第141話「どうやら、サンドラの新たな挑戦が始まったようだ。」

「はーい。じゃあ、ここにある文字を順番に読んでみましょうー。皆さん真似してくださいねー」


 領主の館の一室、広めの部屋にアリアの明るく良く通る声が響いていた。

 壁にかけられた板には木炭で文字や単語が書かれている。

 アリアの指導を受けるのは農家の子供達だ。五名ほどが椅子と机を与えられ、指導を受けていた。

 冬になって開催された、聖竜領の学校だ。冬の作業の合間に、こうして誰かしらが教師役になって指導をしている。


 イグリア帝国の識字率はそれほど低くは無い、とはいえ農家の殆どは難しい文章や計算はこなせないので、ここで無料で教えてくれるならと前向きに受け入れられた。

 たまに子供だけで無く、文字の指導を受けたい大人も混ざるそうだ。屋敷内は魔法で暖房が効いているというのも大きいだろう。


 ちなみに一番人気の講師はアリアである。農家の人々と親交の深い彼女は、その性格もあって大変好かれている。


「アルマス様。あんまり凝視されると恥ずかしいんですがー」


 子供達に指導する様子を観察していたら、アリアが恥ずかしそうに言ってきた。


「いや、上手いものだと思っていたんだ。子供相手に教えるのはなかなか難しい」


「それはロイ先生の教材が良かったんですよー」


 読み上げを終えて、生徒達に文字を練習するための板を配るアリアにそう返された。

 この学校を開催するに当たって、ロイ先生は教員用の教材を書き上げている。

 ページ数の少ない冊子だが、子供相手の指導のコツが良い具合にまとまっていた。

 さすがは元家庭教師である。

 そんなロイ先生は、冬が始まるなり土木工事に駆り出され、今日も男達と街道工事を行っている。本人は教師をやりたがっていただけに、気の毒だ。


「アルマス様もやったらどうですかー?」


「む……。まあ、教えるのは経験がないわけではないが」


 俺だって人間時代、アイノに勉強を教えたりとそれなりに経験がある。イグリア帝国の共通語も覚えたので子供相手の指導くらいなら問題ない。

 しかし、


「………………」


 子供達がちょっと緊張した様子で俺を見ていた。

 警戒……というか畏れだろうか。

 多分、親から色々と聞かされているのだろう。俺だって自分の能力に自覚がないわけではない。敬いつつも遠ざけたくなる気持ちも、十分理解できる。


「仕事の合間に手伝いくらいはさせて欲しいんだが、あまり子供達を警戒させたくないな」


「仲良くなるための第一歩ですよー?」


「わかった。時間を作ってこよう。なんなら、『嵐の時代』の面白い話も用意しておく」


 『嵐の時代』というフレーズが良かったのか、一部の男子の目が輝いた。きっと、かっこいい英雄譚などが聞けると思ったに違いない。男の子はいつの時代もそういうのが大好きなのだ。


「ただ、今日はサンドラに報告した後、現場に戻らなきゃいけないのでな。また今度だ」


「でしたかー。そうだ、ハリアさんも連れてきてくださいね。人気者ですからー」


 ハリアの名前を聞いて女の子の表情が明るくなった。

 なるほど。可愛い動物と一緒に講義すればいいのか。効果的だ。


「よし。南部から連れてこよう」


「よろしくですー」


 そう言葉を交わすと、俺は勉強部屋を退室した。

 そして、部屋を出ると外で佇んでいた顔見知りがいた。


「なにをしているんだ、サンドラ」


 領主サンドラと今日の護衛であるリーラがそこにいた。


「授業の様子を見ようと思ったんだけれど、アルマスの声が聞こえたから」


「普通に入ればいいじゃないか」


 サンドラは領主でこの学校の発案者だ。状況の確認に来るのはおかしなことじゃない。


「……いえ、いいわ。中の様子はどうだった?」


 なぜか少し考えてから問いかけてきたサンドラに、俺は答える。


「普通に良い感じだったぞ。あれなら十分だろう」


「そう。よかった。それじゃあ、執務室に行きましょう」


 俺の返答を待たずにサンドラは廊下を歩き出した。

 横に並び、俺は不思議に思いつつ問う。


「なにか入りにくい理由でもあるのか?」


「……ちょっとね。どうも、農家とその家族に過剰なくらい敬われててやりにくいの」


 どこかで聞いたような話だった。


「それは、どうしてそんなことに?」


「クアリアにいって始めて知ったのだけれど。聖竜領の領主は聖竜様とその眷属に守られていて、下手なことをすると大変な報復を受けるってことになってるそうなの」


「……俺達はかなり大人しくしているはずだが?」


 俺の疑問が二度続くと、後ろで静かにしていたリーラが口を開いた。


「失礼ながら。ウイルド領との戦いや、東都でのこと。皇帝陛下や第二副帝が自ら足を運び、敬意を示したという話が広がった結果かと」


 それだけ聞くと全然大人しくしてないな、俺。


「サンドラはよくわかっていると思うが。望んでしたことじゃないぞ」


「わかっているわ。全部必要なことだった。陛下にクロード様なんか向こうから来たんだし。どうしようもないわ」


 サンドラがため息を一つついて、諦めたようにそうこぼす。

 そう、俺達はその場で状況に対応してきただけなのだ。仕方ない。


「でもね、聖竜様とアルマスはともかく、わたしまで畏れられることはないじゃないと思うの」


「なるほど……」


 そう言って、俺はサンドラを上から下まで観察した。

 聖竜領に来てから一年以上たつが、あまり成長の見られない、小柄な少女だ。

 農作業のおかげで体力がついたといえど、華奢だし、相変わらず人形のような見た目である。

 

 だが、それはあくまで見た目の話だ。

 その頭脳は並の大人を軽く凌駕し、十四歳にして領主としての能力は十分。辺境を開拓し、帝国内の上位者にコネクションを持つに至った政治力は侮れない。

 そして、世界を創った六大竜の一つ、聖竜様に認められた人間でもある。

 

 外見以外の面を評価すれば、噂の一つもたつだろう。


「なにか、わたしに気になるところでもあるのかしら?」


 急に見られたからか、居心地悪そうにこちらを見上げ、サンドラが言ってきた。


「残念ながら、噂の一つ二つは我慢するしかない状況だ。諦めて現実を受け入れよう」


 もうその方向性でいったらいいんじゃないかと遠回しに言うと、サンドラは複雑な表情になった。


「なんか、学生時代を思い出すのよね……」


 あまり思い出したくない記憶を刺激してしまったようだ。

 俺は慌てて取り繕う。


「これから親しまれる領主という方向性を目指せばいいじゃないか。今回の学校なんか、うってつけだと思うぞ? ほら、子供と遊んだりもできる」


「そうね。やってみるわ。……どうすれば評判をかえることができるかを」


 どうやら、サンドラの新たな挑戦が始まったようだ。

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