に終わりそうで一安心だ」


「ですねー。最初はどうなることかと思いました-」


「サンドラ様にお父上の来訪を気づかれた時は、気を失うかと思いましたよ」


 早朝の食堂でアリア、ロイ先生の二人と食事を食べながら、この四日のできごとを話題に盛り上がっていた。というか、もはやこれが話題の中心だ。


「……初日なんか、料理を運ぶのも気が重かった」


 スープを持って来たトゥルーズが言いながら、その場の皆に配り始めた。配膳はメイドに任せることが多い彼女だが、気になる話題の時は厨房から出てくることがある。


「今までで一番の強敵だったな。ハリアがきっかけをくれなければ、ヘレウスはあのまま普通に仕事をして帰っただろう」


「サンドラ様もそのつもりでしたからねー」


「お二人とも、不器用な方ですから」


「……でも、これで一安心」


「ああ、こうして出発させるのが残念なくらいだ」


 今日、ヘレウスは帝都に向けて出発する。

 彼は多忙だ、帝国の端まで来て三日も滞在したのは異例中の異例なのだ。実際、滞在中も先行させていた部下と共に魔法具を使って仕事を片づけていた。

 これから、十日以上かけて仕事をしながら仕事場に帰るのだろう。


 今、あの親子は屋敷近くに設けられた散歩道を歩いている。

 聖竜領ができた頃に皆で作ったもので、それぞれが好きに手入れをしていると話したら、ヘレウスが見たがったためだ。

 雪は少ないとはいえ、冬の早朝に歩きやすい道ではないのだが、サンドラは了承しリーラも伴って三人で歩いている。


「実を言うと、ヘレウス様がサンドラ様を帝都につれていくーとか言わないか心配でしたー」


「状況によっては、そのくらいの覚悟はあったかもしれないな。でも、それは杞憂だ」


「ええ、今後は魔法伯として表に裏に手助けしてくれるでしょう」


「……良かった。あ、ちょっと厨房に戻る」


 見れば、厨房内からメイドがトゥルーズの方を寂しそうに眺めていた。彼女は素速く仕事に戻っていく。

 ベーコン入りのスープを口にしながら、俺は軽い気持ちで口にする。


「これで、あとは忙しくなる春に備えるだけだな」


「来年の冬はゆっくりしたいですねー」


「無理のないようにしましょう」


 俺の言葉に、二人が微妙な笑顔と共にそう返してきた。


○○○


 サンドラ達は俺達と入れ替わりに食堂に入っていった。

 すれ違った時の表情を見たところ、朝の散歩は良い物だったらしい。リーラも含めて、満ち足りた様子だった。


 そして、朝の早い内に馬車が用意され、ヘレウスが帰る時がやってきた。


「名残惜しいが、仕事があるので失礼する。サンドラ、また来るよ。時期の約束まではできないが」


「ええ、父様ですものね。仕方ないわ。お元気で」


 目の前では、あの親子らしい別れの言葉が交わされていた。

 実際、多忙なヘレウスは次に聖竜領の土を踏むのはいつになるのだろうか。本人は「対策を考えている」と言っていたが、偉い人というのはそう簡単に時間ができるものではないと思う。


「アルマス殿、世話になった。この恩は生涯忘れない」


 見送りの最前列にいた俺の前に来て、ヘレウスは右手を差し出しながら言った。

 その真摯な目をみれば本気で俺に感謝しているらしいのが良くわかる。


「そんなに大層なことはしていない。ちょっとしたきっかけを作っただけだ」


「娘から、貴方はいつもそう言いつつ、大層なことをすると聞いたよ。もう一人の眷属にも宜しく伝えて欲しい。それと、娘とこの領地を頼む」


「ああ、任せて欲しい。俺にもここで過ごす理由があるからな」


「妹さんのことだな……。礼と言ってはなんだが、これを受け取って欲しい」


 いいながらヘレウスが出したのは、一冊の本だった。装丁や題名からするに、精神に関する魔法書だ。


「精神に関する魔法書か。ものによってはアイノの治療に役立つかも知れないが」


 アイノの治療が遅れていた理由の一つに、聖竜様の力が強すぎることがある。魔力は心と強い関係をもつゆえ、聖竜様が全力でアイノの体内で異常になった魔力を治療すると、精神になにかしらの影響が出てしまう。


「報告を聞いて役立つのではないかと思って用意させた、精神を保護する研究に関するものだ。帝都の書庫にあったものを一年かけて研究した」


「なんだと……。そんなものが」


「もし、貴方を相手に交渉が必要になった場合のための切り札だ。その必要もないとわかった今なら、渡してもいいと思った」


 穏やかな笑みを浮かべながら、俺に魔法書を渡すヘレウス。親子の関係に思い悩んでいた父親の面影はもうない。

 魔法書を受け取った俺は頭を下げる。


「ありがとう。きっと、役立ててみせる」


「無理そうだった場合はまた報告してくれ。魔法伯の名に誓って協力しよう」


 なんとも頼もしい宣言をして貰った後、俺とヘレウスはもう一度握手を交わした。


「皆、サンドラを支えてくれたことを、不承の父親として礼を言う。今後も、娘を支えてやって欲しい」


 見送りの面々にそう言って一礼すると、ヘレウスは再びサンドラに向き合う。


「では、さよならだ。南部に別荘地が出来たら建物を手配するし、私とやり取りできる魔法具も手配する。私を上手くつかいなさい」


「はい、父様。頼りにさせて頂きます」


 実にこの親子らしいやり取りの後、ヘレウスは馬車に乗り込み聖竜領を去って行った。

 一人でこっそりやってきたのが嘘のような、穏やかな出発だ。

 

 冬の朝日を受けて、小さくなっていく馬車を、サンドラはずっと見守っていた。

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