第130話「聖竜領の料理人は意外と諦めが悪かった。」
サンドラが帰ってきた。それも客人を連れて。
「おかえり。ゆっくり休めたか?」
「ええ、おかげさまで。色々話をできたおかげで少し楽になったわ」
馬車から降りてくるサンドラは休暇前より穏やかな表情でそう言った。
受け答えや佇まいからも心ここにあらずといった状態は無くなっている。良い休暇になったようだ。
「アルマス様、ハリア様はもう着陸場ですか?」
同じく馬車から降りたリーラが言ってきた。見たところ荷物が少ない。ハリアに運んでもらったのだろう。
「ああ、午前のうちに帰ってきたよ。今頃酒場で何か食べているはずだ。屋敷宛ての荷物は運ばれてるんじゃないか?」
俺も朝からゴーレム製造や畑の世話をしていたので、屋敷に来たのは今が初めてだ。詳しくはマルティナ辺りに聞かないとわからない。
「承知致しました。色々と買い物をして参りましたので、後ほどお渡しします」
どうやらお土産まで買って来てくれたらしい。そこまで気を遣わなくてもいいんだが。
「リーラ、今ハリア様と聞こえたけれど。もしかしてこの後、噂の水竜様の眷属にお会いしにいくの? だったら私も同行したいのだけれど」
明るく涼しげな声と共に、馬車からもう一人が降りてきた。
褐色の肌の美人。クアリア領主スルホの妻にして、第二副帝の娘。シュルビアだ。
「……なんで一緒に? 一人だけか?」
俺が連続で疑問を口にすると、サンドラが眉を下げて困ったように言う。
「スルホ兄様は溜まった仕事で忙しくて、それで聖竜領の話をする内にどうしてもついて来たいと言うから断れなかったの」
「断れなかったのか……」
「今年は収穫祭にスルホ兄様が来る予定だから、それに貰いたかったのだけれどね。でもいいわ、しばらく聖竜領でゆっくり過ごして貰うつもり」
その『ゆっくり過ごす』の中には俺やハリアを伴ってのあれこれもあるのだろう。シュルビアは皇帝や第二副帝に比べれば大分付き合いやすい、元々体が弱かったからハーブや薬草でもてなしつつ、のんびりして貰おう。
「畑と工事の風景はクアリアと似ているわ。話に聞いた森の中のハーブ畑とエルフの村も見てみたいわね。それと、南の湖。せっかくだから農作業のお手伝いなんかもしたい」
聖竜領の景色をながめながら、元病人とは思えないくらい元気な口調でシュルビアが言う。 考えてみれば、治療してから一年以上たつ、体調もすっかり良くなって元気いっぱいだ。
農作業はともかく、ここで過ごす分には問題ないだろう。
「世話をする人員はいるみたいだな」
一緒についてきたクアリアの馬車から人と荷物が降りるのを見ながら俺が呟くと、屋敷の中から慌ただしい足音が聞こえてきた。
「シュ、シュルビア様がいらっしゃったと聞きましたが本当ですか!?」
マノンだった、報告を聞いて走ってきたのだろう。息が上がっている。ついて来たマルティナは涼しい顔だが、主と同じくらい目が輝いていた。
「もしかして、シュルビアに挨拶に来たのか?」
「もちろんですとも! あの『東方の宝石』と呼ばれたシュルビア様がいらっしゃるなんて。こんな光栄なことはありません」
「……わたしの出迎えはいいの?」
いつにないハイテンションで俺に語るマノンを見て、サンドラがぽつりと呟いた。もちろん聞こえてない。
たしかにシュルビアは『東方の宝石』と呼ばれる有名な美女だと聞いていたが、これほどとは。いや、マノンは前にマイアに会ったときも似たような反応をしていたな。趣味か。
「こうして直接話すのは初めてですね。マノン・セガリエベ。サンドラから話は聞いています。私の大切な妹のため、わざわざ聖竜領まで来てくれてありがとう」
「わ、私の名前を……シュルビア様が……。うっ」
「どうしたの、マノン? って、失神してる」
なんということだ。まさか立ったまま失神するとは。
俺達が驚いていると、落ち着いた様子でマルティナがやってきて、マノンを担ぎ上げた。
「失礼いたしました。お嬢様はシュルビア様に憧れていましたので、感激のあまり気を失ってしまったのでしょう。……前からたまにあることですの」
たまにあるのか。マノンの弱点は有名人か。
「……あー、なんだ、とりあえずあれだな。シュルビア、聖竜領へようこそ」
戦闘メイドに担いで運ばれていくマノンを見送り、俺は自分でもわかるくらいぎこちない口調で言った。
微笑で返すシュルビアを見た後、今度はサンドラに向かって言う。
「改めて。おかえり、サンドラ」
「ええ、ただいま。アルマス」
彼女らしい芯の通った声で返したサンドラは、見慣れた笑顔になっていた。
○○○
「……そう、そんなことがあったの。急に屋敷の中の空気が変わったからびっくりした」
サンドラ達が戻ってきてすぐ、屋敷の食堂に向かった俺は先ほどの出来事をトゥルーズに報告していた。
彼女の言うとおり客人が来たので屋敷内は慌ただしい。部屋の用意に始まり、お茶会が催されている。先ほど厨房のメイドがサンドラ達のところにお菓子を届けに行っていた。
「シュルビアには驚いたが、サンドラが元気そうになっていたのは良いことだ。少なくとも、俺の見た範囲でだけどな」
「……それは良かった。お客様も来たし腕の振るい甲斐がある」
第二副帝の娘であるシュルビアは舌も肥えているだろう。トゥルーズも仕事に張り合いが出るはずだ。
「そうだ。仕事の件で話に来たんだった。先日、ルゼに事情を話したよ。エルフの食材を分けて貰えると思う。なんなら、エルフの村に来て料理を教え合わないかとも言われたぞ」
それを伝えた瞬間、トゥルーズが厨房内で一瞬動きを止めたと思うと、次々とナイフを取り出し始めた。
「ど、どうかしたのか?」
「…………ありがとうアルマス様。私はしばらくエルフの村で料理の修業をしてくる。できれば半年くらい」
本気の目だ。驚くほど手慣れた動きでナイフをエルミア作成のケースに収めきった。
「落ち着けトゥルーズ。今腕の振るい甲斐があると言ったばかりじゃないか。サンドラとシュルビアがいるのに君が屋敷にいないと困るだろう」
そもそもトゥルーズの仕事は屋敷での料理だけじゃない。宿屋兼酒場の料理の指導や、建設作業のために聖竜領へ来ている作業員への炊き出しなど彼女の能力頼りの仕事は多い。
「…………なんとかなる、と思う。貴重な修行の機会を逃したくない」
「落ち着けトゥルーズ。せめて冬の間とかに……。そうだ、収穫祭だってあるぞ。今年は聖竜領で獲れた最初の麦で作ったパンを焼く役目があるはずだ」
水車小屋も完成し、一年前に植えられた麦はもう収穫と乾燥が終わって後は粉にするだけの状態で保管されている。これから収穫祭に向けて粉へと加工され、祭の際に振る舞うことになっている。
当然ながら、それらの調理は聖竜領で最も料理に精通した者の役目となる。
流石にその重要性はわかっているのか、トゥルーズは動きを止めて荷物を置いた。
「……ごめん、アルマス様。ちょっと我を失った。とても嬉しかったので」
そう言うと、再びナイフを取り出し始めるトゥルーズ。表情の変化が少ないが、どうやら反省しているらしい。
「少し驚いたよ。料理のことになると人が変わるな」
「……私はこれが仕事だし、目標もできたから。皆と相談して、冬にエルフ村で修行をする」
口調は静かだが、確かな決意と共にトゥルーズはそう宣言した。
「……やっぱり一年くらい修行したいかも」
「それはサンドラに相談してくれ……」
聖竜領の料理人は意外と諦めが悪かった。
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