第144話「これは駄目だな。俺がなんとかしないと。」
冬の夕刻。日が陰り、じきに夜のとばりが落ちるであろう時間帯。
聖竜領内の広場、聖竜様の石像の前に俺はいた。
なんのことはない、昼にトゥルーズが作ったお菓子を供えに来たのである。
『今日のお供えはフィナンシェです』
『うむ。寒い中ご苦労なのじゃ。皆も風邪などひかぬよう気を付けておくれ』
備えた菓子が消えるのを確認すると、俺は広場を見回す。
少し前まで資材が積まれ、人の行き来が頻繁だったこの場所も今は静かなものだ。
今は積もった雪の中に、春に使う予定の資材が並んでいる。
日中なら聖竜様の石像のところに来る者もいるが、この時間帯はまず人などいない。
俺も用が済んだし、家に帰るとするか。
風邪などひかないが、冬の夜は寒い。
そう思って歩き出した時だった。
メイドが一人、こちらに向かって走ってきた。
短い黒髪をした運動の得意そうなメイドは、たしか酒場担当の者だったはず。
これから忙しい時間帯だろうに、どうしたことだろう。
「はぁ、はぁ。良かった、アルマス様ここにいた」
「どうしたんだ? そんなに急いで」
目の前にやってきて息を切らせるメイドに問いかける。
「それが、ちょっと酒場で困ったことが起きていまして。アルマス様を呼んでくるように店長から頼まれたんです!」
この場合の店長とはダニー・ダンのことだ。商会長でもある彼だが、酒場に出る時はなんとなく店長と呼ばれることが多い。
「困ったこと? そういう揉め事はサンドラじゃないのか? なんで俺に」
「すいません。私の口からはこれ以上は。でも、お客様はアルマス様をご指名でして」
どうかそれ以上聞かずにお願いします、とメイドは必死に表情だけで訴えてきた。
察するに、わざわざ雪の降った後に聖竜領にやってきた客が俺を呼び出したということか。
「承知した。向こうが俺を指名なら仕方ないな」
「お手数おかけします……」
俺の返事を聞いて、短髪メイドはほっとした様子でそう返してきた。
「じゃあ、すぐに酒場に向かおう。ついでに夕食でもいただくとするかな」
「それはもう、店長に頼んでおきますから!」
仕事を果たして気楽になったのか、口調が軽くなったメイドと共に俺は酒場へと向かうのだった。
○○○
到着した酒場は、異様な雰囲気だった。
暖かく、食事が美味い聖竜領の酒場は、日が暮れれば領内の人々や商人などで賑やかになっているのが常で、外に出ることの難しい冬はなおさらのはずだ。
「なんだこの静けさは……」
「では、私は仕事に戻りますので。詳しくは店長にお願いします」
まるで葬式のように静かな店内に困惑する俺を置いて、短髪メイドは厨房の奥へと行ってしまった。まるで逃げるように。
入れ替わるように、俺に気づいたダニーがやってきた。それも深刻な顔で。
「お待ちしていました、アルマス様。あちらにお客様が……」
俺が問いかけるより早く、ダニーは店の一角を指し示す。
店内の片隅にあるテーブルで、一人の男が食事をしていた。
身なりは普通、地味な色合いの旅装束だ。最近買ったのか、新しいものに見える。
年齢は四十歳前後、小さな眼鏡をかけた白髪交じりの真面目そうに見える風貌だった。
「知らない相手なんだが、約束も特にないし……」
「ヘレウス・エヴェリーナ様です……」
「…………」
その名前に、さすがに俺も動きを止めた。
名前はともかく、大変聞き慣れた名字だ。それと男性であることと外見年齢、以前会った皇帝の発言などから、自然とテーブルについている人物の正体は推測できる。
「サンドラの父か……」
「……はい。突然こちらにやってきて、屋敷に連絡せずにアルマス様を連れてくるように言われました」
「他の者が連絡したらどうするんだ?」
店内には元護衛の二人など、屋敷に連絡しそうな者がすでに何人かいた。
「そこも口止めするように言われています。……お忍びできたようでして」
「すると、別のテーブルにいる者が護衛だな」
「何日か前から来ている商人の方ですが?」
「そういう体で先行させたんだろう。服の下に武器を隠しているし、体つきが商人じゃない。すぐにヘレウスを助けに入れる席についているしな」
ヘレウスのすぐ近くのテーブルにいる商人風の男二人を素速く観察して、俺は言うと、ダニーが驚いた顔をしていた。
「とにかく、向こうが俺を呼んだんだ。話してみるよ」
「宜しくお願いします」
ダニーに礼を言われつつ、俺はヘレウスのテーブルに向かった。
「はじめまして。アルマス・ウィフネンだ。座っても」
「わざわざ呼びだして申し訳ない。この場の支払いは私が持つ」
俺が挨拶すると、ヘレウスは低く良く通る声で返しつつ、席を勧めてきた。
着席すると、サンドラの父は軽く頭を下げる。
「申し訳ないが、色々とあってここで名乗ることは控えさせていただきたい。もっとも、すでに私どころか向こうの二人の正体も把握しているようだが」
そう言って、俺が護衛だと見抜いた商人風の二人の方を見た。どうやら当たりだったようだ。
「気づかれていたか」
「入り口でああも話し込んでいれば私でなくてもわかる」
テーブル上のお茶を一口飲むと、ヘレウスは続ける。
「この聖竜領も興味深いが、なにより貴方と話したいと思い、こういった形で場を設けさせてもらった」
俺が席についたのを確認したからだろう、モイラ・ダンがハーブティーを運んできた。心を落ち着ける効果があるとされるものだ。これが必要なのは、俺以外の面々な気もするが、気遣いはありがたい。
「俺と話すのは構わないが、どうしてこんな回りくどい方法を取るんだ? 領主を通した方が色々とやりやすいだろうに」
酒場経由というのはあまり効率的で無いやりかただ。上手く俺を捕まえたいなら、領主の館を通すのが一番確実ではある。
とはいえ、ヘレウスがそれをするにはサンドラに会わねばならない。
先に娘に会えと言外に言ってみたのは思ったより効果があったようで、ヘレウスは困ったような表情をしていた。。
「耳の痛い話だ。それは重々承知なのだが。こちらにも事情があってね」
「事情、どのような?」
俺の問いかけに、ヘレウスは真面目くさった顔で返す。
「正直、娘と会うのが恐い。貴方と話したら帰っていいんじゃないかと思い始めている」
口調は深刻で、その目は本気だった。
「……よし、まずは俺と話をしよう」
これは駄目だな。俺がなんとかしないと。
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