第143話『四三六年ぶりにパンを食べて涙した日から、俺は料理をできる人間には敬意を払うと決めているのである。』

「ここまで……だな」


「ええ、ここまでね」


 聖竜領南部。街道工事現場。石を敷き詰めるために掘り返された地面を眺めながら、俺とサンドラは同じ言葉を呟き、互いの意見を確認した。

 掘り返された地面は南まで真っ直ぐに伸びて、ハリアの湖付近まで続いている。

 今回の工事に当たって、もっとも重視されたのがこの穴掘りだ。

 寒さが厳しくなれば、地面は凍り、石のような硬さになってしまうため、とても工事を継続することができなくなる。

 ロイ先生とクアリアの職人達はいつとも知れない期限のある仕事を見事にやり遂げたのである。


「後は順番に自壊するゴーレムを使って石を綺麗に敷き詰めれば第一段階は完了か。例のレールというのはどうなっているんだ?」


「クアリアにクロード様から設計図面が届いて制作中。それに合わせて街道を作る予定よ。どちらにせよ、もう間に合わないわ」


 軽く嘆息してから空を見上げるサンドラ。それを横目で見て俺も頷く。


「とうとう、雪が降ったか」


 見上げた空は曇天。厚みを感じる雲からは、ちらちらと細かな雪が地面に向かって降ってきていた。

 聖竜領は寒くはあるが降雪量は少ない。北の氷結山脈で雪雲が止まるためだ。

 それでも、冬の間に膝下くらいまでの積雪が何度かある。そうなれば、工事など不可能だ。

「天幕は一度撤退。南部に作った小屋はそのままになるな」


「ええ、小屋にかけてもらった魔法はどうしようかしら?」


「そのままにしておこう、ルゼとマイアが南部に行くことがあれば避難小屋に使える」


 街道工事が続く中、部品ごとに製作された小屋の試作品が完成し、実際に組み立てられた。 イカダごと職人と移動し、作業を手伝ったらほぼ一日でちょっとした小屋ができあがったのは、我ながら驚いた。


「書物で見聞きした知識だけだったのだが、実際に目にすると驚くな。見事な仕事だ」


「スティーナ達の腕がいいもの。春になったらもっと増やして、そのまま開拓の拠点にできそうね」


「ああ、小屋の名前が『アルマス小屋』と名付けられそうになったことを除けば良いことだ」


 ちなみに断固拒否した。俺の発案だからというネーミングだそうだが、見た目的に長年住み慣れた小屋に似ているのが良くない。


「冬のうちに資材を確保して、春になったらハリアにも手伝って貰って一気に仕事を進めましょう。クアリアの職人達には一度戻ってもらって、一部は領内の工事なんかを手伝ってもらうわ」


「次の春も忙しくなりそうだな」


 暖かくなれば街道工事の再開。領内の建物も増える。さぞ賑やかになることだろう。


「忙しいわね。今のうちに思いつくことは色々やらないと」


 領主としての顔で、サンドラは癖毛をいじり始める。青い冬用の外套には雪が軽く乗り始めていた。


「お嬢様。雪が強くなってきました。そろそろ戻りませんと」


 側に控えていたリーラの言葉にサンドラが頷く。俺も異論はない。長時間立っているのにふさわしい場所では無いからな。


「工事の中断を指示するわ。アルマス、職人達と現場の撤収作業の手伝い、お願いできる?」


「勿論だ。こういうのは早く済ませた方がいい」


 撤退は迅速に。戦場の鉄則だ。


 俺達は歩きながら近くに止めて置いた馬車に乗り込んだ。リーラが御者を務め、馬車は街道工事用に作った即席の道を進んでいく。


「では、ロイ先生のところに行きましょう。それと相談なのだけど、作業が終わったら酒場で少しだけど飲み食いできるようするのはどうかしら? 寒い中働いてくれたせめてものお礼をしたいの」


 馬車に乗ると、癖毛をいじりながらサンドラがそんなことを言った。ちょっと悩んでいる風だ。工事が完了したわけでもないのに打ち上げをしていいものか、と考えたのだろう。


「いいじゃないか? 冬の工事はこれで終わったわけだし。当初の目標には到達した。打ち上げだな。なんならスティーナにも声をかけよう」


「そうね。せっかくだし、少しお金をかけちゃいましょうか」


 俺が肯定の意を示すと、サンドラは朗らかな笑みを浮かべてそう言った。


 雪は思ったよりも強く降り、馬車が領主の屋敷に入る頃には、うっすらと積もるほどになっていた。


 この日を境に、聖竜領に本格的な冬が到来した。


○○○


 雪が降ったことで聖竜領の生活に多くの変化が訪れた。

 南部への街道工事は一時中断され、クアリアから訪れていた職人達は去っていった。

 スティーナの工房は相変わらず忙しく、近くに行くと賑やかな作業音が聞こえる。春に備えて色々あるらしく、スティーナがクアリアの街へ行く機会も増えたようだ。

 それ以外の人々は概ねいつも通りだが、領主の館では大きな変化があった。

 領内で動きが減ったこの機会にトゥルーズがエルフの村で料理修業を開始したのである。


「修行をすると聞いてはいたが、まさか三日に一度のペースで呼ばれるとは思わなかったな」


「オレなんか毎日なんですよ。美味しいけど新作の感想を念入りに質問されるのはちょっと大変です……」


「食生活が豊かになってるからいいじゃないですか」


 エルフ村の中央にある大木を利用した屋敷。その一室で俺とユーグとルゼの三人は料理を食べていた。 

 料理の名前はわからないが、野菜や果実を利用したものが多い。エルフの料理は薄味の傾向があるのだが、これは普通に美味しい。作った料理人が人間だからだろう。

 テーブルの向かいには俺達に料理を用意してくれたトゥルーズが座っていた。いつも通りの表情で静かにしているが、その目線は真剣だ。


 彼女はここで学んだエルフの料理を自分の技術として取り込んで、新しいメニューを開発しているのである。

 そして、俺やユーグはその評価役として呼ばれているのだ。


「……エルフの人達以外の感想も聞きたい。特にユーグはここだと貴重な人間。東都にいて良い物を食べてたから舌も肥えてるんで頼りにしている」


「美味しいから不満ということはないですよ。ただ、トゥルーズさんの圧が凄くて」


 ちょっと困ったように言うユーグ。


「トゥルーズは皇帝を満足させる料理を作るという目標ができたからな。付き合ってやってくれ」


「まあ、わかってはいますよ」


「トゥルーズさんが来てくれたことはエルフの村にとっても良いことなんですよ。互いに料理を教えあって、食生活が豊かになりました。味付けになれたら里の方にエルフの料理店でも出しましょうか」


 いつの頃からかエルフ村の住人は屋敷や宿屋のある周辺のことを『里』と呼ぶようになっていた。多少は距離があるし、集落として独立した感じもあるのでわかる話だ。


「料理店か。トゥルーズに教わったなら良いものを出せるだろうな」


「ええ、森から出て働くエルフも増えるでしょうし。良いことかと」


 ふらふらしている印象はあるが、やはりルゼも若長だ。聖竜領の人々とエルフの関係をちゃんと考えているようだ。


「ここに来てそれほどたっていないのに、これだけ美味しんですから、皇帝陛下を満足させられるんじゃないですか?」


 気軽な口調でユーグがそう言うと、トゥルーズがやや沈んだ様子で反応した。


「……皇帝陛下はエルフの森で生まれている。つまり、エルフの料理は食べ慣れている可能性が高い。それに長く生きているから、生半可な料理じゃ通用しないと思う」


 どうやら、本人としてはまだまだのようだ。


「納得のいく話ではあるが、そうすると難しいな。珍しい食材でも用意できれば……」


 聖竜の森でとれたキンソウタケというキノコは大変珍しいもので、先日の皇帝来訪の際に使ったがそれすら反応は今ひとつだった。

 それ以上の何かが必要だ。


「魔法草を美味く調理すると美味しくなるって話、聞いたことありますね。なんか、こつがあって扱いが難しいんですけど」


「……魔法草」

 

 何気なく言ったユーグに対してトゥルーズが鋭い視線を送った。

 席から立ち上がり、身を乗り出してという、彼女らしくない勢いで問いかける。


「……詳しく聞きたい。魔法草の種類、調理法、味、見た目。なにか資料は? できれば聖竜領で手に入るものがいい。それと……」


「ま、待ってください。俺も前に何かで読んだ気がするだけで具体的には……」


「……そう」


 しゅんとした様子で着席するトゥルーズ。今更ながらこれは本気だな。


「ユーグ。時間があればでいいから調べてくれないか? なんならロイ先生に頼むし、俺も協力するから」


「…………」


 俺からそう言うと、トゥルーズが懇願するような目でユーグを見つめた。


「……わかりました。本当に曖昧な記憶なんで、すぐに結果がでないかもですよ?」


 ユーグがそう言うと、トゥルーズがわかりやすく表情を明るくした。控えめに微笑んでいることが多い彼女にしては珍しいことだ。


「ありがとう。ユーグ、アルマス様」


「気にしなくてもいいよ。みんな、トゥルーズの世話になっているからな」


 俺がそう答えると、ユーグとルゼが頷いた。


 聖竜領の料理人はとても重要な存在なのだ。四三六年ぶりにパンを食べて涙した日から、俺は料理をできる人間には敬意を払うと決めているのである。

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